◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎「棄てるか・残すか」という葛藤◎

2014年07月22日 | 末松建比古


土日月の三連休。土曜日と月曜日は「ウオーキング」を優先し、日曜日だけ「遺品整理」に千葉に向かう。
画像=末松太平邸の現状。取壊し間近だから「庭木の手入れ」も怠ったままである。
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※今日は、義弟とタッグを組んで「末松太平が保存していた大量の手紙」を選別&破棄した。
既に多くの手紙は(遺品整理の度に選別して)私の手元に移してある。それでも次々に「未整理の手紙」が現れる。
義弟の協力で大胆に破棄作業を進めるしかない。

※残されていた手紙には「拝復」で始まるものが多い。
晩年の末松太平が(半盲目の状態で)執筆した原稿は「同志の皆様」の助力&協力なしには書けなかったものが殆どである。
「二・二六事件断章」と称した以上は「真実の裏づけがないもの」は書けない。その度に「同志の皆様」に「裏づけ資料」の送付を依頼して いたのだろう。
「拝復」で始まる大量の手紙は、皆様の御好意(助力&協力)の顕れである。
文面から推察すると「資のの在り処」を捜して、東奔西走した方々も多かったようだ。実に実に申し訳ないことである。

※「拝復」で始まる手紙(&資料類)は、末松太平の著述に活かされたが、私には「活かす手段」が皆無である。
感謝の気持ちを込めながら、細かく千切って廃棄するしかない。形としては「霊魂に対して御香を手向ける仕草」と同じつもりである。

※私は「靖国神社」を毎月数回は訪れている。ウオーキングコースに含まれることが多いので、こういう結果になる。
靖国神社の境内では定期的に「骨董市」が開催されている。靖国神社ということで「軍人や兵隊の所有物」も大量に並べられている。
無名兵士の遺品が(衣類備品から私信の類まで)並べられている。どこかのお役所から流失したらしい書類類が積み上げられている。
このような品々を、どのような経路で出品者(骨董商)が入手したのかは判らない。
末松太平の遺品資料は「骨董市の商品」にしたくない。私が 細かく千切って廃棄するのは、そういう理由である。
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◎「処分できるかな」の実例。
※「皇后陛下 皇太后陛下 御下賜」という紙片のついた「真綿」が保管されていた。
大量の「真綿」を保存していたポリ袋には、末松敏子(母)の指示が同封されている。
「この真綿は 戦地慰問で 両陛下より 下しされたもの 及 イモン袋で頂いたものです 大切に」
※「戦地慰問」とは何時の話であろうか。ご存知のように、末松太平は昭和12年に軍籍剥奪されている。
満州事変で「御下賜」されたものだろうか。満州=酷寒=真綿?。
多分そういうことだと納得して、古い真綿は(母の指令に背いて)処分させて頂くことにした。



◎「処分できるかな」の実例を、もうひとつ。
※「万葉集」上下2巻。書籍の扱いは、目下最大の悩みである。さて、この本の場合はどうするか。
何気なく表紙を開くと、末松太平の筆跡で「◎◎に貰った」と記されていた。それで、この本を捨てるわけにはいかなくなった。
(末松)
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