Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ぼくは“ひねくれて”いない

2010-08-22 08:20:23 | 日記


今日の読売編集手帳は言う;

◆すくすく伸びるツリー自体、育ち盛りの子供のようでもあり、今しか撮れない成長の記録を定点撮影している人も多い。親子連ればかりではなく、老若男女、様々な人がビデオカメラや携帯などを空に向け、歓声を上げている◆読売歌壇より一首。〈養分を得たかのごとく夏空に成長してゆくタワーのありぬ 東京都 小菅暢子〉。高さはついに、400メートルを超えたという。日本の元気が感じられる数少ない場所かもしれない◆区道に面して、建設風景を正面に見る特等席の位置に先日、本紙の取材拠点「東京スカイツリー前分室」が開設された。本社ヘリから工事過程を定期撮影した写真パネルも展示している。ぜひ、お立ち寄りを。(引用)


ぼくは上記のような“センス”がまったく理解できない。

つまり、《日本の元気が感じられる数少ない場所かもしれない》というようなセンスが。
《すくすく伸びるツリー自体、育ち盛りの子供のようでもあり……》というようなセンスが。


そもそも《日本の元気》などという抽象物が理解できない。

なぜ<日本>は元気でなければならないのか?ということ以前に、“高い塔”が元気の象徴になるということが、理解できない。


ここまでセンスのちがうひとの言うことは、“すべて”理解できない。


“ついでに”、今日の天声人語も理解できない(爆)

▼ 〈それは単なる野球場の名称ではない。こんな叙情的なひろがりをもったスタジアムが世界じゅうにあるだろうか〉と詩人の谷川俊太郎さんは甲子園を言う。平和に抱かれてこその叙情であろう。思いを新たに、白球の夏を見送る。(引用)


もし“世の中”の人々が、こういうこと“だけ”言っているなら、ぼくは“世の中”が
理解できない。