◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

渋川明雄様からのメールです。亀川日記です。

2009年03月01日 | 今泉章利
コメント欄では小さいかもしれませんので、それを以下のようにコピーいたします。渋川様ありがとうございました。
以下は渋川様のコメントです。

満川亀太郎は拓殖大学教授。大川周明、北一輝等と猶存社を設立。西田税は、士官学校時代に満川に傾倒し接触した。そして、北一輝を紹介される。満川、西田は「大学寮」の講師をつとめる。
満川亀太郎日記
昭和3年9月23日・・午後、伊東六十次郎(東大生)、加藤春海(東大生)、渋川善助(明大生)の三人が満川亀太郎宅を訪問する。・・(この三人は、西田税の「天剣党」「志林荘」の同志リストに名を連ねる)
昭和5年5月10日・・午後5時から伊東六十次郎、加藤春海、渋川善助、平田九郎、雨谷菊夫を集めて記念会を開く。・・(平田九郎は拓大生。加藤、渋川と昭和4年に「学生興国連盟」を設立。雨谷菊夫は、弘道学会幹事、文学士。この年満川は「興亜学塾」を11月3日に開塾する。雨谷は東洋政治学の講師。渋川は塾生となる)
同年10月17日・・渋川は満川宅を訪ね、金昌俊、石川龍星を紹介される。・・(この二名は不詳)
昭和6年1月24日・・渋川と小島某は、満州教学問題に付き渡満する、と。・・(石原莞爾日記では、1月28日夜、渋川氏来訪、教学問題ニツキ論題シ一泊シテ帰ル、1月30日朝、渋川帰京ノ挨拶ニ来ル・・とある)
同年7月20日・・拓大生を率いて東北遊説に行く。同行者、小林正夫、石山正夫、吉田武男、吉田豊隆、花田武夫・・(昭和7年5月吉田豊隆、石山正夫は、水上源一(日大生)と「救国学生同盟」を結成。同年9月、遊説に同行した5人は、「皇国青年芳流会」を結成。昭和8年の「埼玉挺身隊事件」で吉田豊隆起訴。石山正夫、小林正夫、水上源一、渋川善助検挙される。
同年9月2日・・気仙沼に遊説に行く。翌3日気仙沼で渋川善助合流する。
以上、水上源一さんと善助さんは拓大生と深く関わっていることが解ります。水上さんと満川亀太郎を中心とする拓大生との関係、特に吉田豊隆が糸口になるのかもしれません。

(以上は、渋川様のコメントでした。)

今泉章利  

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続きです (渋川明雄)
2009-03-01 16:31:56
水上源一さんの名が見られるのは、昭和7年5月に水上さん曰く「真に捨石となるべき人物を選ぶ」ため(2007.11今泉氏報告参照)に「紫雲荘」橋本徹馬の多大なる援助により結成された「救国学生同盟
」からです。この同盟員の中に日大「国司会」の中心
人物である、松村正義がいます。「国司会」は、「学
生興国連盟」が結成されたと同時期の昭和4年11月
に結成され、日本大学学内に侵入する左翼運動に対抗
するために組織された。「救国学生同盟」は分裂によ
り消滅するが、昭和9年3月頃、同盟員であった日大生松村正義、小林哲夫が、姻戚関係にあった橋本徹馬
、水上源一さんの叔父であり、日本大学総長紛争問題
当時山岡総長派として暗躍したる戊申倶楽部佐藤儀蔵
の後援により、また、水上源一さんの了解を得て「救
国学生同盟」を再興している。結成直後、小林哲夫は
、「宇垣朝鮮総督暗殺事件」を起こしたが未然に発覚
したが、水上さんは自宅にて逮捕されている。
水上さんが「救国学生同盟」を結成するまで単独で活
動していたとは考えられず、「日大入学当時校内は左
翼化していて、左翼学生の演説最中に国体観を述べた
が弥次られ」(2007.4今泉氏報告参照)ている
ので、個人一人の力ではどうにもならぬと考え、学内の愛国団体に所属したと見るのが自然であろうと思う
のですが。
国司会は、水上さんの考えと一致しているし、国司会
の中心人物と深い関係にあるので、水上さんは、国司
会に所属していたと考えられると思うが。そのへんの
資料が日大にもしあればと思います。
水上さんと善助さんとの関係で一人気になる人物がい
ます。明大生の林貞四郎で、昭和4年11月「学生興
国連盟」結成時の主要人物です。出身が北海道のよう
で、後に小樽市の核心社北海道支局の代表者で、直心
道場とは緊密な関係にありました。日大には「北海道
会」が確かあったと思いますが、水上さんの活動を通
じて、この人物を通じてもしかしたら知り合った可能性もあると思うのですが。
また、最近入手した本で、鹿児島七高から東大に入っ
た、四元、池袋氏コンビが、入学後学内の愛国団体「
七生社」に所属し、昭和5年4月には拓大教授安岡正
篤主宰の「金鶏学院」に加藤春海と一緒に入り、寮生
となり、昭和6年3月にこの3人は卒業しています。
また、善助さんが、加藤春海との関係だと思うが、同
寮に止宿していてその3人とは同じ寮に居たことを知
りました。そして、井上日召が昭和5年11月から同
寮に起居し、その時に四元、池袋は井上に共鳴し、共
に革命事業に従事することを誓ったということです。
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