学年だより「この先(1)」
試験はすべて終わった、または進路が決定したという人も多くなっていると思う。国立後期までチャレンジする人も、一ヶ月後には結果が確定する。当初(たとえば3年の初め)自分が思っていたとおりの目標を達成できる(た)人ばかりではないのが、現実ではないだろうか。
今まで予定していたとおりに、もしくはそれ以上に努力を積み上げることができて、悔いの無い結果が得られている状態であるならば、素晴らしいことだ。今後も次の目標に向かって、そのまま突き進んでいってほしい。
そうでない場合、まずやるべきことは何か。
18歳と何ヶ月かの時点での正味の自分を表した結果として、現実を受け入れないといけない。
何回も同じような話を書いてきたが、私達は万能ではない。無限の可能性をもつ神のような存在ではない。願えば叶うことは確かにたくさんあるが、願ったところで、いや願った上に相当の努力を積んだところで、叶わないものは叶わない。
メジャーリーグで活躍したいとか、セリエAでプレーしたいとか、ミュージシャンとして世界中でライブをしたいとか、芸人になって冠番組を持ちたいとか、こういう類いの夢は、どう願っても努力しても、実現する可能性はきわめて低いだろう。
みんなも、それをわかっているからこそ、大学進学を選んだのではないだろうか。
だとしたら、むしろ今が人生のスタート地点に立ったということだ。
イチロー選手になることも、本田選手になることも、じゅんいちダビッドソンになることも難しいが、会社に就職して働くことはできる可能性は高い。自分で会社を興すこともできる時代だ。
大学に行けば、どうやって通う(住む)か、単位をどうとるか、サークルをどうするか、バイトはどうするかといった、目先の問題をとりあえずクリアしていかないといけない。
ただし、それらをクリアしていく毎日を積み重ねるだけでは、今の正味の自分を変えていくことはなかなかできない。
社会人として通用する要素をもたないピュアな状態で、就職活動の時期を迎えることになる。
~ 欧米・香港・シンガポールなどの国の常織でいったら「英語もろくにしゃべれないノースキルの文系学生が、大学を卒業しただけで職を得られること自体が、ありえない」ということです。
欧米で文学部や社会学部・政治学部などの文系の学部を卒業して、さらに実務経験のない新卒は、まずまちがいなく100パーセント仕事がありません。でも、本人も仕事がないのはわかってますし、周りもおかしいとはいいません。そういう学部に入る時点で、なにか特別なことをしないかぎり、ただ卒業しても仕事がないというのは、あたりまえすぎる常識で、だれも疑問をはさみもしない、問題にすらしないことだからです。 (大石哲之『英語もできないノースキルの文系はこれからどうすべきか』PHP新書) ~