Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

傷口

2010-08-26 19:21:01 | 日記



★ 一人の個人であること、この個人を作り、そして作られるにまかせること。それこそたぶん、他者たちへ向かう真の道である。この道が行きつくことはけっしてない。それはただ単に、無知と疑いのうちに行われる並行した歩みであって、その唯一無二の手助けとして、あの精確がもたらす証明不能な友愛がある。各人は各人の人生を持っており、そしてそれを一つの事業(わざ)として運んでゆくべきである。

★ 有用性、目的性、人間外の展望などの数々は騙し絵にすぎない。人間は人間であること以外の運命を持たない――彼の運命は“私的”なものなのだ。

★ 彼が怯懦のせいで、あるいは見かけ上の寛度のせいで、一つの苦しみまたは歓喜を、それが自分以外の人類にとって無益であるとの口実のもとに断念するたびごとに、彼は、彼を人間にすることによって他の人間たちに近づけることができるであろうものを断念しているのだ。無償性を、彼がそれを絶望と呼んでいるがゆえに断念するたびごとに、自分の純粋な自由をこそ彼は断念しているのだ。そして彼が苦しみと呼んでいるものは、彼にはそのことがほんとうにはわからないまま、すでに歓喜であったのだ。なぜなら明晰さというむき出しの世界、精神がそこで行動している世界においては、苦しみは歓喜の中に、そして歓喜は苦しみの中に住んでいて、その合一を解くことはとてもできないからだ。

★ 個別的なものを通して、彼はたぶん普遍的なものに触れることになろう。しかも、実際に、この世界の、その形の、この時の顕現においてそれに触れることになろう。



★ ぼくが死んでしまうとき、ぼくの知り合いだったあれら物体はぼくを憎むのをやめるだろう。ぼくの生命の火がぼくのうちで消えてしまうとき、ぼくに与えられていたあの統一をぼくがついに四散させてしまうとき、渦動の中心はぼくとはべつのものとなり、世界はみずからの存在に還るだろう。諾(ウイ)と否(ノン)の対立、騒擾、迅速な運動、抑圧などの数々はもはや通用をやめるだろう。眼差しの凍えかつ燃える流れが止まるとき、肯定すると同時に否定していたあの隠された声が語るのをやめるとき、この忌まわしく苦痛に充ちた喧騒のすべてが黙してしまうとき、世界はただ単にこの傷口を閉じて、そのやわらかで静かな、新しい皮膚をひろげるだろう。

★ 濃密な黒い幕がいっぺんに落ちかかり、しかもぼくはそれに気づきもしないだろう。ぼくは征服するために作られたのではない。自分にとってきつすぎる流れを受けて火を発するほそい糸にすぎず、この糸はさまざまの物の稜角を照らしだそうとして燃え上がるのだ。

★ もうすでに死んでいる、そう、死んでいるのだ、ぼくが生きてあるためにした一つ一つの動作のたびごとに何百万べんも。

<ル・クレジオ『物質的恍惚』>






顔;グレン・グールドの手袋

2010-08-26 09:16:27 | 日記




秘密の中の秘密
硫黄の臭いのするサラバンドのステップを描いてゆく簡単で不可解な象(かたち)を知るために、

原初のゲームが
身を起こし、骰子(さい)を投げるのを見るために

ぼくの眼で
眼というものが見る権利のないものを観察するために
そしてぼくの皮膚の上に
ぼくの皮膚がけっして体験する権利のないものを感ずるために

<ル・クレジオ『物質的恍惚』>