Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

生モノにつき注意

2010-01-06 09:56:12 | 日記


“あるひと”に強烈な違和感を感じるのは、そのひとの<ロジック>に対してか、<感性>に対してか?

つまり“このブログ”に対しても、上記の問いは、発せられる。

ぼくのブログを読んだひとが、“現実に”ぼくに会った時、“以外にソフトな(フツーの)ひとなんですね”という感想もありえる(事実そういう反応もあった)

しかし、“本当のボク”は、どっちであろうか(笑)

“書かれた言葉”で、その人を判断するというのは、ブログやツイッターでは、至難のわざである。

それでも長くブログをやっていて、何年もそのブログと“つきあう”なら、ある程度、そのひとが“分かる”。

ましては、あるメディアの<コラム>を読み続けるならば、そのコラムの書き手の<個人>が分かるのではなく、そのひとが“代表”しているそのメディアの<感性>がわかる。
<ロジック>ではない。


ゆえに今年もまた(笑)、<天声人語>を引用する。
なぜなら、天声人語において、単に朝日新聞というメディアの感性が“分かる”のみではなく、<世間>の感性がわ・か・る;

▼ ある百貨店グループが、初売りの話題づくりに人型ロボットの注文を取った。2体限りの特製で、価格は西暦にちなんで2010万円。それでも全国で数十件の応募があったそうだ▼抽選のうえ、購入者と同じ顔、体、声を持つロボットを、開発会社のココロ(東京)が半年かけて作る。あらかじめ用意した言葉を、それなりの表情や身ぶりでしゃべるという。同じ大金を出すなら別の容姿にしたい気もするが、自分がもう一人いる世界も面白い▼ロボットの好感度は、外見や動作が人間に近づくほど増す。ところが、ある時点で強烈な不快感に転じ、人と見分けがつかない水準で好感に戻るという。中途半端に人っぽい段階を「不気味の谷」と呼ぶそうだ。『ロボットのいるくらし』(ロボLDK実行委員会編)に教わった▼人と機械という異質をすり合わせ、「谷」を越えようとする人型ロボ。重さ100キロというから、輸送時は「割れもの」というより大型機械の扱いだろう。包装の片隅にでも小さく「生もの」とはってやりたい。
(以上引用)


すなわち“天声人語氏”は、2010万円の“購入者と同じ顔、体、声を持つロボット”、“あらかじめ用意した言葉を、それなりの表情や身ぶりでしゃべる”ロボットに<好意的>である。

《自分がもう一人いる世界も面白い》
《包装の片隅にでも小さく「生もの」とはってやりたい》
のである。


あのー(爆)
ぼくにはぜんぜん、ワカンナイ。
この<感性>が。

なぜ<ロボット>なのか?

なぜなら、<生もの>としての<人間>(“他者はまったき他者だ”;デリダ)は、天声人語氏の“隣にいる”、あるいは遠く離れた<ガザ>にもいる(<チベット>でもいいよ、鳥男君)

あるいは、自分自身である。

天声人語氏のようなひとには、<ヒューマニズム>についての、根底的な“再”認識を要請する。





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