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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2009年08月06日 | 日々のあれこれ
 コンクールの曲は、どの学校さんも徹底的に練習する。
 たてをあわせ、音程をあわせ、ハーモニーを分析し、細かいニュアンスをそろえ、曲の構成を考え、全体を構築していこうとし、「せえの」で曲がスタートすれば自動演奏のように最後まで一糸乱れず進行していく状態を目標にする。
 高校3年間で取り組む曲のすべてをコンクール曲のように練習することは物理的にきびしいが、コンクール曲の練習で身につけたことを、他の曲にもいかしていくのが大事だ。
 ひとつの曲を完成させるには、ここまで細かいことをやらなくてはならないのか、ここまでこだわらなくてはならないのか、という経験をすることが部活の第一の目的だといえる。
 それは曲を演奏することだけではなく、一つの目標を達成するためにどう取り組んだのかという次元の話として大切なことなのだろう。
 たまたうちは吹奏楽を通してそれを学び、他の部は別種の活動を通してそれを学ぶ。 
 運動部だったら、ある試合のある局面で一本のパスを通すために、どれだけいろんな種類や質の練習をするのかということだ。
 結果として、いい演奏ができたりできなかったり、試合に勝ったり負けたりするのだが、大事なのはそこにいたるまでにどんな気持ちで臨んできたかであり、それを「志」とよぶのではないか。
 だから、志の高さは、細かいこと、小さなことにこそ現れる。

 レッスンの先生にお渡しする謝礼は、なるべく新券でお渡ししようとしている。
 思うように銀行に行けないことも多いので、部費を集金した後は、とりあえずきれいなお札は別にしておく。
 ただしこれは最近になってから気をつけていることで、おまえは今までそんなこともやってなかったのかと言われれば、すいませんというしかないレベルの話だ。
 でも、新券をおわたししようとする自分は、それを気にせずにいた以前の自分よりは、志が高いと思うのだ。
 
 部員のみんなをみていると、さすがに3年にもなるといろんなところに気がつくようになる。ぎゃくに1年生をみると、驚くほどまわりが見えてないなと思う時がある。
 あいさつ、返事、その他いろんな動きに見られる、ちょっとした前向きさや気遣いの具合こそが、志だ。
 そして、その細かい部分が自然にできるようになると、音符も細かく表現できるようになるのではないかと思う、というか確信している。
 3年前、先行きどうなることかと思われた子たちが、今やなんと堂々と演奏していることか。
 練習だけではなく、うたったり、おどったり、ウェイターやったり、そうじしたり、机イスの片付けしたり、新入生勧誘したり、演奏会の企画をしたり、後輩を指導したりしてきたからだ。

 今日は朝から全員が集合し、午前のうちに本番を想定した練習、午後は少し直して早めにあがった。
 いろいろあったが、よく練習してきた。
 ただし、うちだけがやっているのではないし、物理的練習時間でいえば、圧倒的にうちより多い学校さんはたくさんある。
 明日の本番は、いままでやってきたことという氷山の一角が演奏として現れるのだから、何か変わったことを突然やれるわけではない。
 いままでやってきたことの延長として、虚心に向かうのみである。
 とかいっても、虚心ではたぶんいられないなあ。
 どちらかというと今は邪念だらけだ。
 気持ちをしっかりさせようと車で「勇気100%」(光GENJI)を聞いてたら泣けてきた。
 いかんいかん。明日は平常心で。 

 
コメント
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