◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎座談会「二・二六事件を現代に問う」◎

2021年03月08日 | 末松建比古
◎出席者/末松太平(元陸軍大尉・現在87歳)+相沢正彦(相沢三郎中佐の子息)+山口富永(昭和史研究家)+司会=山田恵久(国民新聞・主幹)。
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※今回のタイトルを見て「現在=2021年」と思われた方が多いと思うが これは傘寿老人(私)による一種のギミック。
実は1992(平成4)年2月25日付の国民新聞に掲載された座談会で、今では全員が出席者全員が故人となりました。



※座談会の全文を転載しても お読みになる方も(書き写す私も)疲れるだけだから 要点(大きな活字の見出部分)だけを羅列して構成してみたい。それだけでも 座談会の流れのようなものが感じ取れる筈である。
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※《永田一派の罠にはまる》
●金融恐怖で農村が疲弊● 末松=軍の改革目指した村中。山口=大岸は「米騒動」を画策。山田=「第五連隊」上京計画も。
●統帥権干犯問題を問う● 
●統帥権は軍人にとっては命● 末松=永田斬殺に大岸は反対。山口=真崎は再三勅許を申請。山田=永田が真崎追放を画策。
※《決起の時期誤る青年将校》
●相沢裁判の勝利を目指す● 相沢=真崎大将は急進派を制止。末松=柳川中将の台湾行が契機。山口=澤地氏には先入観がある。 
●ロビンソン検事は正しい● 末松=事件前に陰謀があった。相沢=人間の記憶は変化する。山口=公的資料の公表に期待。山田=朝日新聞も襲撃された。
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※末松太平や山口富永と違って 相沢正彦の「執筆文書」や「発言の類い」は殆ど公表されていない。
ということで この座談会の《相沢発言の部分》だけは 少し丁寧に紹介したいと思う。

●末松「(直ちに決起することより)公判闘争をやろうというのが我々の考えであった。だから二・二六事件は決して青年将校の一致した行動ではない」
●相沢「二・二六事件は、真崎大将が相沢裁判に出廷した翌日に行動を起こした。(後日、真崎大将邸で大蔵栄一大尉からも聞いたのだが)とにかく相沢裁判を有利に導いて、全国的な啓蒙運動を行い、これを生かして軍部の革新をやろうとした。私は真崎大将からそのことを直接聞いた。二・二六事件はもっともやってはいけない時期にやってしまった。結局、今になってみると“ものの弾み”というほかない」
●山田「相沢中佐を裁く第一師団軍法会議の裁判長になる柳川平助第一師団長は、相沢事件直後、台湾軍司令官として飛ばされてしまう。相沢中佐に肯定的な立場の柳川中将が解任されれば、法廷闘争はうまくいかない。青年将校は焦慮せざるを得ない」
●相沢「二・二六事件研究家の高橋正衛や作家の澤地久枝などの集めている資料からは、二・二六事件の真相は判らない」
●末松「資料屋は“真崎が巧みに情報を青年将校にリークして操っていた。だから真崎が事件の責任者である”という論理で説明する。しかし永田鉄山が真崎を更迭する前から存在していた“陰謀”から話さないと、真相はつながってこない」
●相沢「昭和三十年ごろ辻政信に会った。辻さんは私の手をとって『相沢さんのお父さんは本当に正しかった。ただやり方がちょっとまずかった』と言っていた。最近感じることは、人間の話というのは、現在の状況判断で過去のことを話したりするが、生き証人だとか書いたものも甚だあてにならない。例えば、私は北一輝のお宅に父と一緒に伺ったことがある。東中野の豪邸で、その時私はホテルに行ったような感じがした。しかし、その時の私は四歳ぐらいで、ホテルのようかどうか判断つかない筈であるのに、後にそのように付け加えて話してしまうわけだ。二・二六事件に加わったある人は酒の席で“一波乱あって、自分が特別な位置につけると思った”と言った。しかし、その人が事件当時まさかそのようなことを考えていたとは到底思えない。しかし今、その人が当時の心境を話すと、そういう感覚になってしまう。そして、真実とは異なる情報が世間に伝播されていく」
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※相沢正彦氏は「書きたいことが溜まってきたので 執筆開始しようと思う。そのための資料も大分揃ってきた」と 私に語っていた。しかし 難病に冒され 面会謝絶でお見舞いも出来ぬまま 逝去の報に接することになった。
※平成16年2月12日(故相沢正彦氏・通夜)。2月13日(故相沢正彦氏・告別式)。
私が期待した「相沢正彦著作」との出会いは ついに叶わずに終わった。
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★余録★
※この機会に 相沢中佐宅を舞台にした《昭和史》のヒトコマを記録に留めておきたい。
田村重見編「大岸頼好 末松太平 交友と遺文」まえがきに記されているエピソードである。
※「敗戦の年、阿佐ヶ谷の大岸家と軍需省の生産戦指導部室は、五・一五、二・二六両事件生存者の梁山伯の様相があり、ここで末松太平の知遇を得て、千葉市登戸の末松家をしばしば訪れるに至った。敗戦処理が終了するや、大岸頼好・末松太平相計り、財団法人《在外戦災者協力会》を設立して、在外同胞の帰国援助活動を開始した」
「私は末松太平の配慮によって、鷺ノ宮の《故相沢中佐留守宅》に居住を許され(飛行学校時代の教え子である)少年飛行兵復員者十数名と生活を共にしつつ、都内の清掃工事や防空壕埋め立て工事に従事した」
※《故相沢中佐留守宅》は 時を経て《相沢正彦宅》になり 私も何度かお邪魔させていただいている。(末松)
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2 コメント

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初めまして (菱海)
2021-03-14 19:24:58
初めてコメント申し上げます。
ご無礼の段、お許し下さい。
小生こと還暦を疾うに過ぎた老人です。
小学生の時に起こった、三島由紀夫先生の「自決事件」で政治・社会問題に目覚め、其処から所謂「二・二六事件」(義軍事件)に関心を持ち、現在も関連書籍を収集しております。
然し乍ら、高橋氏、松本清張氏、澤地等の「視点」を真似た書籍が多く、最近漸く「二・二六事件を読み直す」という「原資料を以て語らしめる」主旨の本が出版されました。
何故か事件関係で良書と思われるもの程、直ぐに「絶版」になってしまう傾向があり、未だに出版・マスコミ界の「圧力」がある様子です。
池田俊彦氏の「記録・蹶起将校公判廷」も再版されない儘の状態です。
此の様なブログがあった事、迂闊にも今日迄存じ上げませんでした。
以後、宜しくお願い申し上げます。
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拝復 菱海様 (末松)
2021-03-14 23:28:19
コメント ありがとうございました。
菱海様が「還暦を疾に過ぎた老人」ならば 私は(傘寿を過ぎた)超老人ということになりますね。
ゴール間近い日々ですが 残された日々を 二・二六事件に対する「誤った解釈」や「浅薄な知識」や「悪意ある情宣」の拡散を企てる《騙り部》の排除に努めていきたいと念じています。
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