今日は、ちょっと大切な話をしたいと思う。
世の中には、霊能者と呼ばれる人々が、ときどき存在する。
TVで活躍した宜保愛子や、
ヒット大地の尊敬する木村藤子も、
その例だ。
ヒット大地の知っている霊能力のある女性は言う。
「人々の額のあたり見ると、TVの画面を見ているように、
その人の過去や未来のことが、見えるのよ」
その他、
「私はなぜか、良くUFOを見る」
という人もいる。
こういう話を聞くと、
常人は、「ウソだろ!」と思うだろう。
「だって、俺たちは、見えないのに!」
なぜ一部の人が見え、
なぜ他の人は見えないのか?
今日は、そのメカニズムを教えよう。
それは「存在の密度の違い」なのだ。
これはどういうことかと言うと・・・
人間は4層から成っている。
肉体、幽体、霊体、神体。
また4層のオーラが体を取り巻いていて、
人によって違うが、平均すると、その幅は、
内から、1.5インチ、6インチ、3フィート、9フィートだ。
(1インチ=2.54センチ。1フィート(正確には、1フット)=30.48センチ)
つまり、この世の物質は、
さらに「薄い密度」のものを内在しているのだ。
逆に言えば、
「肉体は、存在のレベルを高めれば、薄い密度のものに、転換することができうる」
ということだ。
「転換することができる」という意味は、こうだ。
「自己をコントロールすることによって、薄い密度の自分に、移行することができる」
薄い密度の存在は、肉体の感覚器では、普通、感じることはできない。
ところが、第三の目が発達している人には、見ることができる。
第三の目は、間脳の松果体(pineal body)というところに存在している。
この場所は霊的な専門用語で、「通枢(つうすう)」という言い方もする。
薄い密度になると、「時空を超えることができる」。
こんなこと言うと、また「そんなバカな」と言う人も多いだろう。
そういう人には、言いたい。
「無知とは恐ろしいものだ」
世の中には面白い本がたくさんある。
その一つに斉藤守弘著の『世界の奇談』がある。
この中に、「川を渡るナメクジ」の話が載っている。
ナメクジは、当然、広い川を越えることはできない。
しかし、何らかの理由によって、ナメクジが、
その川を渡る必要性が起こったとする。
(あるいは、ナメクジが、それを望んだとする)
この場合、ナメクジは、自分の存在密度を薄めることによって、
川の他岸に移行することができるというのだ。
観察した人によると、普通ナメクジは、一時間くらいかけて、
ゆっくりと密度を薄める。
そうして、少しずつ、ナメクジは、消えてゆく。
完全に消えると、他岸に移り、こんどは他岸で、再度、濃い物質、
つまり、元の自分に戻るのだ。
実は、こういうことは、UFOも行っている。
だからUFOの動きを見ていると、
瞬時に移動をすることが多い。
実は幽霊も同じことを行う。
人間とは違って、彼らは普段、「薄い密度の存在である」が、
あるTPOにより、「ある場所で、ある時刻」で、密度が濃くなるときがある。
そのとき、人々の肉眼の目で、その幽霊が見えることもある。
この「ある場所で、ある時刻」で、密度が濃くなる・・・メカニズムは、
理科で習った「波動の合成」を思い起こして欲しい。
波動は合成されると、振幅が大きくなる。音なら強い音が出る。
存在形式ならば、「存在の密度が濃くなり、誰にでも、見えるようになる」。
タレントの森公美子は、ある日、友人の女性の幽霊に出会い、
しばらくいろいろな話をした。
最後に、幽霊は語った。
「あのさ。自分でも、いつ、あなたと話ができるのか、わからないのよ」
・・・以上は、半信半疑で、読んだ人も多かろう。
ところが、以下の話は、現代物理学の最先端の真実だ。
そう。以上述べたことは、現代物理学でも、きちんと証明されているのだ。
すなわちオカルト物理学である量子力学においては、
素粒子は、まさに、「瞬間移動」ができる存在なのだ。
一瞬で、ここから、あそこへと、急に場所を変える。
また、消えたと思ったら、急に、何も無いところから、現れたりする。
これらは測定器で、きちんと計測できるのだ。
むろん100%間違いない事実だ。
ウソだと思ったら、物理学の教師に訊いてみて欲しい。
江崎玲於奈は、この研究・・・つまりトンネル効果で、
ノーベル賞を取ったんだ。
このトンネル効果は、私たちが使っている電子機器に応用されている。
繰り返そう。
素粒子というのは、幽霊やUFOと全く同じ動きをするのである。
ということは、逆に言えば、幽霊やUFOだって、
素粒子のように、運動しているんだな・・・と思えば、
全く不思議でもなんでもないのだな、これが。
そして「薄い密度」のものは、時空を超えているので、
もし、そういうものが見えるとすれば、
その人の「過去や未来」・・・それから「遠くで生活している姿」
などが、自然と見えてくるのだ。
万華鏡のように、いろいろなものが見えるのだ。
木村藤子や宜保愛子が、見えているのは、
そういうものなのであって、
彼女たちが、「薄い密度」のものを理解する器官を、
活用しているということだ。
この器官は、人間誰にも備わっているものであるが、
ただその能力を、使っているか使っていないかの違いだ。
あるいは、どの程度敏感に感受できるか・・・・ということだ。
この能力は人によって違う。
世の中には、100メートルを10秒で走る人がいる。
マラソンを、2時間10分で走る人がいる。
そういう人は、世界で、10人くらいだろうか?
木村藤子や宜保愛子のような人は、世界中に、10人以上いるだろう。
つまり、それほど珍しい人とも言えない・・・とも言える。
また私たちも猛練習すれば、
マラソンを、2時間30分で走ることができるだろう。
現在の自分にできないからと言って、
木村藤子や宜保愛子のような人を否定してはいけない!
でも確かなことがある。
心の穢れた人は、木村藤子や宜保愛子のようにはなれないということだ。
それは「密度が薄いこと=精神レベルが高いこと」を意味するからだ。
以上の話は、心の穢れた人には理解できないだろう。
すべてのことは、最終的には、神様が管理をしているのである。