Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

2010-08-29 12:18:24 | 日記


★ 母は芸妓である自分が、押しかけるように、大岡の家へ来てしまったことについて、父はともかく、父の兄弟たち対して負い目に感じていた。(略)ただ父と共に、貧乏に耐えることで、母はその志を通した。すると持参金も縁故もなく、地主である大岡の家から見れば、元「醜業婦」(これが田舎の地主の言葉である)という負い目を持つだけの嫁になってしまったのである。

★ 自分の生んだ子の盗癖の発見は、母にとっては天地がひっくり返るような打撃であったに違いない。

★ 父の帰りのおそい日で、母は十畳の居間の火鉢の前で、編物をしていた。私は母の前に正座し、
「お母さん」と呼んだ。
「はい、なんですか」
とすぐ返事が返って来たが、母はそのまま編物を続けた。この時、母が顔をあげて、私の眼を見てくれたら、私は涙と共に告白していたろう。しかし母は下を向いたまま、編物の手を休めなかった。それは「お前がなにをいいたいのかわかっていますよ」といっているように見えた。「いわなくてもいいのですよ」と。

★ 明くる日、顔を合わせても、母はなにもいわなかった。「昨夜はどうしたのですか。お母さんになにかいうことがあったんじゃないの」とは訊かなかったので、私は母はすべてを知っていた、と感情的に判断しているわけである。そして死ぬまで私はこのことについて、母と話をする機会はなかった。

<大岡昇平『少年―ある自伝の試み―』(講談社文芸文庫1991)>



★ しかし彼が谷の向こうの兵士に答え、私がその薔薇色の頬を見た時、私の心で動いたものがあった。

★ それはまず彼の顔の持つ一種の美に対する感嘆であった。それは白い皮膚と鮮やかな赤の対照、その他我々の人種にはない要素から成立つ、平凡ではあるが否定することの出来ない美の一つの型であって、真珠湾以来私の殆ど見る機会のなかったものであるだけ、その突然の出現には一種の新鮮さがあった。そしてそれは彼が私の正面に進むことを止めた弛緩の瞬間私の心に入り、その敵前にある兵士の衝動を中断したようである。

★ 私は改めて彼の著しい若さに驚いた。彼の若さは最初私が彼を見た時既に認めていたが、今さらに数歩近づいて、その前進する兵士の姿勢を棄て、顔を上げて鉄兜に蔽われたその全貌を現した時、新しく私を打ったのである。彼は私が思ったよりさらに若く、多分まだ二十歳に達していないと思われた。

★ 彼の発した言葉を私は逸したが、その声はその顔にふさわしいテノールであり、言い終わって語尾を呑み込むように子供っぽく口角を動かした。そして頭を下げて谷の向こうの僚友の前方を斜めにうかがうように見た。(この時彼がうかがわねばならなかったのは、明らかに彼自身の前方であった)

★ 人類愛から発して射たないと決意したことを私は信じない。しかし私がこの若い兵士を見て、私の個人的理由によって彼を愛したために、射ちたくないと感じたことはこれを信じる。

<大岡昇平“捉まるまで”―『俘虜記』(新潮文庫1967)>



* この『俘虜記』最初の短編“捉まるまで”の最初に歎異抄からの引用がある;

  《わがこころのよくてころさぬにはあらず》





ぼくはただの個人である

2010-08-29 09:28:14 | 日記


昨日のブログに書いた;

《わたしが“この世間の愚劣な喧騒”に嫌気さし、<文学空間>に遊離しようとすること自体が、<政治-社会参加(アンガージュマン!)>であるからである》

この場合の“この世間の愚劣な喧騒”というのは、“小沢一郎問題”だけではない。

たとえば以下のような<問題>である;

例文1;
◆千葉法相の意向で、初めて東京拘置所の刑場が報道陣に公開された。自分が裁判員に選ばれて死刑判決に関与する立場になったらと、思いを巡らした人も多かったことだろう◆密室の情報公開が進むことに異論はない。他方、国民の8割超が死刑を容認する現実があり、犯人に極刑を望む被害者遺族の慟哭が続く限り、廃止論に火はつくまいと思う(今日読売編集手帳)


例文2;
▼ おとといの朝刊に「紙があって、よかった。」という広告が載っていた。日本新聞協会に加盟する全103紙が、紙の価値を再発見してもらおうと一斉掲載した。その軽さ薄さと裏腹に、紙にはどんな重い内容も盛ることができる。新聞に限らない。文芸も絵画も、楽譜も手紙も、人間の想像力や、伝えたい思いを紙は受け止めてきた▼広告の背景には電子時代への危機感がある。新しい端末が相次いで登場し、今後は電子の猛攻に紙がたじろぐせめぎ合いとなろう。わがことながら、紙媒体の先行きは安楽とはいえない(略)▼「紙のいのち」に恥じぬコラムをと念じつつ、日々至らざるの思いは残る。新聞紙に薄っぺらを嘆かれぬよう、残暑の夏に鉢巻きを締め直す。(今日天声人語)



例文1は“死刑制度”について、例文2は電子メディアによって“紙のいのち”が危機に瀕していることについて、述べられているらしい。

死刑制度については、ぼくはわりと最近のブログで述べた、繰り返さないが、この読売のレベルでは、死刑制度についてなにも言ったことにならない。
ゆえにこれらの“活字の羅列”は、無意味な喧騒(騒音)である。


例文2の紙と電子メディアの対比というのも、まったく無意味である。
要するに、ぼくはル・クレジオ『物質的恍惚』を紙で読もうが、アイパッドで読もうが、読めればいいのである。
すなわち何に書いてあるかではなくて、“何が書いてあるか”が問題である。
ぼくはアイパッドを持っていないし(欲しい!)、いまアイパッドで『物質的恍惚』は単に“読めない”のであるが、もしアイパッドで『物質的恍惚』が“読めるなら”、それはそれで気持ちが良いと思う。

もちろん“私は紙が好きだ”とか、“私は紙に印刷された活字が好きだ”とか、“私は紙をたばねた本という物体が好きだ”というひとは、ぼくと同じく趣味が良いひとだと思う。
しかし、現在のように紙としても役に立たない“新聞紙”など無くなっても、ちっとも困らないのである。
まさに新聞紙は、<薄っぺら>である。


たしかに今ぼくはパソコン画面に電子文字を入力しているのだが、こういう作業があまり好きでないことも、事実である。
だいいち最近ますます、眼に悪い。

昨日は2冊の“紙の本”を読んでいた。
ビュトール『心変わり』と大岡昇平『少年』である。

この二冊の本(文庫)を開いて、そこに印刷された<文字>をパッとみると、『少年』の方が漢字が多くて読みにくいのである(笑)
どうもぼくが“翻訳書”が好きなのは、たんにこういう事実による。

しかし当然、“読みやすいか読みにくいか”は、その文章の<価値>とは関係ない。

まさに、見かけの『心変わり』の読みやすさと、見かけの『少年』の読みにくさ自体が、ある種の<文学>の本質を提示している。

文学の問題とは、こういう問題であって、それは、“紙か電子か”などという瑣末な問題では“ない”のである。


さて現在のぼくにとっての“真の問題”とは、<いかに老化し、いかに死ぬか>ということに集中する。

つまり<どの本>を読むことも、その問題に関連する。
もちろん今、『物質的恍惚』を読むことも、『心変わり』を読むことも、『少年』を読むことも、その問題に関連している。

大岡昇平氏が、自伝『少年』を書き始めたのは、ほぼ現在のぼくと同じ年齢であった。

すなわち大岡昇平氏が64歳だった1973年に『少年―ある自伝の試み』は「季刊文芸展望」に連載開始された(単行本刊行1975年)

ぼくはこの『少年』をはじめて読む。
そして昔読んで感銘を受けた『成城だより』を読み返す。
この『成城だより』は、大岡氏が71歳からの日常(生活)を記録した<日記>である。

すなわち、いかにして、ひとりの老人は死を迎える日まで生きたか。


ぼくが読みたいのは、そういう事実であって、“世間の無駄ばなし”では(もはや)ないのである。


大岡昇平の“小説”を読み返し、書きたいこともたくさんある。
『俘虜記』、『野火』は傑作である(戦後日本文学はここからはじまった)
『レイテ戦記』まだ上巻56ページで止まっている(笑)― 必ず読む。