アイリス あいりす 

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「プレミアムフライデー?まったく・・・この国はそのうち滅びる」

2017-03-22 11:31:10 | 社会問題 日々雑感

http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/275.html


「プレミアムフライデー? まったく…この国はそのうち滅びるね」 作家・伊集院静が知る「さよならの力」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51180
2017.03.17 週刊現代  :現代ビジネス

■哀しみが完全に癒えることはないけれど

「今日からプレミアムフライデー? まったく……この国はそのうち滅びるね」

目をこすりながら現れた伊集院静は、苦笑まじりにつぶやいた。その日は明け方まで、久しぶりの作詞に勤しんでいたという。

週刊現代の人気コラム『それがどうした 男たちの流儀』をはじめ、手がける週刊誌連載は4本。昨年7月からは、日本経済新聞でサントリー創業者である鳥井信治郎の伝記小説『琥珀の夢』を連載中で、書き上げる原稿は月400枚にも上る。

「毎朝、6時か7時くらいから書いて、夕方6時まで。12時間近くは働きますね。『8時間労働を守れ』とは何のことか? 私の中の労働基準法では、まだまだきちんと働いていないぞという感じ」

意志を持って仕事量を増やしたのは還暦を過ぎた頃からだというが、それには多分に「あの出来事」も影響を与えている。2011年3月11日、仙台の自宅で東日本大震災に遭遇したのは、伊集院が61歳のときだった。

「東北だけでなく、全国各地の神社仏閣が七回忌の法要を行うと聞いたけれど、皆で亡くなった人を悼もうというのは、この国に生きる人としてたいへんいい姿勢だと思いますね。

つくづく、人が亡くなってからまる6年を七回忌というのは、まことによく設定されたもの。

6年経って、完全に哀しみが癒やされることはないかもしれないけれど、それでも、このあたりで今までの哀しみ方を変えないと、亡くなった人たちも浮かばれないかもしれないな……という感情が湧いてくるのが、ちょうどこの頃だから。実際、私の場合もそうだったしね」

■別れを経験して前より強い人間になる

20歳のときに実弟を海難事故で亡くし、30代では、前妻の女優・夏目雅子が27歳で病没するという非業の運命に直面した伊集院。最近も、またひとつの別れがあった。

博子夫人(女優・篠ひろ子さん)とともに育んだ愛犬・亜以須(梵語で「真理のみに従う神」の名)が、天寿を全うして旅立ったのだ。

次々と訪れる、愛する者たちとの永遠の別離。しかし彼らは、嘆きだけを残して去っていったのだろうか? ベストセラーシリーズの最新刊『大人の流儀7 さよならの力』で、伊集院はこんなふうに綴っている。

別離は、私たちに哀しみを与えるものでしかないのだろうか?

それは違うはずだ。いや、違うに決っている。生きることが哀しみにあふれているだけなら、人類は地球上からとっくにいなくなっているはずだ。
(中略)やがて別離を経験した人にしか見えないものが見えて来る

                

「もちろん、若いうちから別れを経験するのはせつないことで、できればしないほうがいいですよ。でも何か、そのことで、人間的な力がつくこともあるのかもしれない。苦しくせつないことを経験したからこそつく、底力が」

つらいのは自分だけではないという諦念。苦しむ人に思わず手を差し伸べたくなる気持ち。

親しい存在との別れ、そして天災のように多くの人を巻き込む悲運に直面して、「さよならの力」とも呼ぶべき底力への確信は、一層堅固なものになっていったという。

それでもやはり、目の前の哀しみは深い。それをやり過ごすためのある方法が、当書に記されている。愛犬を亡くして哀しみにくれる妻に、伊集院はこう言葉をかけるのだ。

〝知らん振り〟をすることだ。それが案外といい。あとは時間が解決してくれる

「追憶というのは残酷なもので、あるときふいに襲ってくる。私も、雪が降るたびに弟と屋根の上で雪を見た日のことを思い出すし、前妻とのつらい思い出があるから、花火は今も見に行かない。

それに、一人の人との別れの中には、たったひとつの追憶しかないわけではなく、一人につき十、十人なら百や千の追憶があるものだから……。

でも、何百回、何千回と思い出してもいい結果にはならないのだったら、知らん顔をしなさいと。それは、哀しみから目を逸らすには、わりといい方法でね」

人は、痛みをかわしながら、別れの哀しみを生きる力に変えていくしかない。まさに彼自身が、そうして現在まで生き抜いてきたように。

「突然のときにはやはり戸惑うし、立ち直るといっても、徐々にでしかない。きちんと立ち直れたかというのも、あやしいところではあるけれども……それでも、少なくともさよならを経験しなかったときよりも、その後の生き方がいい加減ではなくなるのは確かだと思う。

別れた彼らに笑われないためにも、『こんなことをしていていいのか?』と、いつでも自分に問いかけるようになるから。だから私は、さよならには力があると信じているし、それを頼りにやっていこうよ、と言いたいんだ」

■だから私は振り返らずに進む

先日発売された小説『東京クルージング』に続き、3月はエッセイ集『旅人よ どの街で死ぬか。男の美眺』を上梓、さらに夏にも小説の新作の刊行が予定されている。

「サラリーマン諸兄にも言いたいんだが、人生、晩年に入ってから、今までの倍働こうという気持ちでやっていくことですよ。『今までこれだけ働いたんだから』という発想は間違い。

仕事に追われて気力が出れば、体力の衰えが補えるし、さらに今まで蓄積した仕事の経験値でよりよい実績が出せるはずだから。

定年退職をしたときは、車でいえば50万キロ以上走った体かもしれないけれども、今まで以上によく整備をして、よりよく走ってみたら、エンジンはずっと動き続けてくれる。だから、プレミアムはビールだけでいい!(笑)そんなことをしていたら、人生が泡になってしまうぞ、と」

よく働き、よく遊び、67歳の「今」を疾走する伊集院。その行き着く先はどこなのか――そう問うと、「地獄と天国なら、まず間違いなく地獄だね」と不敵に笑った。

「もし間違って天国に行ったら、引き返してきますよ。なぜって? 向こう5000年くらい正座をさせられる予感がするから(笑)。たぶん地獄のほうに知り合いが多いだろうし、油地獄でも針地獄でも、痛い痛いと、閻魔大王が『うるさいからアイツを追い出せ!』と音を上げるまで絶叫してやりますよ」

(文/大谷道子)

「週刊現代」2017年3月18日号より

~~~~~~~~~~

♫ 悲しみが癒えることはないって、本当ですね。

それは相当な長い期間が必要なのだと思います。思い出の中で語りあう想像の世界が人には必要なのです。

辛い思い出がある花火は見ないという話も、とてもよくわかりますね。

思いもよらない事で肉親を亡くした人は、茫然とした時間を過ごすのですが、現実の世界を現実ともわからないように、ただやり過ごすしか、方法がないですね。

傷を癒すというのは、人それぞれです。話すことで気がまぎれることも、ありますし、心を閉じて、ひたすら想像の世界に入り込んで、紛らわすなどです。

そうして、自分と向き合いながら、自分を取り戻すように時間薬が働いてくれるようです。

あせらず、あきらめず、悲しみを乗り越えようとせず、自分を信じることですね。

この国が崩れて行くのを、皆が感じているのです。もう多くの人が見ていてわかっているのではないでしょうか?

政治の腐敗は酷いものです。中央も自治体も、すべて壊されています。企業もです。

ありとあらゆるところから、崩れています。

それまでの日本人の叡智は排除されてきたのですから。当然の事だと思います。

今の社会は、お金の為ならなんでもするという人を使って、なされた策略で出来た社会だからです。

地方にもその波が来ているのは、敏感な人なら、わかるはずです。

このまま世界が終わってしまうかのようですが。それは違うのです。民衆の大きな目覚めによって、世界は変わっていくのです。ですから、私達一人ひとりの真実への認識が、とても大切なことで、それが灯ではないでしょうか?

 


 


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東電OL殺人事件の真相はいつ明らかに?

2017-03-22 09:08:03 | 原発 放射能汚染

http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/686.html より転載

 

http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3426.html


殺された「東電OL」と勝俣会長の浅からぬ関係
(日刊ゲンダイ2011/7/19)

事件の“風化”にシャカリキ

東電の勝俣恒久会長(71)には秘められた過去がある。97年に起きた「東電OL殺害事件」の被害女性(当時39)との接点だ。彼女は慶大卒後、東電初の女性総合職となったバリバリのキャリアウーマン。ところが、夜には娼婦として街頭に立ち、そして殺された。
昼と夜の顔の落差がセンセーショナルに報じられた事件だが、当時、勝俣の役職は「取締役企画部長」で、被害女性の肩書は「企画部経済調査室副長」だ。つまり、2人は直属の上司と部下の関係だったのだ。

勝俣は事件の翌年に常務取締役に就任。以降、トントン拍子で社長・会長に上り詰める。
一方、東電は事件の風化にシャカリキだった。「東電OL殺人事件」を上梓した作家の佐野真一氏によれば、東電側は本のタイトルから「東電」の2文字を削らせるため、広報担当者が佐野氏を豪華な鯛釣り旅行に誘うなど懐柔工作を展開したという。

こうした隠蔽体質が災いしてか、ネット上にはさまざまな臆測が飛び交っている。被害女性が反原発を唱えたので殺されたのではないか、という類いのものだ。被害女性は、河上記念財団や東洋経済主催の懸賞論文に応募、入選を果たした優秀なエコノミストだった。社内でエネルギー源としての都市ガスを分析していたこともある。ただし、原発に関する論文を執筆した痕跡は見当たらない。
「被害女性の父親も東大卒で東京電力に勤務しており、1977年にがんで亡くなっています。亡くなる2年前には、工務部全体を統括する副部長でした」(事件を取材したジャーナリスト)

これもヘェーッという話ではある。原発事故とは関係ないけど……。


http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/583.html

 


当時の殺人現場

 


今も残る殺された円山町のアパート


渡邊女史の父も東電幹部であったが在職中に病死。この父娘の死には原発の影がつきまとうという。渡邊女史の父は東電公務部統括する幹部だったが当時「明るい未来のエネルギー」として期待されていた原発事業にも関わる立ち場にいた。しかし高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ、社内で原発の危険性を説くようになり、副部長という役職からたった1年で降格。翌年ガンで急死・・。その2年後に予測されたかのようにスリーマイル事故が起る。

 当時慶応2年生だった泰子を、東電に引き入れたのはあの勝俣だったという。そして泰子は勝俣が当時企画部長を務めた企画部経済室へ。そこには現在副社長を務める企画管理課長藤原氏もいる花形部署だった。しかし勝俣、藤原の思いとは裏腹に泰子は父の意思を継ぎ、反原発へ。そのリポートは賞を取る程すぐれたものだったという。

 そして・・渡邊親子が警告を発し続けたプルサーマルが本格稼働した1997年、泰子は売春婦として殺され闇に葬られた。泰子の死の翌年、勝俣は常務取締役になり、原発推進事業が加速し、今に至るという。

 泰子を殺した犯人は売春客だったネパール人(実刑確定済み)とされているが、冤罪の可能性が高く、捨てられた泰子の定期など矛盾点も多い。東電の圧力で報道規制をかける事も可能だったろうこの事件。OLではなく管理職だったにも関わらず「売春婦」として報道が垂れ流された、その理由は何なのだろうか。

 そして事件の真犯人、深層は。

(後略)

~~~~~~~~~

♫ 売春婦などしていなかったのでは?

これほどの論文を書いている人を貶めるために、報道されたのでしょう。誰のため?その後とんとん拍子で出世している人をみれば、わかりますね?

これらの事件も、これから明らかにされる時が来るでしょう。

 


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