Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

エンターテイメント=文学

2010-01-30 23:13:36 | 日記

★ あらたな虚構の介入とはどういうことか。それは武藤が制作したひとつの8ミリ短篇映画を見た唯生が、そこにいままで見知っていたはずのツユミを、まるでべつな人物として発見したというそれだけのことなのだが、しかし彼を「恋する男」たちへ仲間入りさせるには充分な出来事であった。(……)いくらか虚ろな眼つきで口をすこし開けたままの、真剣さと放心が入り混じったような顔つきでいくつもの卵を割って中身を出し、腹がたつのか不器用なだけか、そのどちらともうけとれるひどくぶっきらぼうな素振りで、料理道具や食器を乱雑にあつかうのだが、できあがる5人分のオムライスはそうした粗雑さのなかにあってさえ、どこかべつの次元からとりよせたもののように見事な出来栄えで画面のなかにおさまり、だからといって……
<阿部和重;『アメリカの夜』(講談社文庫2001)>


★ 僕が小学生時代の夏休みは、暑い陽差しに首をうなだれた黄色い大きなひまわりの、原色の激しいイメージを抜きに語れない。
★ そうやって気まぐれに育てて8月――。大きな花が真夏の太陽を燦々と浴びるころ、僕は縁側に老人のようにけだるい軀を横たえ、夏が過ぎるのを、じっと待った。こうしてずっと退屈な午後を生きねばならないという漠然とした不安を、ひまわりは生命力を誇示しながら教えてくれたのだった……。
★ 僕には、僕だけでなく、似たような午後の一刻を記憶している者であれば、三島由紀夫の日常性への呪詛を否定することはむずかしい。だが、やはり彼はどこか違っているのだ。天才であること、それだけでなく、どこかが違っている。
★ 恐らく近代官僚制は、そうした不在の何かを埋め合わせるシステムなのだ。立身出世の野心に溺れた祖父、屈折した小役人でトリックスターの倅、そして三代目に三島がいる。いずれも官僚を志向するが、結局、官僚機構からの落伍者で終わった。その血脈から一筋の愚直さがこぼれ、絢爛たる文学が開化した。
<猪瀬直樹;『ペルソナ 三島由紀夫伝』(文春文庫1999)>


★ 突然、あらゆる活動が止る。あるいは、マンディの意識に入らなくなる。映像とサウンドトラックが同時に途切れ、また始まったかのようだ。サーシャはまだ演説台から滔々としゃべっている。しかしエキストラはみな叫んでいる。何重もの武装警官の輪が抗議者のまわりで狭まり、杖が盾を打つ音が雷鳴のように轟く。最初の催涙弾が炸裂する。
★ そこらじゅう怒号と殴り合いの混乱のなかで、品位らしきものを保っているのはただひとり、法官ユディットだ。驚いたことに、毛沢東のジャケットのなかから大きな野球バットを取り出し、消極的抵抗を唱えるサーシャを無視して、若い警官の真新しいヘルメットをしたたか殴りつける。そのあまりの強さにヘルメットは天からの贈り物のように警官の手に落ち、彼は馬鹿げた薄笑いを浮かべて膝から崩れ落ちる。
<ジョン・ル・カレ;『サラマンダーは炎のなかに(ABSOLUTE FRIENDS)』(光文社文庫2008)>


★ 私が『振り子』を見たのはあの時だった。
教会のドームから吊るした一本の長い糸の先端に取りつけられ、その球体は等時性を厳守しながら、ゆったりと孤を描いて揺れていた。
★ ステンドグラスを通して差しこむ夕暮れ時の太陽光線に反射して、その銅球は玉虫色の弱い光を放っていた。昔と同じように湿った砂を床に敷きつめ、重りの先端が微かに触れるようにすれば、重りは揺れるごとに砂上に軌跡を描き、その方向をごくわずかに変えながら溝を広げ、左右対称の放射線を描き続けることになるだろう。(……)いやそれはむしろ、広漠とした砂の上を際限なく移動する旅商(キャラバン)の残した足跡か、あるいは何千年もの単位でゆっくりと進む移動の歴史なのかもしれない。
<ウンベルト・エーコ;『フーコーの振り子』(文春文庫1999)>


★ 夕陽が斜面の木々を染めていた。琥珀の内側に閉ざされて時を止めたように見える場所だった。秋彦は、その場所でもう一度バスを降りた。あのトンネルの前だった。しんとした、草いきれの混じる冷えかけの空気を吸いこむと、バスからバスへ、それから二本の列車、そしてさらにバス、と何度も乗り継いでとうとうここまで来た、その間ずっと溜めてきた息もろとも、一気に吐いた。地図上でいうならそれは、衛星写真が捉えた台風の、九州という島のちょうど中心から時計回りに描く雲の影の放物線が、遠心力で自分をその外へ放り出すような行程だった。九州に暮らす者にとって、台風は荒々しい生き物だ。しかし旅程は、この山あい同様、静かすぎた。
<青山真治;『サッド・ヴァケイション』(新潮社2006)>




<注記>

以上の引用文の本は、すべて”読みかけ”です。

このなかで、どれが好きかと問われたら、最後ですね。

どれが嫌いかと問われたら、最初ですね(笑)、しかしぼくは阿部氏はこの本だけでなく(本当にいやになるまで)読み続けようと思う。

これからテレビを見て、適当に寝ます、おやすみなさい。



あかるい家とくらい家;二階のある家

2010-01-30 16:44:48 | 日記

二葉亭四迷の『浮雲』を読んだことがありますか?

ぼくはない、読みたいと思ったこともない。
二葉亭四迷という名や、『浮雲』という小説の名は、かなりのひとが知っていると思われるが、それを読んだ人がどれだけいるだろうか。

逆になぜ現在、『浮雲』を読みたいと、思わないのだろうか。
たぶん、漠然と<古い>と思う。
<古い>ということにも、様々な感覚がありえるが、“たぶんぼくらの生活感とかけ離れている”ということだ。

つまり、時代がちがい、意識がちがう。
なぜ明治時代の小説に<共感>できるだろうか。
しかし『浮雲』は、落語や坂本龍馬より、<新しい>のである。

ぼくは、前田愛『都市空間のなかの文学』に収められた「二階の下宿」という文章で、『浮雲』“について”読んだのである。

この文章は、“お二階”という言葉についての考察からはじまっている。
“落語”も出てくる(「宮戸川」)
それから、“二階に住む人”を描いた明治文学へと展開される。

この『都市空間のなかの文学』がぼくに魅力的なのは、まさに“それ”が、“都市空間のなか”という視点から記述されていること。
つまり、<記号論>とか<テクスト>とかいう方法が、文学を具体性において(その文学空間にあらわれる<モノ>の記述として、あるいは、その<モノ>への視線として)描かれていることだ。

つまりここでは<二階>である。

ぼくは一度も<二階のある家>に住んだことがない。
<二階のある家>というのは、<戸建住宅>のことである。

ぼくが子供の頃、唯一住んだ戸建住宅は、<平屋>であった。
その後は、もっぱら(形態はちがっても)<集合住宅>に住んでいる、すなわち“二階”はない(下の階や上の階があっても)
しかし明治期においては、あるいはその小説世界においては、<二階がある>のである。

ならば、まさに、この居住空間の<変化>が、ぼくたちの<意識とか内面>を変えたであろうか。
まさにここにおいて、今、明治期の文学や明治以降の<昔の>文学を、<解読する>スリルがある;

★ 島崎藤村は、長編『家』の末尾を「屋外(そと)はまだ暗かった」という暗示的な一句でしめくくったが、この一句が、「すべてを屋内の光景にのみ限ろうとした」『家』の方法を象徴していたとするならば、二階に通ずる梯子段をのぼっていく文三(注;『浮雲』主人公)の後姿を点出した『浮雲』の最後の一句も、その世界全体のありようを私たちにひらいてみせる暗喩であるかのように思われてくる。内側へ内側へととぐろを巻いて狭まってくる閉ざされた空間の構造だ。『浮雲』を読み終えた読者は、この作品の舞台が冒頭の髭づくしの場面や団子坂の菊見の場面をのぞけば、ほとんど園田家の屋内に限定されていたことに思い当たるのである。
<前田愛“二階の下宿”―『都市空間のなかの文学』>


しかしぼくらは、“二階さえない家”に住んでいる。
もちろん、“二階もある(3階も、4階もある)明るい家に住んでいらっしゃる方々もいるだろう。

実は問題は、“二階があるか否か”ではなかった(笑)

<問題>は、<家>である;

★ 文三の免職をきっかけに園田家をおおっていた日常性の皮膜がほころびはじめると、お政をはじめとしてお勢と昇も、彼の予測をこえたところで奇怪なエゴのかたちをむきだしにする。身内と信じていたお政は他人以上の冷酷さをあらわすし、文三から吹きこまれた新思想を鸚鵡がえしにくりかえしていた英学少女お勢は、昇に挑発されるままに性的に成熟したひとりの女として文三の手の届かないところへ遠ざかって行く。文三がその俗物性と無教養をひそかに軽蔑していた昇は、したたかな詭弁家の面目を発揮し、文三を論理的破産に追いこむことになるだろう。しかし、これらの登場人物の端倪すべからざる変貌をとおして、日常世界の解体をドラスティックに造型した『浮雲』には、それとパラレルに進行するもうひとつのかくされたドラマがある。日常的な世界を構成するもっとも基本的な仕掛けといってもいい生きられた家をめぐるドラマがそれだ。
<同書引用>


前田愛氏はこの文章において、“園田家”の間取りを復元している(笑)

まったくぼくのように、“3LDK”とやらに住んでいる<家族>というのには、<複雑さ>が欠けている(爆)

“だから”ぼくたちはいま、<文学>を失いつつあるのかもしれない。
あかるい、クリーンな<家>では。

いや、けっして、そんなことは、ない。

もしそうであるなら、ぼくらは、前田愛の言葉も二葉亭四迷の言葉も、一語も理解し得ない。

ぼくらこそ、<都市空間のなかに>住んでいるからである。




大人の“いんちきな世界”

2010-01-30 10:32:39 | 日記

さて、有名人が死ぬと、“大新聞”は、同じことを言うのである;

「十八歳。紺サージの制服を脱ぎ捨てて、ジーンズとバスケットシューズが新たなる制服になったあの頃。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が愛読書だった季節……」。かつて小紙に寄せた、落合恵子さんのエッセーの一節である。青春の逃げ足はいつも速い……▼『ライ麦』は内容もさることながら、野崎孝訳の日本語タイトルが光っていた。題にひかれて手にとった我が昔を思い出す。近年は原題の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で村上春樹さんの訳本も出た。売り上げは双方で290万部にのぼっている▼伝説に殉じるように作者は逝ったが、遺産は世界で読み継がれることだろう。青春は短い。だからこそ、稀有(けう)な青春文学の頭上には、「永遠」の枕詞(まくらことば)が色あせない。(天声人語)

例えば科学者とか弁護士とか、将来、何になりたいの? 妹に聞かれ、高校生ホールデンはある風景を語ってみせた。崖っぷちにライ麦畑があり、何千人もの子供たちが遊んでいる◆〈僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ…〉。J・D・サリンジャー、野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社刊)の一節である。「崖の下」は、大人の“いんちきな世界”を指すらしい◆自己を据える場所が見つけられないいらだちと、大人社会への反抗と、永遠の青春小説を残し、サリンジャー氏が91歳で死去した◆米国ニューハンプシャー州の自宅にこもり、半世紀を姿なき「伝説の人」として生きた。越してきた当座は、地元の子供たちと親しく交際したという。ある少女が彼との会見記を特ダネとして新聞に載せたことに激怒し、敷地に高い塀を巡らせて世間との交渉を絶ったと伝えられる。信じていた子供たちまで崖の下に消え、ライ麦畑にひとり残された人の孤独がしのばれる◆みずからの後半生を原稿用紙にして小説のつらい続編を書いた、そんな気もする。(読売編集手帳)


《青春の逃げ足はいつも速い》

《タイトルが光っていた》

《伝説に殉じるように作者は逝った》

《青春は短い》

《「永遠」の枕詞(まくらことば)が色あせない》

《永遠の青春小説を残し》

《ライ麦畑にひとり残された人の孤独がしのばれる》

《みずからの後半生を原稿用紙にして小説のつらい続編を書いた》


なぜか、<大新聞>でこういう文章を書く方々は、『ライ麦畑でつかまえて』を読んだし(つまり彼らの<青春>にだ)、そのことを“なつかしんで”いるらしい。

かくいう、ぼくも、むかしむかし読んだが(つまり“青春”に)、ぜんぜんピンとこなくって、それ以来読み返したことがない。
だから、ひょっとしたら、この小説は、よい小説かも知れない。

その小説が、現在のぼくにとってよい小説か否かは、現在において読むことでしかない。
<伝説>はいらない。

だが、現在この小説を読むことを妨げるのは、ぼくが<青春>にはいないことである(笑)
たとえば、“サリンジャー氏は自分の人生の初期に『ライ麦畑でつかまえて』などの著書が世界的に売れたので、<余生>を隠遁生活で過ごすことができた”というような、<肯定評価>はできないのだろうか。

すなわち<大人のいんちきな世界>になるべく接触せずにすんだのである。

しかし<ライ麦畑>において、《誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ…》という<使命>は、どーなったのであろうか。

<青春>とか<伝説>などというものは、“くだらない”ことではないのだろうか。

《「永遠」の枕詞(まくらことば)が色あせない》とか、
《みずからの後半生を原稿用紙にして小説のつらい続編を書いた》
などという、“決めぜりふ”を書いて、なにかを言った気になる、“ジャーナリスト習性”こそ、<文学>ではない。

<文学>ではない、のである。

<文学>とは、誰かを伝説にしたり、<枕詞>にしたり、自分の青春を誰かの青春と混同し、味噌も糞も一緒にする“一般化”を行うことでもない。

なによりも、ぼくたちは、ここで、<大人のいんちきな世界>で今日も生きている。

《誰でも崖から転がり落ちそうになったその子》をキャッチするのは、このぼくである。

あるいは、《崖から転がり落ちそうになったその子》は、<ぼく>のことである。