Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

物質的恍惚

2010-08-17 10:38:35 | 日記


★ ぼくは自己への内向への偏執者である。ぼくはぼくの何平方メートルかを持っており、それはたいへん限定されたもので、ぼくが汲みつくすことはいつまでもないだろう深淵なのだ。

★ 太陽、そうだ、ぼくには太陽が要る。生な光、過激な暑さが。つぎにぼくには都市が要る。数々の騒音や運動が、人工がぼくには欠かせないのだ。憩いはぼくを疲労させる。ぼくにはまた、世界の美のほんの一かけらが必要だ。例えば、海、ひらけた湾、ごつごつした小石、空。

★ 6時、夕方の6時と30分ごろ、太陽が少し落ちてきたとき、ぼくの周囲のすべてが、そしてぼく自身が、欣喜雀躍する。この印象を翻訳するには、ほかに言葉がない――“欣喜雀躍する”のだ。

★ 白い太陽の光線はぼくの皮膚の中に入ってきて、知らず知らずのうちにぼくを変えてゆく。ぼくはここに根づく。ぼくは老いる。ぼくの思考はこの大地この空気からできており、そしてぼくの言葉はつねに同一の片隅を描きだす。ぼくはこの空間の各平方であり、そしてぼくの部屋、ぼくの生まれた領土に嵌めこまれた微小な蜂の巣は、ぼくをかくまう、絶えずかくまっている。外国というものはない。世界というものはない。祖国というものはない。限りない、うごめいてやまぬ、生きた何平方メートルか、これが国なのだ。人間が知っている唯一の国なのだ。できることなら樫の木のようにやってゆきたいものだ。そして何世紀ものあいだ、同じ土くれにかじりついて、動かずに、まったく動かずに生きたいものだ。

<ル・クレジオ“無限に中ぐらいのもの”―『物質的恍惚』(岩波文庫2010)>