◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎2006年/法要御報告(その2)◎

2006年03月10日 | 末松建比古
写真解説。左から、安田善三郎(仏心会・世話人)、北島弘(慰霊像護持の会・世話人)、松本健一教授、今泉章利(慰霊像護持の会・世話人)。
松本氏の講演には「末松さん」が度々登場。昔、松本青年は「末松太平サンにあれこれ教わった」ということらしい。
私と松本サンは、本日が初対面の名刺交換。大学教授の名刺に対して、当ブログ「末松太平事務所」の名刺。私なりの洒落が伝われば良いけれど。
松本サンは、講演謝礼を受取らず、そのまま「仏心会」に寄付された。
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法要の後は、二階書院で直会。
いつものように白井サンの(お酒の)御相手。向いの席に、香田(清貞大尉の甥)サン。香田サンは元オマーン大使、今は某社の常務サン。隣席の方が「私にも名刺を下さい」という。桜美林大学の教授であった。
向い側の安藤(大尉令息)サンとは、名刺省略。私の名刺は裏面に「黄昏オジサン」と書いてあるので、出し方が難しい。

白井サンと飲酒談笑していると「末松先生の御令息は、今日は来ておられませんか」と老人がやってきた。「実は、お願いがあって」ハイ、ナンデショウ。
「王道会」会長の三橋稔一サン。以前にも御相手したことがある人。名刺には王道会総本部(日本民族の誇りを持とう)と三橋政治民族研究所を併記。私の方は名刺を渡さない。
「今日は若いモンを十人ほど引連れてきた」ハア。「最近は△△や◇◇を攻撃している」ハア。「今、自伝を書いているので、末松先生の写真が欲しい」・・・
三橋サンの自伝に登場するらしい人物。井上日召(一人一殺)佐郷屋嘉昭(浜口首相襲撃)三上卓(五・一五事件)他の皆様。そこにどうして「末松太平」が登場するのか・・・?
「私は、末松先生のお供で、いつも一緒に行動していた」という。真偽は不明。耳の不自由な老人の話は、理解するのが難しい。(末松)
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◎2006年/法要御報告(その1)◎

2006年03月10日 | 末松建比古
2月26日(日)雨。「二・二六事件全殉難物故者七十一回忌法要」
第1部・70周年記念講演「北一輝と青年将校/松本健一教授」の影響で、初めて見かける参列者も多数。予備の椅子も並べても、座れない方もいた。NHK、TBS、ケーブルTV、TVカメラ3台。今朝のサンケイ新聞に「松本教授の寄稿記事」が掲載されたのも、吸引力になっている。
講演は(熱が入りすぎて)予定時間を大きくオーバー。第2部(法要)の老師は、ハラハラしていた。
「講演だけが目的」の方も多く、10分休憩後の「法要」は人数減少。そもそも「講演+法要」という企画自体が「本末転倒」ということ。
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法要の「関係者席」には、北島伍長、今泉(少尉令息)サン、私の3人だけ。少し遅れて(裏方で忙しかった)今泉夫人も着席したが、実に何とも淋しい状態。
私が賢崇寺に初参加した頃は、池田少尉、柳下中尉、常盤少尉、鈴木(赤塚)少尉など「事件参加者」が揃っていて、私は「一般参列者」の席に座っていた。
最近は「誰も座っていないとマズイ」ので、私が移動。でも、いつもラフな服装なので「アイツは何者なんだ」と思われてるかも知れない。
今日は、家人が「相応しい服装をしなさい」と、スーツ姿を強制。でも、ワイシャツネクタイを拒否して、スーツの下はタートルセーター。賢崇寺に到着した途端、某君に「どうしたんですか、スーツなんか着て」と言われてしまった。

因みに、向い側の「遺族席」には、白井(対馬中尉妹)サン、安田(少尉弟)サン、安藤(大尉令息)サン、相沢(中佐孫)サンなど、十数人が座っている。
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