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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

静かな日

2015年02月09日 | 日々のあれこれ

 

 1年生がスキー実習へ、2年生が修学旅行へと旅だった。 
 登校するのは一部の3年生だけ。職員室もがらんとしている。校長、教頭もいない。ふふ。 
 自分の机で落ち着いてパソコンに向かい、二次直前講習に向かう。
 私大入試に出かける子が増えてきたので、午前の文系漢文は四人、午後の理系国語は一人だった。
 その子の受験校の過去問を一緒に解き、間違ったところをチェックし、残りの日々にやるべきことを確認する。
 30分5000円の楽器の個人レッスンを3セットぐらいした感覚だから、けっこうお得だったのではないだろうか。
 生徒との私的なメールを禁止する、というお達しが公立学校にはあったそうだが、いいことじゃないかなと思う。
 午後の個人レッスンをしながら、もしここにいるのがO君ではなく、女生徒だったら、少し意識してしまうことも皆無ではないなと思ったので。
 個人対個人(であるかのような)のコミュニケーションが成立し、しかもメールとかラインとかで笑顔とかハートがついてると、絶対に積極的に勘違いしはじめるのが男の基本的な性情だ。
 いったん勘違いがスタートすると、その関係が制約の多いものであるほど、夢をふくらませ妄想をかきたて心臓をばくばくさせてしまうのが男なのだ。きも。
 高校生にもなれば、女性性をおびた生徒さんもたくさんいる。
 大会にいくと、女子部員とフレンドリーに会話している顧問(おっさん)の先生をみかけるが、よくあんなに平気で会話できるなと思う。自分だったらまともに目をあわせることもできないだろう。
 なにかの間違いで、「先生の今日の言葉が心にしみました」なんてメールがきたりしたら、平静ではいられない。
 「卒業したらごはんでも行こうか」と軽く書いてしまい、「卒業まで待つのはつらいです」なんて返ってきたら、どうすればいいだろう。人生かけて勝負(なんの?)にでるか。
 もしかすると本校においても、めったにあることではないが、うかつに個人的にメールを送ったりしない方がいいのだろう。
 じゃ、手紙ならいいのか。個人的に叱るのはどうだ。個人的に教えるのもよくないのか。
 教師と生徒の関係性というのは、根源的に危険な要素をもっていることが、より明らかになっている状況にあると言えるのかもしれない。

コメント (2)
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