東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

佐々木高明,『照葉樹林文化とは何か』,中公新書,2007

2007-12-20 21:35:32 | フィールド・ワーカーたちの物語

決定版だ。
もう、これ以後、照葉樹林関係の本を読むのはやめる。
これ一冊で終わり。

中尾佐助という人物は偉大だ。
彼の提唱した仮説、仮説だよ、仮説!照葉樹林文化論は、その後のフィールド・ワークで検証され生態にかたどられた物質文化である。中尾佐助の仮説は正しかった。
しかし!
〈東亜半月弧〉というような魅力的な命名は、少々むりがある。実際は、アッサム・雲南から日本列島西部まで続くのはたしかだが、広大な長江以南の地域も含んでいる。
江南では、歴史時代に照葉樹林帯が消滅したように、雲南・貴州の山地からも照葉樹林は消滅している。
残ったブータン・シッキムから西日本のわずかなポケット地帯から証明された仮説である。

では、中尾佐助はなぜこの魅力的な仮説を考えたか。
それは、(ここからがわたしの判断だが)やはり、中国と日本の伝統を切り離したかったからだろう。
ちょうど、江上波夫の〈騎馬民族説〉が、シナ文明と日本列島を切り離したかったのと同様のメンタリティだろう。
〈騎馬民族説〉はトンデモだが、照葉樹林文化はたしかに存在し、実証できた。
しかし、それを、日本文化の起源とか、日本人の源郷ととらえるのは、やはりおかしな方向へいってしまう。

わたしとしても、日本列島に共通する文化として、ヒマラヤ山麓東部まで続くものがある、とする説には感動するが、それのみを日本文化の源流とするのは誤りである。
また、こちらが重要だが、ヒマラヤ山麓東部から東南アジア北部、華南、台湾までを、日本文化のルーツとしてだけ強調するのは完全におかしい。

さらなる間違いは、照葉樹林文化と稲作を結びつけたことである。
その点は、本書の研究史と第3部の対談にくわしいが、やはり照葉樹林帯の文化として稲作をとりあげるのはむりがあったようだ。

誤解をさけるためにつけ加えると、現在の照葉樹林帯では、稲作は重要な要素である。しかし、日本列島で稲作が重要であるのは移入文化であるのと同様、かの地での稲作も移入文化である。

という基本をしっかり認識するために読むべき本。
ほんとに40年間よく研究してくだすった。


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