水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

なにわオーケストラルウインズ

2011年05月07日 | 演奏会・映画など

 一年の合奏だけやって学校を出、「なにわオーケストラルウインズ演奏会」に行かせてもらった。
 ふだんは主にオーケストラで活躍されている管楽器プレーヤーの方々が、丸谷先生のもとにならと年に一度集まって吹奏楽の曲を演奏するという企画で、今年で9回目になる。
 着替えの紙袋を学校においてきてしまうという小さなトラブルがあった。
 駅の駐車場でそれに気づき、学校に取りに戻ったのでは開演に間に合わなくなる時間だと判断した。
 楽しみにしている課題曲の演奏に間に合わないのは残念すぎるので、上下ジャージのまま、駅前の本屋で一冊だけ本を買って電車に乗る。
 錦糸町に着いた時点で20分くらい余裕があったので、どこかでせめてジーパンでも買おうかと思ったが、でも別に誰もおれのことを見てるはずもないしとそのまま「すみだトリフォニー」に入ったけど、やはりういてる感はあったかな。
 オープニングはスパーク作曲の「陽はまた昇る」。震災直後に、スパーク氏がメッセージとともに日本の吹奏楽関係者へとプレゼントしてくれた曲だ。スパーク先生、さすがです。心にしみるメロディーだった。
 3曲目に「シンフォニア・ノビリッシマ」という吹奏楽の古典的作品。「ノビリッシマ」とは「高貴なということばの最高級ですね」という丸谷先生の解説をうかがって、意味がわかった。「ノーブル(高貴な)」が変化した言葉。訳すと「マジ高貴な合奏曲」となる。
 この言葉を耳にしたとき、なるほどこの夢のバンドのサウンドには高貴さがあると思ったのだ。
 オケではなく吹奏楽なので迫力があるのはもちろんなのだが、気品が漂うのだ。
 高校生バンドだと、この二つを両立させるのは至難の業だ。片方に肉薄するバンドはある。この日指揮された石津谷先生の習志野高校さんの最高の時は、ひょっとしてかなり両立してたかもしれない。
 おそらくこの方達は、苦労することなく(もちろん、みなさん苦労を重ねてきたのだろうけど)このサウンドをつくっている。
 このサウンドで課題曲を楽しませていただいたが、曲としての中身が最もチープな課題曲3でさえ、深いものに聞こえてしまう美しさだった。
 課題曲1は、予想通りのサウンド。作品としての完成度が高いせいか、上手なバンドはみんな同じひびきになるのではないかと思えた。
 4はまた美しく仕上がっていい曲だったが、上手な人と未熟な人との演奏の差が極端に大きくなる曲であろう。
 2、5は、この手練れのみなさんをもってしても、若干こなれてない演奏に聞こえた。逆に言うとサウンド以外の部分で、演奏のグレードをあげていくことができる要素がかなりあるのかもしれない。
 ほかに「アルヴァマー序曲」「トッカータとフーガ」「東海岸の風景画」という、楽しめる曲ばかり。
 最初に「東海岸の風景画」というプログラムを見たとき、へえヘスの新作かと思ってしまった。
 頭のなかにある「イーストコーストの風景」という曲と別物だと思ってしまったのは、どんだけ英語無知なことか。
 「イーストコースト」をライブで聴いたのははじめてかもしれない。昔やったけど、よくこんな難しいのできたよね。
 バッハザールで演奏し終わった瞬間に、客席から「かっこいいっ!」という女子高生に声がしたのを今も覚えている。おれのことを言ったのかな。
 またやってみたい。細かいこだわりなのだが、この曲は2楽章と3楽章はアタッカ(楽章の間をあけないこと)で演奏してほしいのだが、それはかなわなかった。
 何年か前のこの演奏会で「春の猟犬」を聴きながら号泣してしまったことがあった。
 今年はそこまではなかったなと思いながら、アンコールの拍手をしてたら3曲目になんと「キャンディーズメドレー」。やられた。3階席で若いお姉ちゃんのはさまれて突然すすり泣きをはじめたおじさんは私です。
 久喜高校さんの演奏会を聴いて問題意識をもったせいか、打楽器のとけ込み具合に感動した。
 なるほど打楽器はときに伴奏として、メロディーとして、オブリガードとし、管楽器と別物ではなく一体として存在しうるのだとわかった。目指すべき方向性が見えたような気がする。
 さて、評論してないで練習しよう。

コメント
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