東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

小井戸光彦 訳,ベルナルダン・ド・サン=ピエール 「フランス島への旅 」, 2002

2006-10-04 20:55:38 | 翻訳史料をよむ
『17・18世紀大旅行記叢書 第2期 1』,岩波書店, 所収。

こんなものが翻訳される時代になったのである。
しかも「17・18世紀大旅行記叢書」の1冊である。
「こんなもの」というのは、どんなものかというと……

わたしがこのベルナルダン・ド・サン=ピエールという人物の名を目にしたのは、たぶん荒俣宏の『別世界通信』(月刊ペン社)じゃあないだろうか。
ちくま文庫で再刊されたものも、オリジナル版も今現在手元にないので、うら覚えの記憶で書いているのだが、幻想文学、ファンタジーのルーツとして、サン=ピエールの『ポールとヴィルジニー』という小説が挙げられていたような気がする。
と、下書きしてから、現在入手可能な『別世界通信』をチェックしてみたが、上述のような内容はない。
と、すると、たぶん、『幻想作家大事典』で読んだんだろうが、これも手元にないし、チェックするのも現在不可能。(買った本は保存しておきましょう、といいたいが、どうせ忘れるものは忘れるし、無くなるものは無くなるのだ。本はどんどん捨てよう!保存するのは荒俣宏さんのような達人の金持ちにまかせておけばいいのだ。)

絶海の孤島でくらす美少女と美少年の物語ですよね、たぶん。
こんなものが、ゴシック、ファンタジーの分野から光をあてられるというのが、当時(つまり、『幻想作家大事典』が刊行された当時)理解できなかった。

その後、荒俣宏氏は、ご存知のように、博物学と美術、自然科学と幻想文学の境界線上の思想・文学・印刷物を衆生に説き、われらの蒙を啓いてきたわけである。
その結果、ヨーロッパの自然科学・博物学、啓蒙思想・政治思想・経済学、幻想・ホラー・ゴシック文学、そんなものが、実は、同じルーツからでたもの、ヨーロッパの異文化遭遇体験と植民地支配の状況から生じたものである、と、まあ、大雑把にいえば、そういう経路、体系を、われわれ一般人も理解することができるようになったのである。
そして、ヨーロッパ人の異文化遭遇体験資料を翻訳してきた『大航海時代叢書』『17・18世紀大旅行記叢書 第2期』の一冊として、本作品が翻訳されることになったわけだ。
めでたし、めでたし。

この第2期、フンボルトの南アメリカ旅行記まで、つまりダーウィンのビーグル号航海記の直前までの旅行記を収録している。
これらの旅行記の背後に見え隠れするのは、モンテスキュー、ルソー、ディドロといった、啓蒙思想家(もしくは、トンデモ妄想家、お尋ね者犯罪者)である。
ジャン=ジャック・ルソーなんぞ、このシリーズの著者たちからみて、かなり評判が悪い。

それでは、本書のサン=ピエールは、どうかというと、じっさいに海外に飛び出して見聞をひろめたにもかかわらず、書斎の妄想家とどっこいどっこいである。(妄想家であり、お尋ね者のルソーの後継者と捉えられることもあるようだ)
インド洋の島まで旅をするわけであるが、このシリーズに収録されたクックやゲオルク・ フォルスター に比べると、観察力が弱く、屁理屈力がまさっている。

たとえば訳者の小井戸さんが、奴隷制度にたいするサン=ピエールの矛盾した態度を指摘している。
奴隷制批判も、このシリーズ全体を覆う時代の思潮である。
そうではあるが、個々の論考、旅行記を読んでいくと、それぞれトンデモ論を展開し、好き勝手なことをぶちまけていた、ということがわかる。
決して、今日ふつうに用いられる言葉の意味で、理性の時代でも、人権の時代でもないのだ。(と、現在から見て容易に批判できるが、では現代人は、理性的で、この時代の人々よりも人権を尊重しているかというと、そんなことはないわけである。環境問題・エネルギー問題について一家言ある方がおおぜいいらっしゃると思うが、当時の奴隷制批判・反批判と共通する論旨があふれている。)

東京外語大のサイト、
http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ase/cam/top/ot01.html
カンボジア関係書が紹介されているが、『ポールとヴィルジニー』が、カンボジア文学に影響を与えた作品として挙げられているんですが、ホントですか!!