★ 魔女1 この次3人、いつまた会おうか?かみなり、稲妻、雨の中でか?<シェクスピア:『マクベス』>
★ 赤ん坊の揺り籠は深淵の上で揺れているのだ。<ナボコフ:『記憶よ、語れ』>
★ 女は庭仕事の手をとめ、立ち上がって遠くを見た。天気が変わる。<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>
★ 背筋をまっすぐにのばして目を閉じると、風のにおいがした。まるで果実ようなふくらみを持った風だった。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子のつぶだちがあった。果肉が空中で砕けると、種子はやわらかな散弾となって、僕の腕にのめりこんだ。そしてそのあとに微かな痛みが残った。<村上春樹:“めくらやなぎと眠る女”>
★ 一夏のあいだ、雲の彫刻師たちはヴァーミリオン・サンズからやってくると、ラグーン・ウエストへのハイウェイの横にならび立つ白いパゴダにも似た珊瑚塔の上を、彩られたグライダーで飛びまわった。<J.G.バラード:『ヴァーミリオン・サンズ』>
★ 雨がつづいた。それは烈しい雨、ひっきりなしの雨、なまあたたかい湯気の立つ雨だった。(レイ・ブラッドベリ:“長雨”>
★ その水晶の柱の家は、火星の空虚な海のほとりにあり、毎朝、K夫人は、水晶の壁に実る果物をたべ、磁力砂で家の掃除をする。その様がよくみえた。磁力砂は埃をすっかり吸い取り、熱風に乗って吹き散ってしまうのである。午後になると、化石の海はあたたまり、ひっそり静止し、庭の葡萄酒の木はかたくなに突っ立ち、遠くの小さな火星人の骨の町はとざされ、だれ一人戸外に出ようとするものはいない。そんなときK氏は自分の部屋にとじこもり、金属製の本をひらいて、まるでハープでも弾くように、浮き出た象形文字を片手で撫でるのだった。指に撫でられると、本のなかから声が、やさしい古代の声が語り始めた。まだ海が赤い流れとなって岸をめぐり、古代の人々が無数の金属製の昆虫や電気蜘蛛をたずさえて戦いに出掛けた頃の物語を。
<レイ・ブラッドベリ『火星年代記』>
★ 平野には豊に作物が実っていた。果樹園がたくさんあり、平野の向こうの山々は褐色で裸だった。山では戦闘が行われていた。夜になると砲火の閃くのが見えた。暗闇のなかで、それは夏の稲妻のようだった。けれども夜は涼しく、嵐がくる気配はなかった。<ヘミングウェイ:『武器よさらば』>
★ 二日前に雪が降り、京都御所では清涼殿や常御所の北側の屋根に白く積もって残るのを見かけた。大きな建物だから寒かろうと覚悟して行ったが、冬暖かい青空で、光に恵まれた昼となった。<大仏次郎:『天皇の世紀』>
★ わたしが来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである。そして、家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。<『福音書』>
★ 日本を統ぐ(すめらぐ)には空にある日ひとつあればよいが、この闇の国に統ぐ物は何もない。事物が氾濫する。人は事物と等価である。そして魂を持つ。何人もの人に会い、私は物である人間がなぜ魂を持ってしまうのか、そのことが不思議に思えたのだった。魂とは人のかかる病であるが、人は天地創造の昔からこの病にかかりつづけている。<中上健次:『紀州』 終章“闇の国家”>
★ 話を変えた。歌をうたってもらった。所謂(いわゆる)、串本節である。だが、ここでは古座節と言ったほうがよい。
わたしゃ若いときゃ つがまで通うた
つがのどめきで
夜があけた
ついてござれよ
この提灯に
決して苦労は
させはせぬ
“つがのどめき”とは、古座から新宮にもどった海岸にある。潮が満ちてくると、ドドドドッとどめく。どめくとはどよめく、鳴りひびくの意味である。歌は恋の歌であり、恋心がどめきに満ちる潮の音ほど鳴りひびく。歌の文句は、男が歌うより女が歌うほうがよい。
<中上健次『紀州 木の国・根の国物語』>
★ 僕らがいるのはどうやら最後のフロンティアであり、本当に最後の空を見ているらしい。その先には何もなくて、僕らは滅びていく運命にあるらしいことはわかっているのだけれど、それでもまだ、僕らは「ここから、どこへ行くのだろう」と問いかけているのです。僕らは別の医者に診て貰いたい。「おまえたちは死んだ」と言われただけでは、納得しません。僕らは進み続けたいのです。<エドワード・W・サイード:『ペンと剣』 >
★そこでは、汗の一滴一滴、筋肉の屈伸の一つ一つ、喘ぐ息の一息一息が、或る歴史の象徴となる。私の肉体が、その歴史に固有の運動を再生すれば、私の思考はその歴史の意味を捉えるのである。私は、より密度の高い理解に浸されているのを感じる。その理解の内奥で、歴史の様々な時代と、世界の様々な場所が互いに呼び交わし、ようやく解かり合えるようになった言葉を語るのである。<クロード・レヴィ=ストロース:『悲しき熱帯』>
★ 喜びとともに息を凝らした。やはり彼だ。短いようで、長い時間だった。人けの絶えようとする、周囲の目からも奇妙なほど隔絶されている庭の中央で、指先にしばし、大きな複眼と透き徹った四枚の翅を載せていた。<平出隆:『猫の客』>
★ 気がつくと、運命から切り離されたエメラルド色の蜥蜴へと三たび姿を変えていた。開きっぱなしのその瞳孔は、何万回目かの雨が砂浜にどっと降りつけるのを、灌木の枝間から動くことなく見つめている。雨はやがて琥珀となるだろう。
もうどこへも行かないし、砂浜には誰もいない。<青山真治:『ホテル・クロニクルズ』>
★ ――「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。<大江健三郎:“「雨の木」を聴く女たち”>
★よくいるかホテルの夢を見る。<村上春樹:『ダンス・ダンス・ダンス』>
★ 日が長くなり、光が多くなって、太陽がまるで地平線を完全に一周しようとするかのように、だんだん西に、いくつもの丘の向こうに沈んでいくとき、あたしの胸はじんとする。<ル・クレジオ:“春”>
★ 母はぼくを茶色の軍用毛布に包んで抱き上げ、ゆっくりハミングしながら、そこらを歩き回った。曲は「わが心のペグ」だったと思う。自分に聞かせるように、やさしくハミングしていた。心はどこか遠くをさまよっているようだった。
ぼくらはゆっくりと、恐竜たちの間を出たり入ったりしつづけた。足と足の間を、腹の下を、くぐり抜けた。ブロントザウルスのまわりを一周した。ティラノザウルスの歯を見上げた。恐竜たちはみな、目のかわりに青い小さなライトをつけていた。
そこには誰もいなかった。ただぼくと、母と、恐竜たちだけがいた。<サム・シェパード:『モーテル・クロニクルズ』>
★ よだかは、実にみにくい鳥です。<宮沢賢治:“よだかの星”>
★ だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。<ギュンター・グラス『ブリキの太鼓 第1部』>
★ 私は、ある女友達を訪ねるために、リガに着いていた。その女性の家も街も言葉も、私にとって未知のものだった。私の到着を待っている人はおらず、誰も私を知らなかった。私は二時間、ひとりぼっちで街路を歩き回った。このときのような街路を、私はその後二度と見たことがない。どの家の戸口にも、ガス灯の炎が吹き上がっており、歩道の隅石はどれも、火花を飛び散らせており、路面電車はみな、消防車のように走ってきた。<ヴァルター・ベンヤミン:『一方通行路』>
★ 午前1時。皆、寝静まりました。カフェー帰りの客でも乗せているのでしょうか、たまさか窓の外から、シクロのペダルをこぐ音が、遠慮がちにカシャリカシャリと聞こえてくるほかは、このホテル・トンニャット全体が、まるで深海の底に沈んだみたいに、しじまと湿気とに支配されています。<辺見庸:『ハノイ挽歌』>
★ そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。30年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。<矢作俊彦:『ららら科学の子』>
★ でも、気が狂ってるというのは、やはり悲しいことですわ。もしほかの人たちが気違いだとしたら、その中でわたしはどういうことになるのかしら?<デュラス:『ヴィオルヌの犯罪』>
★ 夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。<デュラス:『愛人(ラマン)』>
★ 言語もまた、一個の神秘、一個の秘密である。ロドリゲス島の<英国人湾>に閉じこもって過ごしたあのように長い歳月を、祖父はただ地面に穴を掘り、自分を峡谷に導いてくれる印しを探すことだけに費やすわけではない。彼はまた一個の言語を、彼の語、彼の文法規則、彼のアルファベット、彼の記号体系でもって、本物の言語を発明する。それは話すためというよりはむしろ夢みるための言語、彼がそこで生きる決意をした不思議な世界に語りかけるための言語である。
<ル・クレジオ:『ロドリゲス島への旅』>
★ するといま嬉しいことが起きる。ペン軸と覗き穴のなかの小宇宙とを想い出す過程が私の記憶力を最後の努力にかりたてる。私はもういちどコレットの犬の名前を想い出そうとする―と、果たせるかな、そのはるか遠い海岸のむこうから、夕陽に映える海水が足跡をひとつひとつ満たしてゆく過去のきらめく夕暮れの海岸をよぎって、ほら、ほら、こだましながら、震えながら、聞こえてくる。“フロス、フロス、フロス!” <ナボコフ:『記憶よ、語れ』>
★ まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
<宮沢賢治“春と修羅”>
★ 今もおなじだけれど、20数年前のその頃も、毎日、夕方になると、飲まずにいられなかった。<開高健:黄昏の力>
★ 「もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっているこの地獄でございます。これに苦しまずにいる方法は二つございます。第一のものは多くの人々には容易(たやす)いものでございます、すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなくなるようになることでございます。第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求いたします、すなわち地獄のただ中にあってなおだれが、また何が地獄ではないか努めて見分けられるようになり、それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます。」<イタロ・カルヴィーノ:『見えない都市』>
★ だが、あらゆる部族の名前がある。砂一色の砂漠を歩き、そこに光と信仰と色を見た信心深い遊牧民がいる。拾われた石や金属や骨片が拾い主に愛され、祈りの中で永遠となるように、女はいまこの国の大いなる栄光に溶け込み、その一部となる。私たちは、恋人と部族の豊かさを内に含んで死ぬ。味わいを口に残して死ぬ。あの人の肉体は、私が飛び込んで泳いだ知恵の流れる川。この人の人格は、私がよじ登った木。あの恐怖は、私が隠れ潜んだ洞窟。私たちはそれを内にともなって死ぬ。私が死ぬときも、この体にすべての痕跡があってほしい。それは自然が描く地図。そういう地図作りがある、と私は信じる。中に自分のラベルを貼り込んだ地図など、金持ちが自分の名前を刻み込んだビルと変わらない。私たちは共有の歴史であり、共有の本だ。どの個人にも所有されない。好みや経験は、一夫一婦にしばられない。人工の地図のない世界を、私は歩きたかった。
<M.オンダーチェ:「イギリス人の患者」>
★ ときおり、男の部屋で女が一夜を過ごせることがある。夜明けまえ、市内三つのミナレットで祈りが始まり、二人を目覚めさせる。南カイロと女の家のあいだには、インディゴ市場がある。男と女はそこを通る。一つのミナレットの呼びかけに、別のミナレットが応え、美しい信仰の歌が矢のように空気中を飛び交う。だが、歩いていく二人には、自分たちのことを噂し合っているように聞こえる。炭と麻の匂いが漂いはじめ、冷たい朝の空気の奥行きが増した。聖なる町を二人の罪人が歩いていく。
★ 二人が過ごした数時間のあいだに、部屋は急速に暗くなった。いま、川面と砂漠からの光だけが残る。めずらしく雨音が聞こえはじめた。二人は窓際に歩み寄り、両腕を突き出す。思い切り外へ乗り出し、体じゅうに雨を受け止めようとする。どの通りからも、夕立への歓声が上がる。
<M.オンダーチェ『イギリス人の患者』>
★ 今日のことは忘れよう、明日までは。<ボブ・ディラン:“ミスター・タンブリン・マン”>
★ むかしのことを思い出すと、心臓がはやく打ちはじめる。<ジョン・レノン:“ジェラス・ガイ”>
★村にきて
わたしたち恋をするため裸になる
(・・・・・・)
わたしたち裸のまま
火事と同時に消えるもの
大勢の街の人々が煙を見にくる
<吉岡実:“牧歌”>
★ 八千矛神(やちほこのかみ)よ、この私はなよなよした草のようにか弱い女性ですから、私の心は浦や洲にいる鳥と同じです。いまは自分の思うままにふるまっている鳥ですが、のちにはあなたの思うままになる鳥なのですから、鳥のいのちは取らないでください……
いまは朝日がさしてきた青山ですが、やがて夕日が沈んだら、まっ暗な夜が来ましょう。あなたは朝日のように晴れやかに笑っていらっしゃり、さらした梶の皮の綱のような白い腕、泡雪のような若やかな胸を抱きかかえ、玉のような手と手とをおたがいに枕とし、股を長々と伸ばして寝ましょうに、そうやみくもに恋いこがれなさるものではありません……<高橋睦郎:『古事記』現代語訳―『読みなおし日本文学史』による>
★ その被慈利(ひじり)にしてみれば熊野の山の中を茂みをかきわけ、日に当たって透き通り燃え上がる炎のように輝く葉を持った潅木の梢を払いながら先へ行くのはことさら大仰な事ではなかった。そうやってこれまでも先へ先へと歩いて来たのだった。山の上から弥陀(みだ)がのぞいていれば結局はむしった草の下の土の中の虫がうごめいているように同じところをぐるぐると八の字になったり六の字になったり廻っているだけの事かも知れぬが、それでもいっこうに構わない。歩く事が俺に似合っている。被慈利はそううそぶきながら、先へ先へ歩いてきたのだった。先へ先へと歩いていて峠を越えるとそこが思いがけず人里だった事もあったし、長く山中にいたから火の通ったものを食いたい、温もりのある女を抱きたいといつのまにか竹林をさがしている事もあった。竹林のあるところ、必ず人が住んでいる。いつごろからか、それが骨身に沁みて分かった。竹の葉を風が渡り鳴らす音は被慈利には自分の喉の音、毛穴という毛穴から立ち上がる命の音に聴こえた。<中上健次 “不死”― 『熊野集』>
★ 7月28日 月曜
すでにばら色になった陽光がぼくの部屋を染め、ぼくの机を照らしている、まるであの夕方そっくりだ。はじめてぼくが、アン・ベイリーの店で買い求め、まだ包装したままの500枚の紙をまえにすわり、まるで封印のようにはりつけられた帯封を破ったあの夕方、ぼくはそれらの白紙の第1ページを手に取り、しまの透かし模様を透かしてながめてから、机の上の陽の当たる所に平らに置くと、その白いページはぼくの目のなかで燃えはじめたのだった。<ビュトール『時間割』>
★ なにものももはや目をだますことはない。インディオの女たちの目は、黒い入り江のようだ。青銅色の顔のなかで静かにきらめきつつ、見つめている。目は《魂》にいたる扉として見開かれることなど決してない。
わたしたちの目の残忍さと貪欲。
しかしここには、河のほとりに立って動かない若い女の、見つめている目だけがある。
(見つめている目)。
<ル・クレジオ『悪魔祓い』>
★ これは、まったく
ラジオのようなもの
音楽以外のなにものでもない
なにものでもない
言葉以外の、言葉以外の
言葉以外の
ラジオのように
<ブリジット・フォンテーヌ“ラジオのように”>