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「何有荘」(かいうそう)

2006年03月26日 21時22分26秒 | 古都逍遥「京都篇」
 およそ100年ぶりに公開した何有荘(かいうそう)は、正式には大日山法華経寺幸福寺何有荘と称し、東山を借景とし京都市内を一望できる6千坪を有するスケールの大きな庭園を有する私邸である。琵琶湖疎水の一番水を引き込んで、明治28年(1895)貴族院議員・稲畑勝太郎が、小川治兵衛(植治)に命じて作庭させた小堀遠州流庭園で名高い。
 元々は南禅寺の700年もの歴史を持つ塔頭だった。幕末の動乱で焼失していた三門再建のため、当時の南禅寺館長・正因庵住職が自身の塔頭を、稲葉産業の創始者でもあり、日本に映画を持ち込んだ男としても知られる稲畑勝太郎に売却した。彼は外国官僚を迎えるための迎賓館とすべく譲り受けたもので、小川治兵衛に作庭させ「和楽園」と命名した。
 彼の死後、昭和28年に宝酒造の中興の祖と称される大宮庫吉が譲り受け、禅の言葉から取って「何有荘」と命名した。

 「これの家を 何有荘とぞ名づけたる 何もあるなしのわがこの心」

  表門を入ると武田五一設計(京都市役所などを設計)の和洋折衷の洋館が目に飛込んでくる。その先の 清流にかかる石橋を渡ると右手に飛泉門と名付けられた編笠門がある。この門をくぐると右手に伊藤博文の直筆と伝わる「神泉亭」の額がかかった立礼席として建てられた神泉亭があり、東山を取り込んだ広大な庭が広がっている。
 大池は琵琶湖疎水より3つの滝が注ぎこまれ、心字型に造られた。岩島、沢渡石が配され、蓮や菖蒲が施されている。瑞龍の滝は落差30㍍もあり、楓の葉蔭からながれ落ちる姿は美しい。池畔の小径を奥のほうに進むと、明治天皇が使用されたという茶室龍吟庵「残月亭」がある。
 また池の周りにはさまざまな苑路があり、鐘楼、連珠滝、水車を眺めながら散策できる。さらに斜面を登っていくと周りの景色が刻々と変わり、やがて山上の芝生広場へと導かれる。頂の草堂からは京都の市街地や北山、西山の連山が望め、また南禅寺の三門も見下ろせて、正に絶景かなである。
 面白いのは、展望台の下にトンネルの入口がある。その洞窟風のトンネルは明治天皇専用門、つまりお成り道だったそうで、草堂の内部並びに何有亭の外側の疎水、哲学の道へ通じている。

 知られざる京都の穴場中の穴場、築山林泉回遊式庭園は小川治兵衛の作庭らしく疎水をふんだんに取り入れ、17種類におよぶ紅葉と17種類の苔を見事に取り合わせている。随所に茶室、池の飛び石、木々草花の植栽と隅々まで工夫が行き届いている。拝観料が1000円ということもあってか、100年ぶりの公開にもかかわらず拝観者は少なく、自由散策が許されていることから、俳句の一句でも詠みながらのんびりと散策が楽しめる所だった。

 京都市左京区南禅寺福地町46
 地下鉄東西線「蹴上」駅下車、徒歩5分。市バス南禅寺・永観堂バス停下車、南へ徒歩 5分。
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