★システム
この現代社会の<システム>で最悪のもの。
学校とメディア。
学校は、学ぶことを嫌う人間をつくりだす。
メディアは、世界を知らないですむ人間をつくりだす。
★ 環境
ひたすら破壊されるもの。
“神の手”の切り札をなくしても、プレイし続ける資本主義の<精神>。
★ 動物
人間もまた動物であるなら、動物もまた人間である、とは言えない。
★ 時間
2010年も、14日経過。
君が客観的であるなら、この時間の直進性(破滅に向かうレミング)を止められない。
たぶん、主観性によって、君は時間を混乱(錯乱)させる。
★ 未知との遭遇
未知との遭遇というテーマにおいて、奇妙なのは、その<映像>がちっとも未知ではないことである。
そうだよねスピルバーグさん。
★ サイエンスフィクションとホラー
サイエンスフィクションの魅力は、それがサイエンスではないことであった。
ホラーの魅力は、それがちっともこわくないことであった。
★ ミステリ
ミステリというジャンルほど、いいかげんなものは、ない。
にもかかわらず<ミステリ>だけを読むひとがいるのは奇怪だ。
★ 警察
警察官とか刑事とか検事とか弁護士とかを主人公にしたドラマがある。
それらを見て、わかるのは、世の中にはとっても悪い人がいるということである。
つまり死刑にして消滅させるほかない人がいることである。
★ マンガ
マンガというジャンルは、バカにできない。
つまり、マンガ的感性というのが、支配的になった。
その感性が、多様であっても、それは、マンガ的でない感性とは、決定的にちがう。
ぼくは、“スカイクロラ”のスイトさんを知ってから、この問題に気づいた。
つまりマンガの主人公に萌える感性は、人間的ではない。
★ 病院-病人-医者
最近の海外ドラマは、病院モノが流行りである。
つまりそこでは、人生のドラマとやらが描きやすいのだ。
こういうのを、安易な態度という。
ぼくは見ない(まぬけな医者の馬面を見ていられない)
★ ドラマ
テレビにしろ映画にしろ、それが見れるか否かは、主人公の顔である。
近年、見ただけでいやになる顔が多い。
★ テロリスト
テロリストも近年のドラマの、トレンドである。
にもかかわらず、テロリストとは単純な人々なのである。
ゆえに、それと戦う人々も単純になる。
それを見る人々も単純になる。
★ アメリカ・ヒューマン・ドラマ
アメリカ・ヒューマン・ドラマほどくだらないものはない。
アメリカ的ユーモアというのも、いただけない。
ぼくはウッディ・アレンの映画を見ていられない。
つまり、あの顔だけで、笑えない。
★ 映画における歴史描写
昨夜、トマス・モアについての映画を見たし、先日は“サン・バルテルミの虐殺”を背景とした映画を見た。
こういう歴史を映画で見て良いことは、そういう歴史があったということを知ることである → そういう歴史に突っこむきっかけになる。
だが、その映画で描かれたことを信じてはいけない。
つまり、映画でのトマス・モアのセリフに感動している場合ではない。
なぜ、モアは、ヘンリー8世の権力は拒否するのに、ローマ法王の権力は拒否しないのだろうか。
キリスト教というのは、権力を否定し、内面だけに依拠するのではないのか。
★ 午前中と午後もしくは夜
ブログを午前中~昼に書くことが多い。
午後から夜にかけて、自分が書いたブログが、いやになる。
これは単に血圧の問題かもしれない。
★ 中毒
たしかに、人間というのは、なにかの中毒になりやすい。
ぼくの場合は、煙草である。
しかし社会的にもっとも中毒的なものとは、テレビである。
つまりテレビを見ないひとも、潜在的中毒である。
テレビを見る人は、死に至る中毒である。
ああ、もうひとつ、セックスもしくはセックス幻想ね。
ぼくらは、なにかのストーカーなのである。
★ 努力すればできる
最近読んだ大学教授の対談で、
“いくら勉強してもできない子というのは、先生にはわかってしまう”
という発言を読んだ。
しかし、そういう子には決してそう言っては、ならない。
“君は努力すれば、できる”
と言うのである。
★ 勉強
現在学校で行われている勉強に向かない子がいるのは、当然である。
そういう子には、その子に向くことを教育すべきだ。
自分に向かないことを誤解して、情熱を傾けるひとがいるから混乱するのだ。
つまりいつまでも自分の問題に直面しない人々である。
★ 玉子とニワトリ
働かないと食えないぞ、と脅迫されるから、カネだけになるのだろうか。
それとも。
★ 現実的なひと
たぶんこの世は、現実的なひとが現実的だと思うことで、運営されている。
だから現実的なひとがいないと、現実はもたない。
現実的でない人々(ぼくのようなひと)だけだったら、現実は崩壊してしまう。
しかし問題なのは、現実的な人々が運営しても、現実が崩壊しそうなことなのである。
そうなると、どっちみち崩壊するなら、現実的でない方が良い(好きだ)という選択になる。
つまり現実的な人々というのは、たんに退屈だから。