Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

大江健三郎

2010-01-07 21:09:39 | 日記


★ 「赤革のトランク」、そして「水死小説」。電話があった日、私は老年とはいえまだ残っている小説家的昂揚に取り憑かれるようであったのだ!私は陽の高いうちに仕事場兼寝室へ引き揚げてカーテンを閉ざし、ベッドに横たわった。まだ学生で書き始めたので、ろくな現実経験もないこの小説家はすぐ行きづまるだろう、それとも近頃の若手らしい奇抜な転身をはかるつもりか、と揶揄(やゆ)されたものだ。それでも私はたじろぐことがなかった。時がくれば、「水死小説」を書く。そのための修練を重ねているのだ、と。「私」としてその物語を書き始め、水底の水の流れのまま浮きつ沈みつ、ついに語り終えた小説家は、一挙に渦巻きに吸い込まれてしまう・・・・・・

<大江健三郎;『水死』(講談社2009.12.17)>





吉本隆明

2010-01-07 11:01:40 | 日記


内田樹氏は新年からいそがしいのである。

★仕事始めに四本も原稿を書いてしまった。
なんだか今年も働きづめの一年になりそうな不吉な予感がするが、もちろん「誰のせいでもありゃしない」みんなおいらが悪いのである。<内田樹ブログ>


まさに、“みんなあんたが悪いのよ”と読み飛ばせばよい。

しかしなぜこのようなひとが、売れるのだろうか。
もちろん、それは、このひとの書いていることが<わかりやすい>からである。
すなわち<バカでも読める>からである。

もうちょっと“繊細にいいかえると”(大澤真幸氏の口癖)、<努力しないで読める日本語>だからである。
内田氏のブログの交友関係を見ていると、いま日本の“ジャーナリズム”で売れている人びとというのが、どっか<気が抜けたひと>であることが、わかる。
つまり、言っても言わなくてもおんなじことだけを言う人々である。
こういう人びとを読むことこそ、おカネの無駄だと思える(すなわち資源のムダであり、“環境問題”である)

以上のようなことを<言う>ために、このブログを書く必要はなかった。
この内田最新ブログに、ある<固有名詞>が出ていたのである、<吉本隆明>、引用する;

朝から母の家の居間で原稿書き。
最初に『ブルータス』の「吉本隆明特集」へのアンケート回答。
「最初に読んだ吉本隆明の本は何ですか?」というようなアンケートである。
私が最初に読んだのは『自立の思想的拠点』で、1967年、高校二年生のときのことである。
その頃、私のまわりには吉本隆明を読んでいる人はまだそれほど多くなかった。
70年に大学に入った時点でも、決して多くはなかった。
私は全共闘の諸君は全員吉本隆明の愛読者だと思っていたので、「誰、それ?」というリアクションに仰天した覚えがある。
大学に入って最初に「吉本っていいよね」という私の言葉にそっと頷いてくれた相手は意外にも民青の活動家だったウエムラくんであった。もちろんそのようなカミングアウトは彼の党派的立場からはありえないことだったのだけれど。
時代が経つと、「1968年には日本中の大学生たちはみな吉本隆明を熱狂的に読んでいた」というふうな「物語」が流布するけれど、それは(ほかの模造記憶同様)嘘である。
<以上引用>


ぼくは1966年、早稲田大学第一文学部に入学したが、そこで、周囲の“学友”から吉本隆明の名を聞き、吉本の本をはじめて買った(読んだ)。
記憶が正確ではないが、『芸術的抵抗と挫折』だったのではないか。
現在の妻も『自立の思想的拠点』を買っていたのではないか。

すなわち、<吉本隆明>の名は、ぼくの周辺で“圧倒的”であった。
しかし、<それ>が、“吉本隆明を熱狂的に読んでいた”ということを意味するか否かは、いまだかつてわからない。
つまり、<熱狂的>であるか否かなぞ、なんの問題でもない、どれだけ<吉本の思考>を読み込んだか、が問題である。

ぼく自身は1970年に大学を出て、サラリーマンになってからも、吉本の本を買い続けた。
“買い続けた”が、“読み続けた”とは、言えない(もちろん、ある程度は読んだ)
そして吉本が“マスイメージ”とかいい始めたころから、“シラけた”。
しかし<この間>は、結構長かったのだ。

ぼくは<あるひと(書き手)>について、“もう卒業した”というような言い方はしたくない。
どれだけ“読めた”かわからないひとを、卒業することは、できない。
“前向き”に言えば、いったん別れたひととも、また巡り合う可能性を排除しない。
そのようにして、ぼくは、<大江健三郎>を、ふたたび読み始める。
しかし、現在、吉本隆明を読みたいとは思わない。
しかし、吉本を再び手に取る必要を感じるときがこないとも断言できない。

実はぼくは、吉本の著作集(勁草書房)をはじめ、大部分の吉本の本を処分してしまった。
残ったのは、『吉本隆明詩集』(思潮社1963)など数冊である。
ぼくはここにおさめられた“転移のための十篇”が好きである;

この古びた本を取り出し、ページをめくる。
カバーは破れ、ページの縁は茶色っぽく変色したが、活字はくっきりと屹立するのだ;


不安な季節が秋になる
そうしてきみのもうひとりのきみはけつしてかえつてこない
きみははやく錯覚からさめよ
きみはまだきみが女の愛をうしなつたのだとおもつている

おう きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
きみはそのちいさな腕でひとりの女をでなく
ほんとうは屈辱にしずんだ風景を抱くことができるか
<分裂病者>


まるい空がきれいに澄んでいる
鳥が散弾のようにぼくのほうへ落下し
いく粒かの不安にかわる
ぼくは拒絶された思想となって
この澄んだ空をかき擾そう
同胞はまだ生活の苦しさのためぼくを容れない
そうしてふたつの腕でわりにあわない困窮をうけとめている
もしぼくがおとずれてゆけば
異邦の禁制の思想のようにものおじしてむかえる
まるで猥画をとり出すときのようにして
ぼくはなぜぼくの思想をひろげてみせねばならないか
<その秋のために>


ぼくの孤独はとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
もたれあうことをきらった反抗がたおれる
<ちいさな群への挨拶>