水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

体育祭

2011年05月26日 | 日々のあれこれ

 ほぼ一日曇っていて、暑くもなく寒くもなく、毎年こんな天候で体育祭ができたらいいなと思う。
 綱引きではあっけなく下級生に負けてしまった3年生が、さすがに走る種目では強くて安心した。
 調子こいて注意された子がいて、その担任がすいませんと言ってきたけど、調子にのるのを高校生と言うのだからとなぐさめる。
 ほんと、そうだよな。
 調子にのらない高校生はない。
 論理的に正しい恋愛はない。
 例外のないルールはない。There is no rule but has exception.
 閉会式後、写真撮影をする3年生たちを見ながら、彼らは走るのが好きなのか、盛り上がるのが好きなのか、どっちなんだろとふと思った。
 からだを動かすのは間違いなく好きだ。
 われわれだって、適度にからだを動かすのは心地よい。
 でもそれ以上に、みんなと盛り上がることの方が大事なんじゃないないかなと思ったので。
 そうでなかったら、今日なんか、たとえば100m走に出た子は、クラス対抗の1000mリレーや30人Rにも当然出るから、半日の間に6本を本気で走るという、オリンピックより過酷な日程なのだ。
 盛り上がりがなかったら、とてもやってられないだろう。
 だとしたら、体育祭でなくてもいいのだ。
 閉会式で生徒会長が「次は文化祭盛り上がろう!」と叫んでいたように、体育祭や文化祭は手段だ。
 ただし盛り上がる手段として、男子高校生にとってかけっこほどのものはなかなかない。
 シンプルに結果が出る度合いでは、文化祭よりはるかに盛り上がりやすい。
 わが部活はどうだろう。
 音楽と盛り上がるのとでは、どっちが大事か。
 どっちも大事かな。
 盛り上がるためには、徹底的に音楽するしかなくて、それこそ適当にやるなら肝心の盛り上がりさえ手に入らない。
 音楽そのものの盛り上がりは、どれだけ表現できたかから生まれる。
 だから楽譜に書かれたことを音にしたレベルで終わるなら、むなしい作業と終わってしまうのかもしれない。
 もちろん、楽譜の音符をただ音にしていっただけでぞくぞくするほどの喜びを感じ始める曲もある。
 わかった、マーチがつまらない理由が。もちろん自分にとってだけど。
 とくに課題曲のマーチって、とにかく完全無比の演奏、テンポを一定にできて、音そのものを磨いて、細かい音符を一糸乱れず演奏するという方向性を第一にやらないといけないからつまんないんだ。 
 あくまでも私自身の問題であり、伊奈学さんや淀工さんレベルにまで達すれば、マーチも音楽になる。
 表現レベルに達するには、やはり徹底的に練習するしかなくて、そこには効率だけでははかれない要素も入ってくるだろう。
 効率のいい練習をしなければならないのは間違いないが、理屈を超えたところに新たな地平が見えてくることがある。
 そう考えると、音楽も理論的に割り切れる正しさだけではかれるものでないのもわかる。
 理性的な恋愛がないように、中毒性をもたない音楽は感動を生まない。
 (なんか小林秀雄ぽくね? よく見ると文法的におかしいとこも)
 効率のいい練習は大事だけど、ほんとうに自分の好きなものは、効率やら費用対効果をはかる対象にはならない。
 今の仕事はおまんまを食べ、食べさせていくための手段ではあるが、なんか効率だけではかっていけないというか、はかりたくない要素をたくさん含みもっているから、そういう意味でいい仕事をいただいているなと感謝の念がわいてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする