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書評「幸せになれる脳をつくる(リック・ハンソン)」

2018-09-02 20:27:19 | 書評(脳科学・心理学)


最近の脳科学、たとえば利根川進らの研究によって、過去の楽しい体験の記憶に関わる神経細胞を活性化することでうつ状態が改善することや、偏桃体の中の嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞が脳内で互いに抑制し合っていることなどが実験的に示されるようになった。それでは、どうすれば過去の楽しい体験を活性化させたり、嬉しい体験細胞のはたらきを高めることができるのだろうか。本書はそういう目的にも合致し、特別な医学的治療法を用いずに、私たちが自らできるトレーニング法を提案している。これは、マインドフルネスの次の段階の精神修養、あるいはマインドフルネスとともに育むべき脳のはたらかせ方のようにも思えた。本書を読んでみると内容は豊富で示唆に富んでいるが、いざ実践しようとすると思った以上に難しかったというのが正直な感想である。

本書のポイントをまとめてみた。

この和訳本のタイトルは「幸せになれる脳をつくる」であるが、英文原著のタイトルは「Hardwiring Happiness(幸せを組み込む)-The New Brain Science of Contentment, Calm, and Confidence(満足、穏やかさ、自信についての新しい脳科学)」である。また、謝辞を見るとわかるが、本書で述べられている概念や方法論は著者が一人で編み出したわけではなく、多くの心理学研究などを元にしていることが示されている。そこには、例えば人間性心理学、ポジティブ心理学のアブラハム・マズローやマーティン・セリグマン、テーラワーダ仏教のジャック・コーンフィールド、マインドフルネス認知療法のマーク・ウィリアムズなどの名前が挙げられている。また、執筆過程では注釈や参考文献もあったらしいことが書かれているが、残念ながら本書にはそれらは掲載されていない。

まずは、第Ⅰ部 理論編
第1章 良いものを育てる
・私たちの人生は険しいことも多く、「内面的強さ」が必需品である。それはつかの間の心的状態とは異なり、安定した特性であり、幸福や件名で効果的な活動、他者への貢献などの持続的な源泉となる。平均すると、人間の強さの3分の1は生まれながらのもので、残りの3分の2は時間をかけて発達していくものである。
・ネガティブな体験には、ネガティブな副作用が内在している。著者自身、奥さんと共に子育てに疲れ果てていたころ、よく互いに当たり散らしていた。それはしばしばなんの効用もなく、ただただ苦痛あるのみであった。一方、ポジティブな体験には常に効用があり、苦痛はめったにない。

第2章 ネガティブなものほど脳に残る
・アメとムチは双方とも重要だが、決定的な違いがある。今日、アメを手に入れられなくても、明日また手に入れる機会はあり得るが、もし今日、ムチを避けられなかったら(捕食されてしまうこと)、アメはもう永遠に手に入れることができない。その結果、脳は自らのなかにネガティビティ・バイアスを組み込んで進化させた。
・潜在記憶の形成にはネガティビティ・バイアスがかかっている。不快な体験はあっという間に記憶の蓄積のなかに持ちこまれる。私たちは通常、楽しみからよりも苦しみから、強い好感より強い嫌悪感から迅速に学習する。

第3章 「緑」と「赤」
・人間の本質に関する進化神経心理学の研究によって明らかになってきたこととして、あなたを幸せな“我が家”に連れ帰ってくれるために脳には3つのOS(オペレーティング・システム)がある。危害を回避する、報酬に接近する、他者に傾倒するという3つのOSによって、それぞれ安全、満足、つながりという3つの中心的欲求を満たすための能力を進化させた。
・各OSには、応答モードと反発モードという二つの設定がある。あるシステムの扱う中心的欲求が満たされる体験をしている限り、そのシステムは応答モード「緑」になっている。一方、中心的欲求である安全、満足、つながりのいずれかが満たされないと、ネガティビティ・バイアスのせいで簡単に反発モード「赤」の状態になる。
・偏桃体は良い情報にも悪い情報にも反応する。悪い情報に対する偏桃体の反応が少なくなれば、不安や怒りは減るが、幸せが増すわけではない(ここまでで役に立つのがマインドフルネスや認知行動療法かもしれない:評者感想)。もっと幸せになるためには、ポジティブなものに対してより強く反応しなくてはならない。そういう偏桃体を「ご機嫌な偏桃体」とよぶ研究者もいる。
・反発的体験の影響が長く続くと精神的問題に発展する危険要因となる。数多くの精神障害は、脳の3OSのひとつに極端な反発的体験を含んでいる。たとえば、全般的不安障害、広場恐怖症、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、強迫性障害、解離性障害、パニックは、回避システムに関係している。アルコール依存症、薬物依存症、その他の嗜癖(アディクション)の問題は接近システムに関係している。不安定な愛着、ナルシシズム、境界性パーソナリティ障害、反社会行動、幼児期の虐待やネグレクトの影響は傾倒システムに関係している。
・霊長類や初期の人類では状況が厳しく、たいていの人が若くして死に、集団が互いに闘い合う時代には、反発モードの短期的恩恵は、その長期的な代価を上回っていた。しかし今日、状況がより良くなり、人々が健康な長寿を望み、協力し合って生きていかなくてはならなくなると、応答モードで暮らしていくことのメリットのほうが高くなった。そのために、ネガティビティ・バイアスから、長期にわたって良いものを取り込むことで、応答(レスポンシビリティ)バイアスに変えることができる。

ここからは第Ⅱ部 実践編
第4章 「HEAL」で自分自身を癒す
・良いものの取り込み、つまりポジティブな体験を潜在記憶内に慎重に内在化させるために次のような4つのステップを提唱している。1.ポジティブなことを体験する(Have a positive experience)2.それを強化する(Enrich it)3.それを吸収する(Absorb it)4.ネガティブなものとポジティブなものをつなぐ(Link)。以上の頭文字をとって「HEAL」と呼んでいる。
・様々な実例を挙げながら、「良いものの取り込み」のやり方の説明が長く続く。例えば、「自分が自分の味方になる」-自分を助けたいと思わないことには行動は起こせない。「必要なものを取り込む」-あとで説明がある3つのカテゴリーのうちの必要なものを取り込まないと効果は出ない。

HEALのそれぞれのやり方が以下の章でくわしく説明される。
Hステップについて読むと、まわりに「良いもの」があふれていることに気づく。
第5章 ポジティブな体験に気づく
第6章 ポジティブな体験を創る


EAステップについて説明される。
第7章 脳を構築する

Lステップとは、ポジティブなものとネガティブなものをつないで、少しずつネガティブなものを鎮めていく方法が説明される。
第8章 花が雑草を押しのける
・ネガティブなものを変化させる二つの方法があるという。ネガティブなものとポジティブなものを同時に意図的に意識して、両者をつながるようにすることができる。このネガティブなものは、次に活性化されるとき、つながりのあるポジティブな考えや感情のいくつかを携えてくる傾向がある。一つ目の方法は、ポジティブな感覚とネガティブな感覚を同時に意識し、次にポジティブな感覚をより強くしていくことで、ネガティブなものを上書きするというもの。2つ目の方法は、ネガティブなものが活性化し意識を去った後、ネガティブなものと結びついた中立的なトリガーとポジティブなものだけを思い起こすようにし、中立的トリガーがネガティブに結びついて再統合されるのを中断することで、ネガティブなものを消すというものである。
・この方法の活用で、子どものころの傷(ネガティブ)を大人になった自分(ポジティブ)が慰め、ネガティブを減らしていくということができる。

第9章 活用法
・なにか難しそう・面倒そうな練習、勉強、嗜癖から戻ることなどにおいて、良いものと結びつけることで容易に実行できるようになる。
・良いものの取り込みは、マインドフルネスの訓練や心理療法など、様々な努力の結果を改善する。

第10章 21の宝石
・21種類の実習が集められている。第3章で示された、安全、満足、つながりという3つの中心的欲求を満たすべく、応答モード「緑」にするために、それぞれ7つずつの項目においてHEALを実践するやり方が示されている。1日一つから三つの実習を行うことが推奨されている。また、1日の中でも何回か繰り返す。
・安全では、「守られている感覚」「自分の持つ強さ」「くつろいだ感覚」「邪魔されない聖域」「脅威とリソースの見極め」「今現在なんの問題もないという感覚」「安らぎの感覚」の取り込みが提示されている。これらすべてを実行するのはやはり難しく、私だったら「自分の持つ強さ」「邪魔されない聖域」「今現在なんの問題もないという感覚」だったらできそうだと思ったので、これらについてすぐ思い出せるエピソードや想起できる事項などを自分なりに設定しておいて試しているところである。
・満足では、「楽しみ」「感謝と嬉しさ」「ポジティブな感情」「達成感と行為主体性」「熱意」「この瞬間に体験できることは豊富にあるという感覚」「充足感」の取り込みが提示されている。
・つながりでは、「大切にされている感覚」「価値があるという感覚」「思いやりと親切」「自分への思いやり」「思いやりのあるアサーティブネス」「自分や良い人だという感覚」「愛」の取り込みが提示されている。


最後に、本書に書かれている内容は非常に興味深かったが、複雑でやるべきことが多岐にわたり、具体性に欠けているところもあり(例えば、座って瞑想しながらやるのか、通勤のために歩いているときなどでもできるのか、といった具体的なやり方)、本人の努力を多く必要としており、このまま実践するのは難しいと感じられた。難しい方法のままでは、臨床試験で有効性を検証することが困難であり、広く人々に推奨できる方法にはならない。この本の内容をもとに、だれでももっと簡単に取り組むことのできるシンプルなメソッドを開発できればとても役に立つだろう。


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