◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

平成30年(2018年)あけましておめでとうございます。

2018年01月11日 | 今泉章利
皆さま、あけましておめでとうございます。皆様のご多幸を祈念申し上げます。
本年は、慰霊像の清掃、賢崇寺における法要の実施、そして公開されました国立公文書館の資料の研究をつうじて、諸霊を偲び、慰霊の誠をささげたく存じております。何卒宜しくお願い申し上げます。

扨て、昨年(2017年)はいろいろななことがありました。感謝の気持ちを込めて思いつくままに、書かせていただきます。

1.2017年8月25日 国立公文書館
念願だった「事件訴訟記録」が次のように、東京地検から、国立公文書館へ移転し、公開されました。
8月25日付の公文書館のホームページには次のように書かれています。
QTE
3)軍法会議関係文書(平成28年度受入分)
法務省 判決原本綴等 384冊 本館 (注:竹橋の公文書館本館のこと、なお384冊には二・二六事件以外の軍法会議以外分も含まれている)
私の8月31日にブログにも多少かいておりますが、私の東京地検で書いたメモノートによれば:
訴訟記録32巻、 行動隊記録29巻、 不起訴13巻、 裁判書1冊、事件簿4冊、 被告人索引簿 とあります。
なお、この資料は、まだ、地理的関係もあるのか、御関心が薄く、なかなかご覧になられる方も少ないのですが、是非とも、オリジナルのーターをご覧になり、賢崇寺や渋谷宇田川町の慰霊像の御参拝など賜れば幸甚に存じます。昭和の時代の悲劇に巻き込まれ、とことん兵を愛していた若き将校たちの気持ちが、少しお分かりになると思います。事件の首謀者はすべて処刑され、関係者を予備役においやった所謂「軍閥」将官たちが、始めた戦争、すなわち日中戦争からの悲惨な戦争は、ついに「兵」を「モノ」のように扱い「特攻」「玉砕」や「インパール」などをへ、多くの国民を巻き添えにして終戦を迎えました。

2。弘前にお住まいの波多江たまさま、103歳になられました。お兄様の對馬勝雄中尉をここまで思われ続けておられるお気持ちに深く敬意を表するものであります。

3.11月13日、末松建比古様が、初めて拙宅に来てくださり、小生の持っている資料等をご覧になり、様々な意見を交換いたしました。また、「二・二六事件諸士 遺詠集」(初版昭和27年7月12日)に,末松太平先生が鉛筆で遺詠を追加された者を見せていただきました。例えば、西田税様のうたには、「かの子達はあをぐもの淵に、、」などを書き加えておられました。(外にもたくさんあります)太平さまのお気持ちが、心に染み入る様な気がいたしました。お許しが得られれば、末松太平追補版としてこの遺詠集を、印刷したいと願っています。

4.6月、田中孝さま、御子息の千晴様のご案内による田中勝中尉のお墓参り(埼玉県児玉郡安光寺)を行いました。(下関のお墓のお骨を改葬したものです。墓石はそのままだそうです)なお、12月に、有志によるお墓参りを行いました。

5.これまで何度かお問い合わせのあった、仙台の郷土研究家の中嶋久壽さまの「村中孝次と仙台」(B5で6ページ)という研究論文が、仙台郷土研究(復刊第42回第2号、平成29年12月)に掲載されました。ご興味のある方はご連絡くださいませ。

本年もよろしくお願い申し上げます。

今泉章利(慰霊像護持の会世話人代表)

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