松本健一氏の逝去を知る。
昔々、松本健一青年(東京大学在学中の頃?)は、末松太平の家を何度か訪ねていたらしい。
そういうこともあって、松本氏は対談などで“末松太平から聞いた話”を披露することも多かった。
なかには「士という文字について」のように、長男の私でさえ聞いた事がない話も披露されている。
私が松本健一氏と初めて出会ったのは、賢崇寺の法要の時である。
既に、末松太平の死去から十年ほどが経過していた。
その後の交流はなく、年賀状の交換も行っていない。
松本氏からは「末松太平事務所」に長文のコメントを戴いたことがある。
しかし、彼自身の希望で《非公開扱い》にしていた。
コメントの内容は「理想日本」に関する事柄で、実に5回連続の投稿であった。
私に言わせれば、特に《非公開扱い》にするほどの内容ではない。
何を勿体ぶってるんだ…と、いささかムッとしたのも事実である。
松本氏の意向などは無視して 載せてしまおうかとも思ったが、
今までは 非公開のままにしておいた。
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「粛啓
ご尊父の薫陶を受けた者です。
まさかり南瓜の種もいただき、当地でも育てました。
懐かしい思い出です」
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これが 最初のコメントである。
以下《非公開でお願いします》という条件付きのコメントが、5回連続で寄せられた。
今、読み返してみても《非公開》を要求する意図が判らない。
そもそも、松本氏が所有していた「理想日本」は、末松太平が進呈したものである。
末松太平から仕入れた知識を自分の著作には利用し「末松太平事務所」には《非公開》を求める。
公開する人、しない人、考え方は《人それぞれ》ということだろう。
《松本健一著「評伝北一輝」2004年7月・岩波書店刊》が、中公文庫に加わった。
ウオーキング途中の書店で「評伝北一輝(4)二・二六事件」を手に取り、目次をチェックする。
《第5章 二・二六事件まで(末松太平、磯部浅一、村中孝次:「改造法案」をめぐる対立ほか)》
末松太平も登場するが チラリと眺めただけで購入はしない。手元に置きたいほどの内容でもない。
末松太平(1993年死去)も 松本健一著「評伝北一輝」という書籍には出会っていないのだ。(末松)