Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

愛のイストワール(歴史=物語)

2010-01-06 22:38:37 | 日記

★ 他者との電撃的遭遇によって主体の自己同一的表皮に傷がつき、穴があけられ(エロスの矢によって)、主体が対象の方へと流れ出しわたしが不分明になってゆく――わたしがあなたになる。あなたがわたしになる。かつて他者から分離してわたしがつくられた道を逆に辿るかのように、わたしは他者との距離を見失ってゆく。というよりも、他者との距離そのもののなかに迷いこんでゆくのである。


★ 破壊的所有と理想化との精妙なる混合、流出する欲望と境界画定をおこなう禁止との稜線である愛は、文学においてしか近代の敷居を超えられなかった。心情性よりも認識の上に存在をうちたてる哲学を前にして神学が退場したとき、愛する者たちの情熱と熱狂を受けとめたのはレトリックであった。(クリステヴァ「偏執的エロス、崇高なるエロス」)


★ もしわれわれに宗教が残されているなら、それは美的な宗教である。というのは、虚構的意味のつかのまの展開のなかでこそ、もっとも強固にナルシシズムが保護されるからである。(クリステヴァ『愛の歴史=物語』)

★ 宗教がとうに瓦解し、また個人間の永続的愛も神話的にしか語られない現在、自己の固有性がつくられ更新される愛の空間は芸術にしか残されていないというのが、クリステヴァの考えである。『愛の歴史=物語』の結びの章で、現代人は愛を病むET(地球外異生物)に喩えられている。心的空間を奪われ、したがって自己固有の像を失って、ただ愛を再びつくりだそうとのみ願っている、追放された者。われわれは皆ETなのだ、と彼女はいう。


★ 死の欲動は、愛の名において服従を命ずる法(ノモス)としての<父>によっては包摂されない。クリステヴァのいう<想像的父>のような、死を生へと転ずることのできる愛する<父>によって、いいかえれば、情動を意味へとつなげることのできる新たなコード化によってしか、昇華されないだろう。そして、そのようなコードを虚構的なつかのまのものとしてつくり出すことができるのは、「もはや宗教でも、政党でも、政治参加でもなく、あるいは、ほとんどなく、創造行為、言語活動といった想像的な個人的な営みでしかないだろう」というクリステヴァの発言は、我われ一人ひとりに日常的実践を問い返させるものとなっている。

<西川直子『クリステヴァ-ポリロゴス』1999>




<追記>

クリステヴァのエクリチュールは、まだつづく。
『愛の歴史=物語』を補完する『黒い太陽-抑鬱とメランコリー』に取り組む。

なぜなら、抑鬱とメランコリーは、《愛がもたらす高揚の裏面》であるから。

★ 『愛の歴史=物語』を書いてゆく途中で、愛のもうひとつ別の面が見えてきました。それなしには語る主体の誕生はけっしてもたらされないもの、つまり喪失と喪の様相を、抑鬱と憂愁に閉ざされた裏面において展開する必要を感じたのです。(インタビュー)

この本で、クリステヴァはルネサンス期の人間の“もうひとつ別のヴィジョン”を提示したハンス・ホルバインの仮借なきレアリスムについて書いている;

★ 死を免れえない人間、<死>を抱擁し、みずからの存在そのもののうちに<死>を吸収する人間、みずからの栄光の一条件としてでもなく、みずからの罪深い本性の一帰結としてでもなく、みずからの脱神話化された現実――これこそ新しい尊厳である――の最終的真髄としての<死>を組み込む人間、というヴィジョン。

<西川直子『クリステヴァ-ポリロゴス』1999>




出会い

2010-01-06 12:21:06 | 日記

ある本に出会う。
あるひとに出会う。

ある本を読み始めることは、スリルである。

つまり、この本を読み続けることができるだろうか、この抵抗しようのない<時間>のつらなりのなかで、なんとかその本を読む状態をつくりだし、そして他の本の(あるいは他のイヴェントの)誘惑のなかから、<その本>を読みつづけることが、できるだろうか。

そして、<その本>に幻滅せずにすむだろうか。
なによりも自分に、その本を<読み終わる>時間はあるだろうか。

本の<書き出し>や、<序文>や<あとがき>にこだわる。

クリステヴァ『サムライたち』(筑摩書房1992)は近年“マーケットプレイス”で入手した<古本>である。

この本を買ったとき、(やはり)、書き出しは読んだ;
★ 古ぼけた枯葉色のスーツケースをふたつ、カウンターに置き、パパとママのぬれた頬に唇の先を軽く押しあて、恋しているのが一目でわかるウインクをダンに送ると、彼女はうしろも振り返らずにツポレフのタラップを駆けあがり、機内での3時間、刻々と過ぎる時の経過に思いを馳せようともせず――頭はからっぽ、お茶の渋みが口のなかに残っているだけ――やがて、ぬかるんだ灰色のパリに降り立った。小雪はふりやまず、舞い降りてきては溶けてゆく。「光の都」パリは、そこにはなかった。フランス人は雪かきも知らないのだ。幻滅は大きく、咽喉につまった塩のように感じられた。思ったとおり、ボリスはオルリーに迎えに来てくれてはいない。ポケットには、5ドルしかない。笑える場合ではない。惨憺たる状況だった。


<異邦の女>がオルリーに降り立った情景だが、これは<小説>である。
ぼくは、むかし、“1日1ドルで”世界旅行をした<日本人>を思い出す。
そのひとは、“なんでも見てやろう”と言ったのだった。

上記引用の<小説>書き出しの“前に”ふたつの文章がある。
《日本の読者への絵葉書》と“1989年6月24日”の日付のある文章;

★ 恋物語はもはやありはしない。しかし、女たちは恋物語を望んでいるし、男たちだって、女のようにほろりとしたり悲しんだりするのを恥ずかしいと思わなければ、同じ気持のはずである。皆が皆、生活に追われ、死にせきたてられている。(略)彼らには時間がない。光にみちた青い絹の布の空に点々と浮かぶ雲のほうへと枝を差しのべているアカシア、蜜蜂の仲立ちでやがて蜜になる軽やかな香りを振りまきながら、こまかい葉叢をふるわせているこの薄紅色のアカシアを、眺めやる時間が彼らにはない。


さて《日本の読者への絵葉書》ではこの本のタイトル<サムライたち>が“説明”されている;

★ この小説のなかに登場するサムライたちは、日本人ではありません。1965年から1990年にかけてフランスに生き、フランス語で語り、フランス語で書き、そして、フランス文化に深い痕跡をとどめた人びとです。(略)私を魅了したのは、彼ら一人一人の内面生活でした。彼らの数多くの快楽と苦悩が、あなたがたの快楽と苦悩に出会うことを願っております。

★ このひとたちを「サムライ」と呼ぶのは、私があなたがたの文化を愛しているから、というだけではありません。かつてサムライたちが実践した、そして現在の日本の競争力を支えてもいるように思われる、死を賭してまで誇りたかく危険を冒すというあの冒険心を私がとくに愛しているから、というだけでもありません。私の本の登場人物たちも、その冒険心に匹敵する叡智をつくりだし、それを生きたのだと、私は考えたいのです。

★ 現在では、あなたがたがパリに来られるのも、私が東京に行くのも、容易になりました。そして私たちは、書いたものを相互に読みあうことができると信じ、おたがいに理解しあいたいと望んでいます。ところが、なんということか、メディアによってつくられている世界大の博物館は、私たちを俗化と虚偽のなかに呑みこんでしまっています。逃れることのむずかしいこの誘惑に抗して、孤独であることの尊厳と、危険を冒すことの意義を守ろうではありませんか。私にとって、これこそサムライたちのメッセージであり、これこそエクリチュールの意味なのです。
皆様もまたサムライであるかのように、この小説を読んでいただけたらと存じます。


しかし、クリステヴァは、“異邦の女”であった。
幼児から“フランス語を母国語のように身につけた”とはいえ、彼女の最初の<言葉>は、フランス語ではなかったはずである。

まだクリステヴァを“ほとんど知らない”ぼくが言うのは乱暴だが、ここに日本人であるぼくが読む時の、クリステヴァの“わかりやすさ”があるような気がする(つまりドゥルーズやデリダにくらべて)

しかし、これらの<エクリチュール>を読んで、ぼくが立ちどまるのは、当然、<サムライ>という言葉にである。

《そして現在の日本の競争力を支えてもいるように思われる、死を賭してまで誇りたかく危険を冒すというあの冒険心を私がとくに愛しているから、というだけでもありません》

もちろんここには、クリステヴァの<皮肉>があるのだ。
しかし同時にレヴィ=ストロースやロラン・バルトにもあった、“サムライへの幻想”(オリエンタリズム!)もあるのだ。

けれども、<普遍的な(世界的な)内面の生活>というものが、提起されている。
(ぼくは読んでないが;笑、ハンナ・アーレントも晩年、<精神の生活>と言ったではないか)

《メディアによってつくられている世界大の博物館は、私たちを俗化と虚偽のなかに呑みこんでしまっています。逃れることのむずかしいこの誘惑に抗して、孤独であることの尊厳と、危険を冒すことの意義を守ろうではありませんか。私にとって、これこそサムライたちのメッセージであり、これこそエクリチュールの意味なのです》


まさに、この<日本の歴史>において、<サムライたち>をどのように発掘すればよいのか?

これが、ぼくの課題である。

司馬遼太郎では、<ない>のだ。


宮沢賢治、大江健三郎、中上健次は、すでにいる。







<たとえば、比較せよ>

山口昌男(なつかしいですね)の『「挫折」の昭和史』(岩波現代文庫2005)の“書き出し”では、3人の“日本人”のパリ滞在が描写されている。

白井鐵造というひとは、ぼくははじめて聞く名であった。
白井は1928年(昭和3年)、《阪急電鉄社長の小林一三の命により半年の期間を与えられて、レヴュー勉強のため欧米に向けて出発した》が、ニューヨークからパリに移り外遊期間を1年延長して、昭和5年に帰国した》とある。

同じ頃、《暗い日々をフランスで過ごしていたもう一人の日本人がいた》、甘粕正彦である。
この甘粕というひとを知らなくても、映画“ラスト・エンペラー”で坂本龍一が演じたひとといえば、納得である(笑)

この甘粕さんは、《大正12年(1923年)関東大震災の混乱にまぎれて、アナキスト大杉栄と愛人伊藤野枝、そして大杉の甥の橘宗一少年を殺したことで日本全国にあまねく知られていた》のであり、《10年の刑を言い渡されたが2年で密かに釈放され、(・・・・・・)ほとんど憲兵隊によって追いたてられるようにして、昭和2年7月フランスへ旅立っていた》。

《皮肉なことに》、大杉栄も1923年にベルリンのアナキスト国際大会出席のためパリに行った。
大杉のパリ滞在は、《短期間だが、絢爛豪華》だったという(大杉はフランス語もしゃべれた)、しかしその年7月に帰国、9月に殺害された。

さて“暗い”甘粕さんはどうであったか(爆)

角田房江が『甘粕大尉』という本を書いているという、そこからの引用;
★ 甘粕は獄舎から、世界で最も個人の自由の確立しているフランスへ直行した。まず彼はフランスについての基礎知識に乏しかった。そのうえ、多くの日本人同様、肉体、精神ともにこの国に順応する素質を持たなかった。民主主義に基づく共和制の基本は自由、平等である。それを何よりも尊重して暮らすフランス人に、彼が反発し、嫌悪感を抱いたとしてもふしぎではない。

まあ、ちょっと“フランス人”を褒めすぎである(笑)
しかしいまぼくに関心があるのは、“フランス人”ではなく、“日本人”の方なのである。

山口氏は書いている。
白井鐵造は、《宝塚に復帰して、宝塚の看板演出家としての道を歩む》。

一方、<甘粕>は、昭和四年(1929年)2月末に帰国し、7月には満洲に現れる。
(いよいよ“ラスト・エンペラー”である)
《満洲では、板垣征四郎をはじめとする関東軍の参謀たちと交渉を持ち、一連の謀略事件に黒幕として深いかかわりあい持ち始める》のである。


歴史って、ほんとうにおもしろいですね。





生モノにつき注意

2010-01-06 09:56:12 | 日記


“あるひと”に強烈な違和感を感じるのは、そのひとの<ロジック>に対してか、<感性>に対してか?

つまり“このブログ”に対しても、上記の問いは、発せられる。

ぼくのブログを読んだひとが、“現実に”ぼくに会った時、“以外にソフトな(フツーの)ひとなんですね”という感想もありえる(事実そういう反応もあった)

しかし、“本当のボク”は、どっちであろうか(笑)

“書かれた言葉”で、その人を判断するというのは、ブログやツイッターでは、至難のわざである。

それでも長くブログをやっていて、何年もそのブログと“つきあう”なら、ある程度、そのひとが“分かる”。

ましては、あるメディアの<コラム>を読み続けるならば、そのコラムの書き手の<個人>が分かるのではなく、そのひとが“代表”しているそのメディアの<感性>がわかる。
<ロジック>ではない。


ゆえに今年もまた(笑)、<天声人語>を引用する。
なぜなら、天声人語において、単に朝日新聞というメディアの感性が“分かる”のみではなく、<世間>の感性がわ・か・る;

▼ ある百貨店グループが、初売りの話題づくりに人型ロボットの注文を取った。2体限りの特製で、価格は西暦にちなんで2010万円。それでも全国で数十件の応募があったそうだ▼抽選のうえ、購入者と同じ顔、体、声を持つロボットを、開発会社のココロ(東京)が半年かけて作る。あらかじめ用意した言葉を、それなりの表情や身ぶりでしゃべるという。同じ大金を出すなら別の容姿にしたい気もするが、自分がもう一人いる世界も面白い▼ロボットの好感度は、外見や動作が人間に近づくほど増す。ところが、ある時点で強烈な不快感に転じ、人と見分けがつかない水準で好感に戻るという。中途半端に人っぽい段階を「不気味の谷」と呼ぶそうだ。『ロボットのいるくらし』(ロボLDK実行委員会編)に教わった▼人と機械という異質をすり合わせ、「谷」を越えようとする人型ロボ。重さ100キロというから、輸送時は「割れもの」というより大型機械の扱いだろう。包装の片隅にでも小さく「生もの」とはってやりたい。
(以上引用)


すなわち“天声人語氏”は、2010万円の“購入者と同じ顔、体、声を持つロボット”、“あらかじめ用意した言葉を、それなりの表情や身ぶりでしゃべる”ロボットに<好意的>である。

《自分がもう一人いる世界も面白い》
《包装の片隅にでも小さく「生もの」とはってやりたい》
のである。


あのー(爆)
ぼくにはぜんぜん、ワカンナイ。
この<感性>が。

なぜ<ロボット>なのか?

なぜなら、<生もの>としての<人間>(“他者はまったき他者だ”;デリダ)は、天声人語氏の“隣にいる”、あるいは遠く離れた<ガザ>にもいる(<チベット>でもいいよ、鳥男君)

あるいは、自分自身である。

天声人語氏のようなひとには、<ヒューマニズム>についての、根底的な“再”認識を要請する。





Snapshot;Wake up ! “眼ざめよと呼ぶ声がする”

2010-01-06 09:07:26 | 日記


コンサートで“Wake up !”と聴衆に叫んだのは、ジム・モリソンだった。

ジムは、アメリカ人、カリフォルニアの人間だった。

“アイドル”をのがれて、パリに居住したジムは、最後に<L.A.WOMAN>というアルバムを残した、1960年代である、ロック史上の傑作アルバムのひとつである。

<眼ざめよと呼ぶ声がする>というのは、バッハのコラール前奏曲である。

ならば、“Wake up !”というのは、キリスト教的モチーフであろうか。
アメリカやヨーロッパで育つことは、神の抑圧のもとで育つことであった。

ポール・サイモンは、“My Little Town”で歌っている。
《死んだものと、死んでいくものだけのこの町から出て行く》

しかし、<DOORS>や<サイモン&ガーファンクル>が、“神話”でなかったわけでもない。
また<キリスト教>が単純に否定されればよいのでもなかった。
まさにキリスト教は、<歴史>としてある。

それは、キリスト教<内部>のたたかいとして、また、“キリスト教の抑圧”へのたたかいとしてある。
抑圧するものへのたたかいとしてあったものが、みずから抑圧するものとなる。

宗教と科学と哲学は、同じものであった。
なぜ、ニーチェが、あれだけの言葉をついやさねばならなかったか。
なぜ、“フランス現代思想”は、そのニーチェにみずからの根拠のひとつを見出したか。
“ヘーゲルとニーチェのたたかい”。

またベンヤミンやデリダにおける<メシア思想>とは何か。
クリステヴァにおける、“キリスト教の精神分析・言語分析”とは何か。

このすべてが神である極東の国の近代において、<和魂洋才>とは何か。
<アジア>はどこにあるのか。
このアジアの<植民地の歴史>とは何か。

無数の問いが提起される。
<神話>があり、<物語>があり、<喜劇>があり、<悲劇>がある。

中上健次は、“ロジカル”でなく、<法と制度である物語>に迫ろうとした。
それは<闇の国家>への錯綜した<想像力>であった。
彼もまた、ベンヤミンのように、その探究の途上で斃れた。

このような根源的な問い、を、決して発することのないものたちの、徹底的に空虚な言葉が氾濫するとき、みずからもまた、これらの空虚なことばの“ナイーヴ”さに窒息するとき、まさに<神でない>だれかが、呼びかける。

Wake up !