昨日、今日と文化祭のアンサンブルチームを6つみた。
5つが1年生主体のチームだったので、ほんとに基本的なことを指導する。
目の前にあるのは音符の羅列だけど、、ここからここまでをひとかたまりとみて演奏するんだよ、というような指導である。
基本的なことなのだが、教えなければ知らないままに終わる。
生きていくうえで必要なことでは全くないから、高校で吹奏楽に入らなければしらずに終わることだ。
ぎゃくに、それに気づくだけで、急に音楽的になる。
ほんとに、うちの1年生しょくんは、うそ? というくらいとんでもない吹き方をするけど、こうすればいいよというと、すぐ変わる。
教えないといけないのだ。
芸術系の科目は、感性を大事にしよう、主体性をいかそう的な意見があるけれど、まず基本は教えてあげないとだめなのだ。
国語も同じだな。
小説の読み方はいろいろあるとか、国語には正解はないとかいう人がたくさんいて、研究会に出かけると「主体的な読みの創造」なんてたいそうなテーマで発表が行われていることもままあるが、まずは基本を教え込まないといけない。
読みの基本、定石、お約束を知ったうえで、「でもおれはこう読む」というのはありだ。
昨日は、アンサンブルをみたあと、久しぶりにシエナの演奏会に上野まで出かけた。
おどろいたのは、音楽のおもちゃ箱コーナーの充実ぶりだ。
充実というか、佐渡裕さんがプリマドンナの格好で4羽の白鳥をおどったり、ラテンダンサーの格好をして客席を練り歩くのだ。
もちろん、お客さんは立たされ、踊らされ、唄わされる。
楽しいのだが、なんか自分がやってる側になった気分で、汗が出てくる。
世界の佐渡裕がここまでやるのだから、定演で唄っていいかななんて迷ってはいけないと思った(いっかいも迷ってないけど)。
人前で何かをやるということは、何かをサービスするということなのだ。
小難しい顔で、高尚な雰囲気になっているのがえらいのではない。
5つが1年生主体のチームだったので、ほんとに基本的なことを指導する。
目の前にあるのは音符の羅列だけど、、ここからここまでをひとかたまりとみて演奏するんだよ、というような指導である。
基本的なことなのだが、教えなければ知らないままに終わる。
生きていくうえで必要なことでは全くないから、高校で吹奏楽に入らなければしらずに終わることだ。
ぎゃくに、それに気づくだけで、急に音楽的になる。
ほんとに、うちの1年生しょくんは、うそ? というくらいとんでもない吹き方をするけど、こうすればいいよというと、すぐ変わる。
教えないといけないのだ。
芸術系の科目は、感性を大事にしよう、主体性をいかそう的な意見があるけれど、まず基本は教えてあげないとだめなのだ。
国語も同じだな。
小説の読み方はいろいろあるとか、国語には正解はないとかいう人がたくさんいて、研究会に出かけると「主体的な読みの創造」なんてたいそうなテーマで発表が行われていることもままあるが、まずは基本を教え込まないといけない。
読みの基本、定石、お約束を知ったうえで、「でもおれはこう読む」というのはありだ。
昨日は、アンサンブルをみたあと、久しぶりにシエナの演奏会に上野まで出かけた。
おどろいたのは、音楽のおもちゃ箱コーナーの充実ぶりだ。
充実というか、佐渡裕さんがプリマドンナの格好で4羽の白鳥をおどったり、ラテンダンサーの格好をして客席を練り歩くのだ。
もちろん、お客さんは立たされ、踊らされ、唄わされる。
楽しいのだが、なんか自分がやってる側になった気分で、汗が出てくる。
世界の佐渡裕がここまでやるのだから、定演で唄っていいかななんて迷ってはいけないと思った(いっかいも迷ってないけど)。
人前で何かをやるということは、何かをサービスするということなのだ。
小難しい顔で、高尚な雰囲気になっているのがえらいのではない。