20年位前、1980年代終わりごろから、最近まで、ソフト業界とかその周辺の変遷について、特にソフト開発の立場を中心に見て行く、土日シリーズ「失われた20年-ソフト業界は変わったのか?」その第8回目。
今まで、1991年~94年ごろについて書いてきました。今回からちょっとあと、1995~99年までについてです。まずは、今回は、その概観。
■近世としての1995
コンピューターの歴史は、大きく2000年のネットバブルによって様変わりします。これが明治維新だとすると、この前の1995年から1999年は、近世の江戸時代に相当します。
今とのつながりを持ちながら、1つの時代を作っていったときで、とはいえ、今の時代ともちがっている時代です。
そうすると、それ以前の今まで話していたのは、中世ということになりますが、その初めは、オープンシステムが出てきた1991年ごろとなるとおもいます。それ以前の汎用機の時代は、平安などの古代ということになりますね。
で、近世の特徴は、Windowシステムのアプリケーションに天下が統一されたということです。大勢力のWindowsは、95、98、企業向けのNTとでてきて、Windowsアプリの地位を確固なものにしましたし、一方、古くからWindowsシステムであったMacも、DTPの世界で不動の地位を築きました。
ワークステーションのUnixにおいては、X11ベースでのWindowシステムとなってきました。
そして、開発方法論の世界でも、情報処理試験の大きな変化とともに、かわっていきます。
■パソコンの変化
この時代、決定的な変化が起こります。
Windows95の登場です。
Windowsは、それ以前に、Windows3.1というのがでて、だんだん使われ始めたのですが、ここで、Windows95がでることにより、Windows路線が決定的となります。
企業向けにおいては、途中OS/2というのがでて、とくに(たしか)山口智子さんが宣伝したことで、日本では人気に、一時的になったのですが、決定的な流れは、WindowsNTとなり、2000へとつながっていきます。
■業界の大きな変化
この時代よりちょっと前なんだけど、1993年に「ソフトウエアの適正な取引を目指して」
(ISBN4-87566-130-4)というのが通産省(当時の言い方)から出ます。
これでは、2つのことを扱ってます。
1つは、人材の問題。これが、後の情報処理試験のおおきな変革(特種の詳細化)になります
もう1つは契約の問題。ここで、契約書にはこういうことを書くのが望ましいと出ます。
前者のほうにからんで、その試験区分ごとにテキストというのが出ます。
そこで、当時の開発方法論などの標準的な考え方が書かれているわけなんですけど、ここでは、それについても扱ってみようと思います(ウィリアムのいたずらは、1種用、データベーススペシャリスト用、プロダクトエンジニア用、アプリケーションエンジニア用、デベロップメントエンジニア用が、今手元にあるので)。
そして、システム開発の「ものさし」として、システム開発取引の共通フレームSLCP-JCF94がでて、それが改正されSLCP-JCF98となっていきます。
このように、業界的にも、天下統一ではないけど、標準化への動きが高まってきます。
■開発方法論
開発方法論的には、当時は、情報関連図(FIO図)による記述から、構造化設計と、DOAによる、DFDとER図による設計に変わっていきます。
一方、オブジェクト指向への関心は高まってくるのですが、
ここに業界的な大事件、九州大学病院の話(オブジェクト指向で開発、破綻、VBで納品)がでてきます。以降、一時的に、オブジェクト指向は低調になるのですが(そんなことはない。。??)、当時のオブジェクト指向の開発論と、今のオブジェクト指向開発論ではちがいがあります。
そんなことについても、書いていってみたいと思います。
■ネットワーク
パソコン通信から、インターネットへの波が起こってきます。
はじめは、パソコン通信でも、インターネットに送れるというのから、だんだん、インターネットのプロバイダをつかって、インターネット接続するという形に変わってきます。
ということで、次回から、その内容について、詳しく見ていきたいと思います。