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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

最後の古文

2015年02月20日 | 国語のお勉強(古文)

 

 直前講習の古文編は今日が最終回。
 今の三年生に教える最後の古文には5名が参加してくれた。
 「浜松中納言物語」と「沙石集」から一問ずつ解いてもらい、物語系と説話系の二種類の違いを話す。
 現代文評論は「近代的価値の相対化」が、漢文は「知識人の生き方」が、文章全体を貫く問題意識として常に存在する。古文にも、語られる話の内容には共通する方向性がある。

 物語系の二大話題は、「男女の仲」と「死・出家」だ。
 和歌の二大テーマが「相聞」と「挽歌」であるのと同じ。
 「男女の仲」系の話は、通常うまくいかないエピソードが描写される。
 好きな人が来てくれない、契りを結んだのにそれっきり、人の妻を好きになった、好きな人が帝のもとに入内した … 。
 そういうときの鬱屈した思いが、文章になり、歌になる。
 「死・出家」に関わる話では、思うようにならない現実の前で、出家を決意するもなかなか現世への思いが断ちきれない心情が描かれたり、人の力ではなんともならない近しい人の死を前にして茫然とする姿が描かれる。
 「男女の仲」「死・出家」ともに、「人生は思うようにならないものだ」というはかなさ、せつなさが描かれる点が共通している。
 現代にいたっても、小説が描いているのは同じ世界と言っていい。

 説話は仏教説話と世俗説話の二種類に分けられる。
 仏教説話は、日常生活のエピソードをとりあげながら、仏様を大事にしないとだめだね、信心しなさいよと、一般庶民に説く話だ。
 世俗説話では、そのエピソードを通して、道徳的な教えや、生きる知恵を示す。
 「忍耐」「忠義」「孝行」など、儒教的価値観が色濃く反映している。
 こんな風にすると、こんな風に考えると、「人生はうまく生きられるものだよ」と教えてくれる。
 そういう意味で、物語が小説だとすれば、説話は現代でいえばビジネス書に近いのかもしれない。

 何をいっているのか全然読み取れない文章に出会ってしまったときも、大筋の方向性から類推して、少しでも読めるといいね、という話をした。

コメント
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