「さよなら歌舞伎町」は、複数の登場人物に焦点が当てられる群像劇方式なので、マトリックスを考えてみた。
横軸右方向に献身(利他)度、左に自己中(利己)度をとる。
縦軸上方向に女子度、下におばさん度をとる。
すると、献身・女子枠(A)には、イ・ウンウさんが、献身・おばさん枠(B)に南果歩さんが入る。
自己中・おばさん枠(C)には河合青葉さんが、自己中・女子枠(D)には我妻三輪子が入る。
河合さんをおばさん枠とするのは心苦しいが、役柄としてはそういう位置づけではないだろうか。
今日は現代文の日だったが、解いてもらってる間にふと思いついてプリントのすみにメモってみたら、上手い具合にどの枠にもふりわけられた。
すると主役の前田敦子さんは、どこかな。
女子度はそれなりに高い。メジャーデビューという自分の目標のためにレコード会社のプロデューサーと一夜を共にする設定だから、自己中側のD枠だろうか。
ただし、微妙な女子力設定でもあるので、枠取りが一番はっきりしない彼女が主人公であるところがポイントなのかもしれない。
もうひとりの主役は染谷将太くんで、いかなる役をふれれても、ふった側の期待以上の仕事をする度合いが最も高い若手ではないかと思うが、この作品でも絶妙な中途半端さを演じている。
お台場のグランパシフィックで働いていると、彼女(前田敦子)にも故郷の家族にもウソをつきながらラブホの店長を勤める役。
(それにしても、23時前に宿泊でチェックインしようとすると、休憩料金と宿泊料金のあわせて2万円近くを要求されるホテルだったけど、そんなに高いとは。前田敦子を連れ込んだ大森南朋さんが「たっけーな!」と思わずもらしていた。気をつけないと。)
染谷くんは、他の微妙な従業員たちと微妙な距離感を保ちながら働き、内心では「早くこんな職場から抜け出して、ましなホテルで働きたい」と思っている。
思ってはいるが、思っているだけで動き出そうとはしない。
「自分はこんなところにいる人間じゃねえんだよ」と思い、時には口にも出しながら、自分から何かをしかけていこうとはしない。
AVの撮影に来た女優が妹だったり、献身の極致であるデリヘル嬢が韓国に帰ることを知ったり、指名手配犯をかくまう従業員に自転車を貸したり、あっちゃんが男と部屋に入るのを見て何もできない自分にいらだったり。
いつも通り何でもない一日だったはずの日が、いろんなことの積み重ねで特別な一日に変わる可能性をもってくる。
大きく踏み出せそうで、しかしどうかなと思わせたまま作品は終わる。
そこがまた現代的で、リアルな若者らしく描かれていて、あの優柔不断さは自分にもつくづくあてはまるなと共感してしまうのだ。
登場人物が、D枠からA枠に変化するとか、CからBに変わるとか、たくさんの変化が描かれると作品が複合的で立体的になる。
多くの登場人物をあえてそれほど変化させず、主役だけに大きな変化をさせて際立たせる方法もある。
この作品は、主役も微妙なままの状態に据えることで、リアルさとせつなさを描いたのかなとさっき思った。
小説の登場人物をマトリクスで整理して、その変化との関係性で役どころをつかませる作業を、来年はやってみたい。