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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

夏の少女

2009年08月21日 | おすすめの本・CD
 先日帰省した折、久しぶりに金沢近代文学館に立ち寄ったら、唯川恵、本谷有希子といった新しい作家も大きく展示されていて、突然唯川恵が読みたくなり、香林坊大和の本屋で『病む月』を購入し「夏の少女」を読んだら、案の定失禁みたく感涙してしまった。
 あとがきで筆者はこんなふうに書いていた。

 ~ 今年の春、実家の近くに花見に出かけた時、咲き乱れる桜を眺めながら、ふと、私はあと何回これを見ることができるのだろう、という感覚に見舞われました。
 そんなふうに、季節を逆算するようになった自分に驚きました。
 けれども、その時少しわかりかけたのです。
 愛おしい、という思いを本当に知るようになるのは、きっとこれからなのだと。
              唯川恵『病む月』(集英社文庫)より ~


 自分のすごした時間を愛おしく感じる気持ちは、今3年生たちがひしひしと感じているかもしれない。
 大学でも、大人になっても音楽を続けることはできるが、高校のコンクール前のような気持ちになることはおそらくないだろう。
 ちょっとしたことにセンチメンタルになれるのは青春期の特権だが、大人になるにつれて、そんな感情をもつ余裕も感性も減っていく。
 でも、さらに年をとって、自分が過ごしてきた時間と、過ごせるであろう時間の長さとの逆転を意識したとき、唯川恵さんのように思ってしまうこともあるかもしれない。

 せっかく金沢にいられたのだからと、片町の裏手にある「ぶんぷく」という隠れた名店で、カツ丼を何年かぶりに食べながら、おれはあと何回このカツ丼を食べられるだろうかと思ったのだ。
 唯川恵氏に比べ、なんとも無風流なきっかけなのだが。
 もちろんお金さえ気にしなければ、週末に一泊二日で、いや日帰りででも、このカツ丼だけ食べに来るのも理論的には可能だ。
 でも、家族の手前さすがにそこまではできない。
 帰省した折に必ず金沢に来られるかというと、そうも行かないこともあるだろう。
 また、店自体がいつまでもあるというものでもない。
 数年後に訪れたら店じまいしてたなんてこともないとはかぎらない。


 墓参りのために郷里金沢を訪れた尚子は、両親が他界して誰も住まなくなった実家の雨戸を開け放っているとき、見知らぬ少女を見かける。
 翌日、夫と合流し、野田山の墓地に向かう。
 夫が水を汲みに行っているとき、またその少女が現れて、尚子を見つめながらにこにこと笑う。
 「あなたもお墓参りに来たの?」と問いかける尚子に、「ここで遊んでるだけ」と答える少女は、何年も前から尚子のことを知っているかのような親しげな感じだった。
 夫がもどって来てふとふりかえった時、どこに行ったのか少女はいなくなっていた。


~ 夜は両親の部屋だった和室に布団を並べて寝た。静かな夜だ。切子の灯りにいざなわれた死に人たちも、きっと眠りについているだろう。
「尚子」
 夫の声に黙って顔を向ける。
「そっちにいっていいか」
 尚子は身体をずらし、夏布団の端を少し持ち上げた。夫が入ってくる。枕は夫に譲り、尚子は彼の腕に頭をあずけた。話すことは何もなかった。話せば、きっと泣いてしまうことを夫も尚子も知っていた。
 夫はしばらく尚子の髪をなで、それから唇を重ねてきた。温かな息が身体の中に送り込まれる。いつもそばにいるのに、いつも懐かしく感じる夫の匂い。すっかり痩せて、かつての膨らみがなくなった乳房を触れられるのが恥ずかしかった。夫の手が労(いたわ)るようにそれを包み込む。尚子は夫の背に腕を回した。痩せたのは夫も同じだった。畏(おそ)れは尚子に、そして悲しみは夫にある。夫を抱き締めたかった。私のために悲しみを背負わなくてはならなくなった夫が愛しい。ふたつの心臓が、重なり合う裸の胸の下で正しい鼓動を繰り返している。生きているのだと感じる。確かに、今、生きている。 ~


 今回の墓参りは、おそらく郷里に帰れるのは最後になるだろうことを予測してのものだった。
 自分の病気が、どうにもならないところまできていることは、夫がいくら隠そうとも、自分の身体がいちばんよくわかっていた。


~ 出会った頃、若い男と女は当然のように惹かれ合い、恋をした。ためらいと羞恥と少しばかりの自尊心が邪魔をしたが、乗り越えるのは簡単だった。その頃のふたりにとって愛情は常に行為であり、愛し合って、セックスをして、もっと愛し合った。すべての男と女がする当たり前のことを、自分たちだけが特別であるような錯覚を、何の疑いもなく存分に味わった。争いもあった。腹をたて、時には傷つけ合うことも、憎しみを覚えたこともある。それでも別れることなくここまできた。何も知らず、何も怖れず、朝になれば東の空が明るくなるように、当たり前に明日を迎えていたあの頃の自分たちがひどく眩しい。
 今はもう、一時のような激しい動揺や不安に襲われることも少なくなった。その時を迎える準備も少しずつ進んでいる。その中で、自分にできることは何だろうと考えた。夫を遺して、先に逝ってしまう自分にできること。決心したのは、そのことを私が知っているという事実を夫に気づかれないでおくということ。限られた時間を、夫の優しさを存分に受け、自由に振る舞い、夫に「し残したことがある」という後悔を残させないこと。
 東京に帰ったら、尚子はすぐに二度目の入院をする。たぶん、二度と帰ることはない。
                    唯川恵「夏の少女」(『病む月』より) ~


 翌朝、実家を出ようとすると、また少女が顔を出す。
 昨日は、お家にあそびにきてほしいなどと言ってごめんなさいと言う。
 まだ家に呼んじゃいけないとおじいちゃん、おばあちゃんに言われたからと、言うのだ。
「あなた、誰?」と思わず言ってしまった尚子を、困ったように見つめ返してくる少女を凝視すると、不意に胸をつくような思いがこみあげ、少女が誰であるかに気づくのだった。

 
 
コメント (1)
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