◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎令和元年師走/週刊新潮編集部との対面◎

2019年12月12日 | 末松建比古
※師走第1土曜日の午後 飯田橋駅の東口。WR氏「週刊新潮を目印にしてお待ちします」という待ち合せ。
MH氏(学研プラス総合企画部)が参加することも事前承諾している。WR氏に案内されたのは駅近くの喫茶店。
ウオーキング仲間が一緒なら駅近くの「源ちゃん酒場」が定番だが 初対面の方と居酒屋で秘蔵資料を拡げるわけにもいかない。



※この日の午前中は 千代田ウオーキング協会の「例会」を歩いてきたので 持参できる資料には限りがある。
千鳥会『千鳥の栞』原稿2綴の他に『追想・大岸頼好』『大岸頼好 末松太平 交友と遺文』の2冊である。
『追想・大岸頼好』は1966(昭和41)年3月の発行で(逝去後15年の法要を機に)末松太平が編集したもの。
『交友と遺文』は1993(平成5)年10月の発行。 田村重見氏が(末松太平の遺体に対面したことを機に)自費出版したもので 大岸と末松の遺文に加えて「追想・大岸頼好」の全文も採録されている。

※「25年の年齢差を意識して オトナゲナイ態度を慎まなければならぬ」と前稿に記した。
当然ながら WR氏の関心事は「塩谷信男氏にまつわる事柄」であって 大岸頼好への関心も「千鳥会と関わる部分だけ」であろう。
一方 私の方は塩谷信男氏について全く知らなかったし 今更知ろうという意欲もない。お互い「領域の違い」を自覚しつつも 共通項を探りながらの歓談のひとときとなった。

※世代の違いを実感した「笑談」を少々。
その1=「週刊新潮は 末松太平と縁があるんですよ」「・・・?」「逝去した時に 今も連載が続いてる“墓碑銘”に載せていただいたんです」「え、そうだったんですか」
週刊新潮「墓碑銘」に「最後の『将校』末松太平元陸軍大尉」が掲載されたのは 1998(平成5)年2月4日号で 取材された当時の私は51歳であった。昭和40年生れのWR氏は当時26歳だから「え、そうだったんですか」という反応も無理はない。
因みにこの「墓碑銘」シリーズには 志村陸城中尉 安藤輝三大尉夫人などの事件関係者も登場したことがある。
その2=「それより以前には 有馬頼義の件で 週刊新潮編集部に激烈な抗議活動をしてるんです」「え、そんなことがあったんですか」
この件の経緯は「情況」1971(昭和46)年3月号に詳しく紹介されている。当時の私は30歳。WR氏は僅か5歳。 週刊新潮vs末松太平の「バトル」のことを知るよしもない。

※末松太平が「大岸頼好の死」で描いたのは「大岸がそのころ信仰していた新興宗教に関する事柄」についてである。
私の手元に「千鳥の栞」の草稿が遺されているのは そのあたりにも起因している。
私が持参した「追想・大岸頼好」には30人の想いが寄せられているのだが そのうちの数人が「陸軍第五連隊の大尉だった末松太平が(大岸の要請に応えて)青森を訪れた際の期待と戸惑い」について”記している。

※WR氏に「千鳥の栞」と「交友と遺文」をお貸しした。実を申せば 私が信用するのは「賢崇寺法要で親交のある方々だけ」といっても過言ではない。日頃の私は 初対面の方への「資料の貸与」は謝絶しているので 今回は例外的な対応になった。(末松)
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