http://x51.org/x/04/03/0944.phpより転載しました。
世界に残る古代核戦争の痕跡 - 人類はかつて滅びたか
【s8int】「世界が二度と元の姿に戻らない事を我々は知っていた。笑うものはいなかった。泣くものもいなかった。皆、黙り込んでいた。そして私は古代ヒンズーの聖典ヴァガバッド・ギータの一節を思い出しました。"ビシュヌ神は王子に説いた。汝の成すべきことを成せ。そしてビシュヌ神は王子を威嚇する為に多くの手を持つ姿となり、やがて、死となり、世界の破壊者となったのだ・・・"。 おそらく、そのとき、研究者の誰もが、こんな事を考えていたはずです。」これは1945年、人類初の原爆実験マンハッタン計画を成功させ、原爆の父として知られるユリウス・ロベルト・オッペンハイマー博士がロスアラモス研究所所長の辞任スピーチとして語った言葉である。原爆開発への後悔から後の水爆実験に徹底して反対し、辞任に追い込まれた博士はそれから7年後のある日、ロチェスター大学の講義にて「果たしてアラモゴードでの原爆実験が本当に世界初なのでしょうか?」という質問を受け、以下のような意味深な発言を残しているのである。「ああ、近現代においては初めてだろう」。
人類史上初めての原爆実験が米ニューメキシコで行われた時、爆発の高熱に晒された砂漠の砂は、溶解して緑色のガラスのように変化したという。それは砂が一瞬の高熱によって熱せられて溶解し、そのままの姿で固形化するためである。しかし、この実験結果に注目したのは以外にもある考古学者達だった。それまで数年に渡って、凡そ8000年前のユーフラテスの遺跡を掘削していた彼らが到達したのは奇妙な地層だった。それはまるで古代に核戦争があった事を示唆するような、緑色に溶解したガラスの地層だったからである。(写真はオッペンハイマー博士)
原爆実験のような大きな爆発によって、砂に含まれるシリコンが溶解し、緑色のガラスに変色して地表を覆う事は良く知られた事実である。しかし、そうしたガラスが凡そ現代的な核実験からほど遠い世界中の古代の地層から発見された場合、それは一体何を意味するのだろうか。ある科学者は言う。それらのガラスは古代において核戦争、あるいは核実験が行われた証拠に違いないと。これは到底信じられない理論である。しかし、緑色のガラスが地層から現れた事は紛れもない事実なのである。
では一体何故そのような自然に発生しがたい地層が発見されたのだろうか。一つには砂漠への落雷がそうした溶解ガラスを作る事は知られている。しかし、気象学者の見解ではそうして出来た岩は常に木の根のような形をを作るという。このような石は専門的にはフルグライト(閃電岩)と呼ばれ、確かに管状にねじれた独特な形を作るのである。しかし例えそうした落雷が起こったとしても砂漠を覆う程の規模に渡って砂を焼き尽くすなどという事は到底考えられないだろう。そのため、落雷説が原因というのはおそらく間違いであると言える。またその他には隕石衝突説が挙げられるが、そうしたガラスが発見された地層から一切のクレーター(隕石墜落の痕)が発見されない為、隕石が原因であるとも考えにくいのである。
ブラッド・スティガー、そしてロン・カライスが共著した「時間と空間の謎」という本の中に以下のようなエピソードが描かれている。
"マサチューセッツ工科大学卒の史上初のエンジニア、アルビオン・W・ハートがアフリカ内地における開発プロジェクトを任命された時のことである。彼をはじめとした開発者の一団は砂漠を横断し、アフリカの未開地へと向かう険しい道を進んでいた。「その時、彼は説明しようのない景色を目の当たりにして、言葉を失った。それは見渡す限り続く、緑がかったガラスに覆われた広大な砂漠だったのである。」そして文章は以下のように続く。「そしてそれから数十年後、彼は人類史上初めての原爆実験が行われた砂漠を歩き、その光景を見て確信した。それは彼が50年前にあのアフリカの砂漠で見たものと全く同じ光景だったのである。(「岩と鉱物」誌1972年/396号 マーガレット・キャソンの記事「A・W・ハート伝」より)」"
このアルビオン・W・ハートが見たリビアの砂漠では、南北に130km×東西に50kmの卵型のエリアに散布する形で半透明黄緑色のガラスが多量に発見されている。現在では科学者の間ではこれらのガラスは隕石衝突によるものだとされているが、そこから隕石やクレーターは一つたりとも発見されていないのだ。
モヘンジョダロ遺跡の謎
古代核戦争を示唆する遺跡として最も有名なものとして現在のパキスタン南部に位置するハラッパ遺跡、そしてモヘンジョダロ遺跡がある。この遺跡は1921年に発掘され、その遺跡中の路地だった場所からたくさんの奇妙な人骨群(46体)が発見されたことから「モヘンジョダロ(死の丘)」と命名されている。遺跡から発見された人骨群は互いに手をつなぎ合い、埋葬されることなく、ただ路地に横たわっていたのである。それはまるで、そこで一瞬にして多くの人が命を落としたとしか思えないような、異様な光景だったのだ(写真)。
そして調査の結果、人骨群はおそらく紀元前2300年〜2500年前のものであると断定されたが、一体何がこのような異常な光景を作り出したのかという答えはとうとう得られていないままである。また人骨群には時間をかけて腐ったような形跡や、野生動物に肉を食べられたような痕もないため、発掘に当たったハーグリーブズ博士も「ただ一瞬にして集団が異常な死を迎えたとしか思えない」とその印象を語っている。
また同遺跡では、後に調査に当たったロシアの科学者が人骨群の一部から通常の50倍に上る放射能を検出し、更に町の壁からは過去に異常な量の熱を一瞬にして浴びたような形跡、そして多量のガラス片(瞬間的な高熱を浴び、溶解した状態のまま固形化した物質)が発見されたため、まるで核爆発が行われたとしか思えないような異様な雰囲気を発しているのである。しかし同地域には火山もないため、そうした町を一瞬で焼き尽くす程の高熱が一体何によって作られたのか、謎は深まるばかりである。
また発見された人骨群は炭素年代測定法によって紀元前2500年頃のものであると判明したが、万が一放射能を浴びていた場合、それは確実に判別結果に影響を及ぼす為、おそらくはもっと古いものであると考える事もできるだろう。
そして更に、インドのボンベイ付近からは大量のクレーター跡も発見されている。最大のものは直径凡そ2.1kmに上るもので、年代は凡そ5万年前に遡るという。しかし奇妙な事に同クレーター付近からは原因となるべき隕石自体は一切発見されず、巨大なクレーターのみがそこに残っているのだ。調査によれば、そのクレーターを作った衝撃はおそらく600,000気圧という凄まじいものであり、更に同クレーターからはモヘンジョダロを始めとする一連の遺跡と同じように、ガラス質の地表、そして「瞬間的な高熱」の跡が発見されているのである。
古代インドの2大叙事詩「マハーバーラタ」、「ラーマーヤナ」に描かれる神々の戦争のシーンには、まるで核兵器であるかのような強烈な光と熱を放つ大量破壊兵器(アグネアの矢)が登場する。さらに聖書の創世記では神の怒りに触れた町「ソドム」と「ゴモラ」が一瞬にして灰と化すシーンもある。これらの文献、そして遺跡に残された核戦争の面影は、我々に一体何を語りかけているのだろうか。人類は既に一度、いや幾度にも渡って核爆弾で滅びているのだろうか。
【参考】モヘンジョダロ遺跡の語るもの | マンハッタン計画 | オッペンハイマー
人類は「核戦争」を経験していた!? | BBC WWII Photos | MushroomCloud Gallery
2004.03.09