東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

小宮まゆみ,『敵国人抑留』,吉川弘文館,2009

2009-12-28 23:19:48 | 国家/民族/戦争
労作である。わたしの知るかぎり類書なし。
ドイツ人に関しては『戦時下のドイツ人』集英社新書, があるが、総合的に戦時下の外国民間人を扱ったのは本書一冊だけではないだろうか?

まず、よっぽど外交史や戦史に詳しい読者でないと、背景知識がない。
大東亜戦争終了時の中立国はいくつあると思いますか?

スイス
スウェーデン
ポルトガル
アイルランド
アフガニスタン
バチカン

以上六カ国である。
スペインはどうした?かというと、1945年4月国交断絶。
アイルランドが中立国?1943年5月に日本国総領事館設置により、中立国になる。
ドイツは降伏により、自動的に敵国扱いになる。(三国同盟の規定による)
ポーランドは45年6月統一臨時政府樹立、対日宣戦布告。

そういうわけで、開戦時は、アメリカ、ブリティッシュ・コモンウェルス、オランダ、それにギリシャやベルギーなどのヨーロッパの連合国側だけだった敵国人がどんどん増えていく。
最終的には、イタリア人・ドイツ人・フランス人・スペイン人・ポーランド人も敵国人として抑留することになる。

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本書の緻密な調査の中で一番驚いたのは、秋田県鹿角郡毛馬内町のイタリア人収容所である。毛馬内!内藤湖南が生まれた山奥じゃないか。
そこの毛馬内カトリック教会にイタリア大使はじめ外交官、それに大連・ハルピン・台北から移動してきた領事館員が収容された。
ここは著者自身が聞き取りにでかけている。まずまず平和な生活であったようだ。よかった、よかった。

もう一か所、秋田県内では、平鹿郡舘合町へ厚木市七沢温泉の女子抑留者が移されている。本土決戦にそなえ「相模湾上陸作戦」阻止のため、敵国人抑留者を移動させたのだそうだ。

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以上の例を含め、すべての収容所の収容人数、死亡者、移動が克明に調査されている。
ほとんどが合法的な処置であり、赤十字などへ情報公開しているのだが、秘匿された例もある。

もっとも悲惨なのは、アッツ島のアリュート人。
敵国人ではないから殺すことも捕虜にすることもできず、アメリカ側の攻撃が予想される中、小樽へ移送される。
結核などで半数近く死亡。
彼らの存在が赤十字国際委員会は報告されるのは1945年8月14日。
実は、彼らアリュート人は戦争終結後、こんどはアメリカ政府にたらい回しにされ、結局アッツ島へ帰還することはかなわなかった。近くに核実験場があるように、軍事上の要所とされたためである。

秘匿された抑留者に、オランダの病院船オプテンノール号乗組員がいる。病院船を拿捕し、さらにそれを改装して日本軍の病院船に使ったという国際法違反を隠蔽するためであったらしい。
この乗船員では、オランダ人船員が抑留されたことは当然として、インドネシア人下級船員も抑留されたのである。(インドネシアという国籍はなかったから、どういう根拠だったか不明。というより完全に違法ですね、一応大東亜の同盟国であったのだから。)