なぜ神を信じるか?
現世で何か、いいことがあるから?
お金が儲かるから?
健康になるから?
いい結婚相手が見つかるから?
仕事が見つかるから?
ノーノーノーだ!
理由は、「神が存在するから!」だ。
この美しい自然、
物質の精妙な原子配列、
赤ちゃんの小さな爪・・・
これらが自然と生まれたなんてことがあろうか?
「何かの意志」によって、生まれたのだ。
何事も、誰かが作ったから存在するのだ。
だから神を信じろ!
しかし神を信じ始めて、気づくだろう。
神を信じること自体、生易しいものではない!
神を信じると言っても、
不幸続きの人もいるだろう。
今、日本では、食べ物が溢れている。
でも、食べ物の半分は、体に害になるものだ。
栄養学者のヒット大地は、よくわかっている。
人々は、そういう知識が無いので、
それらを食べ、病気になっている。
それらのものは、業者の「金儲け」によって、生まれたものだ。
これは何を意味するかと言うと・・・
「ただ漫然と生きていたのでは、我々は不幸になるということ」だ。
頭で神を信じても、我々の全身が、神を本当に求めるまでの道のりは遠い。
その間に、神は、さまざまな試練を与える。
病気、失職、失恋、誤解、憎悪、さまざまな失敗・・・
これらの試練を通じて、神は我々に、本当に神を愛することの意味を教えてくれる。
そう。
我々は、人生に何度裏切られても、
神を愛し続けること・・・これが本物の信仰なのだ。
そして、いついかなるときも、今日を最高と思って生きることだ。
もしも、あなたに、子供や弟子がいたとしよう。
そういう子供や弟子に対し、
あなたが、どんなに厳しく試練を与えても、
あなたの言うことに、従ってくるとしよう。
そのとき、あなたは、その子供や弟子に対し、
どう思うか?
きっと、「本当の愛情」を感じるはずだ!
それは言葉では言い表せない深い愛だ。
神様も同じだ。
どんなことがあっても、あなたが神様に従うとき、
神様は、あなたを本当に愛しいと思うだろう!
だから・・・
毎日、どんな不幸があっても、この世を愛し、
毎日、どんなに苦しくても、この世を愛し、人を愛す!
・・・これこそが、真の神への愛なのである。
そして、たとえ、どんなに自分が何か善い事をしても、
それを奢ってはいけない。
どんなに成功をしても、安心してはいけない。
なかんづく、貧者を、さげすんではいけない。
決して、弱者への施しを忘れてはいけない。
なぜか?
なぜなら、善い事、成功・・・は、全て、
神様によって得られたものだからだ。
自分の手柄など、アリンコのアクビほどもないのだ。
神を愛する真の喜びは、いつかわかるだろう。
それは、今まで経験したことのない深い喜びだ。
もちろん、セックスの何万倍の喜びだ。
今、苦しんでいるあなた。
今、不幸なあなた。
自己憐憫は止めた方がいい。
自暴自棄になるのは、止めた方がいい。
今こそ、神を本当の意味で愛するチャンスなのだから!
もう一度、言おう。
神は金儲けのために愛するのではない。
名誉や地位や、何かのために愛するではない。
「神は存在する」から、愛するのだ。
まず神を愛せ!・・・喜びは、そのあとに、従うものだ。
喜びが無いからと言って、神を捨ててはいけない。
それは、喜びのために神を信じていた証拠だ。
どうか、今日も、最高の日だと思って、生きて欲しい。
未熟な者同士、お互い、真の信徒になるために、頑張ろうではないか!
それが人生の最終ゴールだ。
人生の真のゴールは、いくら求めても、神以外には、ない!