駿台での入試研究会でのお話。
現代文の分析に入る前に霜栄先生は、「今回の震災は、ふつう人生の中で体験しえないレベルのものだった、これで変われなかったら、おまえ終わりだぞと自分に言い聞かせた」と語り始められ、そして「これからの日本をなんとかするためにも、有意の若者を育てなければならないという思いにかられる」という主旨のお話をされた。
この志が必要なのだ。
難関大学に受からせるなどという目先の目標をゴールにしないからこそ、本当の力がつく。
国語についても「センター試験と東大二次で別々の対策があるなどと思った時点で敗北」という。
ほんとうに読み取れるか、わかるかの一点だとおっしゃるのだ。
なるほどと思う。
わかっているけど、答えられないということはないのだから。
前回のマーク模試の結果がアップされた。
生徒諸君は数日後にこの結果を受け取り、弱いところをのばそう、こんな勉強をしていこうと考えればいい。
一方われわれは「よし、この分だと○○くんは○○大学に行けそうだ」「○○くんはきびしくなってきた」などのレベルで資料をみがちだが、それではだめ。
その結果をうみだした本人、人間そのものをどうしようかと思いながら今後の仕事を考えないと。
次元をかえること。そこに志がある。
まあ、それにしても「海水注入を中断させたのはおれじゃない」とか「言い方がちがう」とか言い合っている、えらい人たちって何なんでしょうね。ふつうならとうに切腹してないといけない人たちが。
若者たちには高い志をもって成長してほしいと願いながら、我が国のトップにおられる方々の情けない姿を見せざるを得ないのが大人側としてはがゆい。志がどうこう以前のレベルだから。