Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

なぜ他人を愛せるのか

2010-08-19 21:02:11 | 日記


★ 前章までの考察が含意していることは、<私>に孕まれている過剰性こそ、<私>が人を愛し得ることの根拠になっており、またもうひとつの自由、<自由>の可能条件にもなっていた、ということである。<私>が、決して見通すことができない<他者>を愛することができるのは、<私>が自分自身に対して不透明であり、<私>がすでに<他者>だからである。前章に論じたように、<自由>を構成する能動性と受動性の間の循環――マゾヒズム的転回――は、求心化作用と遠心化作用の相互的な反転の中から出現するのであった。<私>が<他者>に見られることを、<他者>の受動的な対象であること自体を欲望するのは、<私>に帰属する求心的な能動性が、<他者>の方へと遠心的に反転するからである。要するに、<私>が<私>であることの核心に、<私>の透明な意志に服さない<他者>が孕まれているからである。



★ 本論の展開を通じてわれわれが徹底的に確認したことは、自由(や責任)は、骨の髄まで社会的現象だということだからである。他者が、他者としての他者が、主体性をもった他者がいる世界でなければ、自由は存在しない。しばしば、他者は、自由にとって阻害的な要因であるかのように語られるが、そうではない。他者なしには、自由ということが成り立たないのだ。

★ 無論、自由が社会的現象だとして、問題は、どのような意味において社会的か、ということである。われわれは、本論の中で、二種類の自由を、古典的な「自由」ともうひとつの<自由>とを抉出した。両者は、異なった意味において、社会的であり、他者を要請している。それゆえ、自由の擁護者は、同時に、人間の複数性の頑固な擁護者でなくてはならない。

<大澤真幸『<自由>の条件』(講談社2008)>





落葉

2010-08-19 09:38:23 | 日記


今日の読売編集手帳に“落葉”という言葉があった。

この言葉を見て、ぼくが思い出したのは、日野啓三『落葉 神の小さな庭で』(集英社2002)という短篇集である。

日野氏は“この10年間、次々と危ない病気にさらされ”ながら、最後まで“小説”を書き続けた。

日野啓三というひとが、どういうひとだったか知らないひとは、自分で調べてください。
いやなにより、彼の本を読むべきだ。


「落葉」から引用したい;

★ 記憶している手術後の初めての会話は、担当の医師との次の会話である。
私のベッド脇に立って、その医師は不意にさり気なくこう言った。
「あなたはおもしろいひとらしいね」
「ヘンなひとだな」だったかもしれない。
そしてひと呼吸してこう言ったのである。
「頭を開いたら、落葉が詰まってたよ。とてもいっぱい、どうしてあんなに落葉だったんだろう」
早春の夕暮れだった。病室内は水底のような薄明かりと落ち着いた静けさがありありと感じられ、私の頭の中から落葉がいっぱい出てきたということが、透き徹る(とおる)ようにリアルだった。一生落葉の中を歩いてきた気がした。カサコソとかすかな乾いた音がいつも頭の中で聞えていた。
「ずっと秋の暮れでしたよ」
とぽつりと言いながら、この医師は詩人だな、と思った。







<参考>

俳人という職業にはどこかおっとりしたイメージを抱いていた上、同業同士は和気藹々で語らうものと思い込んでいたので驚いた。7年前、本紙に連載された森澄雄、長谷川櫂両氏の『往復書簡』である◆森さんは長谷川さんの一句を引き、「一番嫌いな句だ」「どこかに言葉の驕りがある」と書いておられた。遠慮も仮借もない言葉で後輩の芸術を研磨する姿に深く感じ入った覚えがある◆<除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり><聖夜眠れり頸やはらかき幼な子は>。家族や自然を平明にして深みのある言葉で詠んだ森さんが91歳で死去した◆約200人いた中隊で生還者8人というボルネオでの過酷な戦争体験が俳句人生の原点という。「だから戦後は、ひとりの平凡な人間として生涯を送りたいと強く思うようになりました。妻を娶ったら妻を愛し、子供が出来たら子供を慈しみ…」。37年間務めた『読売俳壇』の選者を昨年退いたとき、本紙に寄せた文章のなかで回想している◆<美しき落葉とならん願ひあり>。去りゆく身を散る花ではなく落葉に託したところが、平凡な生活者であろうとしたその人らしい。(2010年8月19日 読売編集手帳)