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「妙蓮寺」(みょうれんじ)

2008年08月20日 22時43分02秒 | 古都逍遥「京都篇」
 妙蓮寺は、宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人によって、永仁2年(1294)に創建された。日像聖人が遺命を果たすため鎌倉より京都へ上られた時、五条西洞院の柳酒屋は深く聖人に帰依し、未亡人は邸内に一宇を建立して聖人を請じ、卯木山妙法蓮華寺と称した。(柳の字を二つに分けて卯木山という)

 その後、たびたびの法難にあったが、応永年間(1420頃)本勝迹劣、本迹一致の論争を契機に妙顕寺を退室した日慶聖人によって柳屋の地に本門八品門流として再興した。その後、寺域を堀川四条に移し、皇室ならびに伏見宮家と関係深い日応僧正を迎えるとき、今出川家の公達日忠聖人は、三井寺より改宗して当寺に投じて学室道輪寺を創立し道場を開いた。

 天文5年(1536)には、法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗を筆頭に諸宗の僧俗10万人によって襲撃され、妙蓮寺をはじめとする日蓮聖人門下21本山は、ことごとく灰燼に帰し堺に立ち退いた。
 天文11年(1542)大宮西北小路に復興され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉の聚楽第造営に際して現在地に移転した。当寺は、1k㎡の境内に塔頭27ヶ院を有する大寺院であったが、天明8年(1788)の大火によってほとんどが焼失、わずかに宝蔵・鐘楼を残すのみとなった。寛政元年より漸次復興して現在に至り、塔頭8ヶ院を残す。

 交通:JR京都駅から市バス9系、京阪電車四条駅下車、南座前から市バス12号系、阪急電車四条大宮駅下車、市バス9号・12号系で堀川寺ノ内下車、寺ノ内通りを西に徒歩で3分。


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