東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

ウォーレス,『マレー諸島』,その2

2007-10-15 18:11:08 | 自然・生態・風土
前項に関連して、過去にアップした文(2006年3月18日から)を日付をかえて、よいしょっと移します。スパゲッティ・モンスターの啓示をうけて、ID論をあざわらうのは、ある意味かんたんであるが、日本の状況をみると、笑ってばかりもいられない、ということ。

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進化論について。

わたしのブログで今後も進化論にふれることがあろうから、わたしの進化論についてのスタンスを述べておく。 まず、現代の進化学については、わたしの数学能力の限界をこえていて、よく理解できない。純学術的な進化学にはロナルド・フィッシャーらが開発した統計学的・解析学的な理解が不可欠であるらしく、わたしの手におえない。
それでもドーキンスの『利己的な遺伝子』やグールドの『ワンダフル・ライフ』のようなエッセイは読めるし、好きだ。
ドーキンスやグールド、それに日本では長谷川真理子、佐倉統のエッセイぐらいは読めてます。

その結果わかったことは、ダーウィンについてはもちろん、最近のDNAや遺伝学についても、なあんにもわかっちゃいない妄説が流布していることだ。アメリカ人の進化論に対する嫌悪感は笑い話になっているが、日本でもおなじような妄説がまかりとおっている。
(それと同時に、進化の原因は、やはり自然選択だけでも、性選択を含めても解決できない要素があるんじゃないかという予感がするのだが。)

こうしたなかで、日本で流通している今西錦司の進化論は、ひじょうに有害である。ナイーヴに今西進化論をもちだす人は、たいていダーウィンも今西錦司も読んでいない。
わたしも自分のことは棚にあげて人のことはいえないが、今西錦司の進化論はダーウィン以上に抽象的で難解である。今西の自然観察や博物学の著作はおもしろいが、進化論になると、わたしはほとんどわからない。
だから、今西説を真剣に批判した柴谷篤弘や池田清彦の著作も、よくわからん。柴谷篤弘や池田清彦の進化論以外の著作はおもしろいですよ、念のため。
わたしのブログには、今西から影響をうけた中尾佐助や梅棹忠夫、高谷好一の著作がたびたびとりあげられているが、だからといって、今西進化論を理解しているわけでもないし、ましてや擁護するわけでもない。

ただ、ダーウィンにも今西にも、そしてアルフレッド・ウォーレスにも共通するのは、自然を観察することそれ自体が楽しいという博物学的態度である。この博物学的精神が現代科学を生んだものだ。

そして、ここが重要なことだが、このような博物学的精神は、やはりヨーロッパの暴力・キリスト教・植民地支配のなかで生まれたものではないかな?という予感がするのだ。(同様に、今西錦司があれほど深く自然を観察できたのも、その背後に、富と権力があってのことではないか?)

労働者階級のウォーレスがマレー諸島で進化論にたどりついたのも、彼がはるばるイングランドからマレー諸島にたどりついたためである。彼のような労働者階級のものがオランダ領のマレー諸島、現在のインドネシアまでたどりつけたことこそ、ヨーロッパ、あるいはブリティッシュの強さだと思う。