下記ブログの最後に大江健三郎「火をめぐらす鳥」から引用した詩人伊東静雄をぼくは読んだことがなかった。
短編「火をめぐらす鳥」が、ぼくにとっては、また大江健三郎を読もうと、思うきっかけになった(そのわりには、その後あまり読んでないのだが)
これも前に買って、少し読んでいた菅野昭正『詩学創造』(平凡社ライブラリー2001)の一章が“帰れない帰郷者―伊東静雄”であることを思い出し読んでみた(短い)
その最後に伊東静雄が昭和21年に書いた詩があった(この年1946年にぼくは生まれた)
伊東静雄は1953年に死去している。
この詩は《一日の勤めがえりの若い女に託して》書かれた、とある。
タイトルは“都会の慰め”である。
いったい1946年の“都会”とはどのような光景であったか?(ぼくも知らない;笑)
いったいその都会での“勤めがえりの若い女”は、どのような容貌・服装であったか?
1946年ではないが、それからちょっと経って、ぼくの母は“勤めがえりの若い女”であった。
この詩を引用しよう;
そこに帰つてゆく前にゆつくり考へてみねばならぬ事が
あるやうな気がする
それが何なのか自分にもわからぬが
どこかに坐つてよく考へねばならぬ気がする
大都会でひとは何処でしづかに坐つたらいゝのか
ひとり考えるための椅子はどこにあるのか
― 伊東静雄“都会の慰め”
さて、この詩が書かれて65年近くが経過したのだが、ぼくは上記の“感慨”を共有する。
上記の詩が、“リアリズム”でないことは承知だが、ぼくにとって“大都会でひとり静かに坐って考えるための椅子”というのは、<喫茶店>の椅子である。
“スタバ”ではないのである。
“居酒屋”でも“こじゃれたバー”でも、もちろん、“ネットカフェ”でも、“漫画喫茶”でも、“ラヴホテル”でもない。
まさに“大都会”から、喫茶店が続々消えていく(ぼくは昨年から今年、行きつけの場所を次々に失った)
もちろんぼくには、自分の家に(いま坐っている)<椅子>がある。
しかし、
《そこに帰つてゆく前にゆつくり考へてみねばならぬ事が
あるやうな気がする》― “とき”がある、“こと”がある(ような気がする)
《どこかに坐つてよく考へねばならぬ気がする
大都会でひとは何処でしづかに坐つたらいゝのか
ひとり考えるための椅子はどこにあるのか》
しかし、ぼくがそのような場所の<椅子>を探すのは、かならずしも“ひとり考える”ためでは、ない。
“ひとり考える”他者(他人)を、見たいからである。