東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

増田義郎 訳,アコスタ,『新大陸自然文化史 上』,1966

2007-10-29 18:15:15 | 翻訳史料をよむ
『大航海時代叢書 第1期 第3巻』、原書は1590年。
このシリーズをまだ1冊も読んでいないかたには、まずこれをおすすめする。

東南アジア関係では有名なトメ・ピレスやリンスホーテン、日本関係で有名なルイス・フロイスなど第1期収録であるが、いきなりこれらに齧りつくのはたいへんだろう。
史料としては貴重だが、読みにくいことおびただしい。

このシリーズの読みやすさ読みにくさは、訳者のせいではない。原文が草稿段階で読みにくかったり、地名や人名が現在のものと違って読みにくい、という要因が大きい。
その点、このアコスタは、スペイン語としてしっかりとした文章らしく、叙述も平明でよい。
上下2巻で、下巻のほうの目次をみると、インディオの風習・宗教・統治形態・技術などが考察されおもしろそうだが(おどろおどろしい挿絵もあり)、上巻のほうがわたしにはおもしろい。
目次を見て、アリストテレスだのプラトンだのが出ていて、こりゃあかんと本を閉じたくなる人もいるだろうが、ちょっとまって。

本書は、新世界つまりペルーやカリブ海沿岸、メキシコの自然に遭遇したヨーロッパ人の動揺と思考が説かれている。著者はイエズス会聖職者でペルー管区長を務めた人物。
実際の観察をもとに、古代の哲人や聖書学を問いただし、真理を模索する冷静な文章である。
かたくるしい神学的論議や哲学的思索がでてくるのかと読むのに躊躇するが、内容はひじょうに平明で論理的。やたらと文献をもちだすタイプでもないし、オカルト的なほうへトンでしまうタイプでもない。

たとえば、地中海地域では、冬に雨がふるけれども、ではペルーなどでも同じ時期に雨がふるので、これを「冬」というべきか?いや、夏、冬の区別は子午線上の太陽の高度によって決めるべきであって、ヨーロッパでは「冬」の時期をペルーでは「夏」と呼ぶべきだ。
というような議論。ばかばかしいようだが、こんなことを真剣に論争していたのである。
そして、新大陸の人間の起源はどこからか?ノアの子孫か?というような議論も冷静に推理する。帰納と演繹から推測するのであって、こんにちの科学の方法とは異なるが、論理的思考、説得の手順など、近代科学の萌芽をかいまみせている。
まあ、ときどきとんでもない方向にいって、そこがさらにおもしろい点でもある。聖書の記述を本気で信じる立場の人間が、真剣に、論理的に、矛盾に対峙しようとする姿勢が読みとれる。

天文学や磁力、気象、鉱物などハードな話題とともに、動物相の違いや作物の話題もある。うっかりハードと書いたが、当時、「物理」「化学」「生物学」「農学」という区別はもちろんない。
人間を含め、あらゆる事象を観察し、ヨーロッパのことがらと比較して一般化しようとする試みがあるわけだ。
水銀アマルガム法、トウガラシ、バナナなど、アジアに影響をあたえたものが、アメリカ大陸でどのように観察されたかも記されている。
あっと、バナナは東南アジア原産で、ヨーロッパ人のアメリカ移住にともなってアメリカに導入されたものと、注にある。つまりそれ以前、アメリカにバナナはなかった、ということ。(これは定説がゆれているようだ。トウガラシに関しても異説あって、東南アジアにも近縁種があったとする説もあるが、アメリカ原産が世界中に広まったと考えてよいでしょう。)

注や補注が完備。こんなのあたりまえ、というようなことから、神学・魔術・民族学・言語学関係の親切な注たくさん。1960年代に本書を訳した先人の苦労をしることもできる。

高山病(もちろん、当時、原因は不明である。)にかんする記載があったり、熱帯が必ずしも猛暑でないことなど、ふつうの旅行者としての記録もあって楽しい読み物でもあります。


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