今年はホール練はとれないかなと思いつつ、さいたま市文化センターの予約状況を調べてたら、夜間に一区分空きがあった。
さっそく予約しに文化センターへ。
その帰りに新都心で「キッズオールライト」を鑑賞。
「八日目の蝉」とは別の形で、家族とは何かなんて考えさせられた。
「八日目の蝉」で、生後まもなく誘拐され、逮捕されるまでの4年間を犯人の女と過ごした幼女は、当然のことながらその女を母親と思っていた。
警察に発見され、実の父母に育てられはじめてすぐに家を飛び出し、警察に保護されて訴える。
「はやく本当のお母さんのもとに帰してほしい」と。
もちろん誘拐された両親はたまったものではない。
誘拐された身体が物理的にはとりもどせても、心はとりもどせないのだ。
なぜその女と不倫関係になってしまったのかと後悔する父。
その相手の女に厭味を言いに言ったりしなければ、女は娘を誘拐しなかったかと後悔する母。
女の子も、物心がつき、事件の中身を理解できるようになるとなおさら、実の両親にはわだかまりをもちながら生きていくことになる。
それは決して時が解決するというほど単純なものではなかった。
血のつながった人間同士なら、自然と仲良くなれるさ的な考えが幻想であることにも気づかされる。
家族というのは、決してDNAが自然につくりあげてくれるものではないのだ。
「キッズオールライト」では、レズビアンの夫婦(ていう表現でいいのかな?)が、それぞれ一人づつ出産した子供とともに4人の家族をつくっている。
家計をささえる父親的な存在が女性であることを除けば、ごく普通の家族ともいえる。いえないかな。
18歳の姉と15歳の弟は、二人の母親が精子バンクからの提供を受けて出産した子供だ。
子供達が本当の父親の存在に興味をもち、連絡をとることができ、遺伝子上の父親とが接触がはじまってから、家族の間がぎくしゃくしてくる。
しかしそこで描かれる家族内の波乱は、特殊な家族であることにすべてが原因するものではない。
思春期をむかえ、親とうまくいかない子供達と、いつまでも子供を支配したい親との軋轢。
親は親同士でお互いの考え方や暮らしぶりの違いからすれちがいを生じさせ、小さないさかいが大きな溝になってくる。
若いころは、ちょっとした行き違いも恋愛感情がそれを簡単に乗り越えさせた。
ぶっちゃけていえば、多少のけんかもヤればおさまる。
齢を重ねるとなかなかそういうわけにもいかないし、社会における自分の位置や、子供にとっての自分の役割なども邪魔して、なかなか素直に相手の気持ちを受け入れられなくなるものだ。
えっ? いや、一般論ですよ。
たまたま二人の子供の親が同性というだけで、この映画で起きることは一般的に起こりうることだ。
母親の一人が実の父親と関係をもってしまうことまでふくめて。
親が同性という設定だから、なおさら問題がせつなく訴えかけてくるところが、この映画のすぐれた点なのだろう。
何年もかけて築きあげてきた人と人とのつながりは、血縁よりよほど強い。
家族は、血縁やDNAが自然に作り上げるのではなく、ともに暮らす人同士が相手を思う心がつくりあげるものなのだ。
大人の作品なので、高校生諸君は別に観る必要はないが、今年の洋画のベストです。