東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

井上耕一,『アジアに見る あの坐り方と低い腰掛』,丸善,2000

2007-07-26 10:05:24 | フィールド・ワーカーたちの物語
本書はすごい。
誰でも見ていながらみすごしていた、あの坐り方、つまりウンコスタイル、ヤンキー坐り、(漢字であらわすと、蹲(そん)・踞(きょ)などの文字があてられるが、漢書に記されているものが実際どのような坐り方だったのかは、かならずしも明らかではない。)東南アジア各地でみられる人々の坐り方である。
「低い腰掛」とは、風呂屋の腰掛のような(と、いっても最近、銭湯のイスは高くなる傾向があるが)、地面(床面)から10cmから25cmくらいの腰掛のこと。

著者は、デザイン雑誌の編集、デザイン史、建築史研究者。
東南アジアの旅はタイの少数民族地域からはじめ、次いで中華人民共和国の少数民族自治区、ベトナムやラオス、ミャンマーの山岳地域へ足をのばす。本書にはシッキム・ティンプー・トラジャ(それに東京の渋谷)の写真も少々掲載されている。

著者が引用しているごく少数の文献を除き、先行研究はほぼ皆無。
しかし、漢民族やヨーロッパ人の目をひいたことは確実であり、旅行記や見聞録に記録が残っている。
われわれ日本人からみれば(といっても、最近事情が変わってきたようで、後述する。)あったりまえのような、「あの坐り方」は漢民族をのぞいた東アジア・東南アジアに普遍的に存在する、日常的な姿勢であるようだ。

そもそも、そんな理屈をつけたり、たくさんの証拠を持ち出すまでもなく、「あの坐り方」は、排便に不可欠であり、正常な骨格の人類ならば誰でも可能であるはずだが、ヨーロッパでは古くから衰退した。(こっちのほうが、謎である。)
しかし、便所の構造から考えれば、中東からインド(そしておそらくアフリカ全域も)まで、あの姿勢はだれでも可能な姿勢であるはずだ。

さらに奇妙なのが、あの低い腰掛。
著者は、あの低い腰掛を調理・軽作業・機織などのしゃがんだ姿勢での作業と関連して考察する。
本書全体は、明確な結論を出そうとしたものではなく、なるべくたくさんの実例と写真を紹介したものである。
だから、考古学的考察(土偶や腰掛の遺物)や起源をめぐる論議よりも、広範な観察と写真のほうが読者をひきつける。

低い腰掛に注目したのはすごいが、もうひとつ奇妙なのは、低いイス、つまり背と肘掛がついていて、尻と大腿部がおさまる大きさのイスであるが、異様に低いイスである。
これは西洋か漢族のイスがアレンジされて導入されたものらしい。(日本でも、ちょっと前まで、不釣合いな応接セットが多くの家庭にあったんですよ。じゃまくさく、楽でもないので、そのうち粗大ゴミとして処分されたんですが。)

各地で西洋化もしくは漢化によって、椅子がもちいられるようになっている。
が、椅子にすわる姿勢というものは、どうもリラックスする姿勢とは思えない。また、作業をする姿勢でもない。
もともと椅子というもの、権威の象徴として発達したものらしく、ヒトの骨格や筋肉に負担をかけるモノであるらしい。
わたしなんか、しゃがむ姿勢も足に負担がいって長く続けられないが、椅子に長い間すわっているのも苦痛だ。

しかし椅子に腰掛ける生活は、東南アジア・東アジアにどんどん浸透している。
学校やオフィスがそうであるし、食堂もテーブル式になると、高いスツールやベンチが導入される。
それに、車の運転やモーターバイクは腰掛ける、またがる姿勢ではないか。
そういえば、パソコンも腰掛けて使うように設計されているんだろうか?(今、わたしは椅子の上にあぐらをかいてキーを打っているんだが。)
権威の象徴やみせびらかしの財貨としての椅子があったが、現代的なさまざまな作業、道具によって、椅子に腰掛ける姿勢も急速に広まるだろう。

ともかく多数の写真を撮り、観察した著者の労作。(文章は少なめで、軽く読める)


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