~ 「自分の人生を設計する」という感覚は、「カネさえあれば何でもできる」と同じくらい軽薄ですよ。「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、そういう意識があるかぎり、人生のやり直しはできない。
就職のやり直しにしても、結局は運です。「夢に向かって努力する」では、こだわりにがんじがらめになるだけ。自分がどの仕事に向いているかなんて、実際にやってみなければわからない。 (小田島隆「何かを捨てることから始まる」朝日新聞10月8日) ~
「人生をやり直し」たいと思ってるわけではないけど、自分の人生は自分の強い意志さえあればどうにでもなると考えるのは、たしかの傲慢なのかなと思う。
もちろん、「どうにもならないのだから、何もしない」と開き直るのもちがう。
自律して自立するのは難しいのが人間なら、「他律による自立」なら、なんとかなるのではないか。
これは野口芳宏先生のお言葉だ。
誰かが決めた時間の流れを、誰かが作った世の中を生きることしか、われわれはできない。
物心ついたら、学校に行きなさいと言われて言ったわけだし、みんなが進学するから進学し、大学出たら就職するもんだというから働きはじめた。
たとえばこの自分の人生は、「自分の道を切り開いた!」といばるほどのものではないけれど、一般人の生き方として羞ずべき要素はべつにないと思う。
あ、別に誰かに批判されたわけではないです。
ただ、「自分の夢に向かってがんばろう」的が物言いが巷にあふれていて、おれらの年になれば別にいいけど、やっぱ若い子はなんか逆にしばられてないかなあと思って。
今日は、昼休みに修学旅行の業者さんと打ち合わせ。もうそんな季節になってしまった。
午後は川女へ行き、バッハザールの打ち合わせ。合同オケの指揮をしてくださる先生ともお会いしたが、なんか冷たかったような … 。
お昼を食べてなかったので、いったん部長を学校に送ってから速攻で山田うどんに行き、ぴり辛野菜汁そば(590円)を堪能し、わたなべ先生にお願いした合奏をきき、試験問題をつくり、明日きてくださる音楽座の方とメールで連絡し、ちょっと話したい生徒さん宅へ電話し、まあまあ字も書いたので、この後娘を迎えにいったあとは、少しは呑んでもいいかな(ま、毎日ですが)。