◎2020年2月26日(水)早朝。
※まだ外は真っ暗だが 老人の朝は早い。
「賢崇寺の法要」に参列できるか否か 現時点では未定である。
※昨年の2月26日は 板橋中央総合病院にいて 循環器内科で「心臓CT」検査 脳神経外科で「頭部MRI」検査を大人しく受診していた。
今年の2月26日は 朝10時の予約で(我が家から徒歩数分の)青山クリニック整形外科に行くことになっている。
今年に入って 左胸のあたりに痛みを感じるようになって 心筋梗塞(かなり以前にステント装着している)の予兆も考えられたが 昨年3月に「心血管カテーテル」検査もしているし 今年7月末までは医療費3割負担の身の上だし とりあえず整形外科に行き「心筋梗塞とは関係ない」との診断を受けたという次第。
※整形外科2回目の本日 診療が早く終われば 賢崇寺に向かうつもりでいるが さてどうなるか。
それなりの心構えはしていて 封筒2通も用意完了。言うまでもなく「仏心会」と「慰霊像護持の会」への「志」である。情けない内輪話だが 現役時代は(正式な袋に)各1万円が最低の礼儀と思っていたが 現在では(普通の封筒に)各5千円というのが身分相応になっている。
※画像参照。封筒2通の他に準備したのが「反乱者調査表・昭和11年2月」のコピー。香田清貞大尉の名前の横に「人格高」という(取調官による?)好意的な書き込みがあるので 現在の仏心会代表(香田大尉の甥)に差し上げたいと思った次第。
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◎2020年2月26日(水)午後。
※整形外科の診療(リハビリ)が短時間で終わったので そのままの服装(セーター姿)で法要に向かう。芝公園(都営三田線)で下車して麻布十番の賢崇寺まで歩けば(東京都シルバーパスの恩恵で)交通費ゼロが嬉しい。
※賢崇寺の急坂を登り 今泉章利夫妻(仏心会・受付)サンと森田朋美(慰霊像護持会・受付)サンの笑顔に迎えられる。相変わらず 本堂前の広場は目つき鋭い人々(公安関係だと思う)で占められていた。本堂にはNHKのテレビカメラが来ていた。
法要は 賢崇寺《住職三十一世》藤田俊英師による式次第の説明から始まる。賢崇寺と「仏心会」との御縁は《二十九世》藤田俊訓師に始まり《三十世》藤田俊孝師 藤田俊英師と3代も続いている。私が初めて法要に参列したのは《末松太平の死後》だから 藤田竣訓師の時代は知らない。私にとっての「賢崇寺」は 藤田俊孝師の温顔と読経 そして(まだ若かった)俊英サンの丁寧な式次第説明であった。俊英サンが(俊英師になった今も)式次第説明の役割を続けていることに感銘を受けた。
※説明を終えて 俊英師は一旦退場。やがて銅鑼の響きと共に《住職三十一世》として 僧侶3人を従えて堂々と登場する。遺族席や関係者席が無くなり 事件参加将校や下士官の皆様も姿を消した今 藤田俊英師に往時を偲ぶのも 老人(私)の心の支えのひとつかも知れない。
とにかくねえ 法要に参列している皆様は《私の知らない顔》ばかりなのですよ。しかし最近では この《私の知らない方々》が賢崇寺の法要を支えているのも事実である。特に裏方として あれこれ気配りをしている《私の知らない方々》には 感謝の念を抱くしかない。
※法要を終えて サッサと帰るつもりでいたのだが 森田朋美サンに「池田俊彦少尉の墓参に行こう」と誘われる。今泉章利サンに「一緒に写真を撮りますから待っていて下さい」と言われる。流石に どちらも断り切れない。
※知らない方々ばかりの控室で黙って待機。周りの方々から見れば 私の方が《得体の判らぬ人物》だったに違いない。
集合写真を「二十二士の墓」で撮る。カメラマンはマスコミ関係の方だと思うが 私には判らない。安田善三郎氏を中心にしての集合写真。今泉夫妻サンと森田朋美サン以外は知らない方々だし 私だけが場違いな服装だから 目立たぬように心がける。
※今泉サンの車で 池田俊彦少尉の墓参に行く。参加者4名。実を申せば 去年の春以来 末松太平夫妻の墓参に行っていない。末松太平夫妻の法要も三回忌で終わりにした。因みに 賢崇寺の法要は今回が「八十五回忌」ということである。
麻布十番に戻って 居酒屋(今泉夫人など先客4名)に合流。総勢8名。ウオーキング大会のウチアゲでも「知らない人とは同席しない」のが私の飲酒スタイル。3名の方(多分、事件関係者だと思う)とは挨拶も会話もないままで終わってしまった。(末松建比古)
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