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僕の読書ノート「意識はいつ生まれるのか(マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ)」

2019-03-16 21:57:18 | 書評(脳科学・心理学)


本の紹介をこれまで、書評「・・・」というタイトルにしていましたが、これからは、僕の読書ノート「・・・」というタイトルを付けることにしました。私が書くこの文章は、書評というよりは、自分にとっての備忘録、あるいは重要ポイントのメモといった意味合いが大きいからです。それでも、少しでもみなさんの参考になればいいなという気持ちでこのブログに掲載しているので、よろしくお願いします。

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脳科学の進歩には目をみはるものがあるとはいっても、意識や心の実体はなになのか解明されたとはついぞ聞いたことがない。この本は、二人のイタリア人脳科学者が自ら進めてきた意識の実体にせまる脳科学研究の最先端を紹介している。現代に生きる我々として、まずは押さえておかなければならない内容であると思って読んだ。書きぶりは平易で、詳しい前知識は必要なかった。また、話の展開がうまく工夫されていて、読み物としてとてもすぐれた本である。前半(第1~4章)で問題提起がなされ、中央の第5章でカギとなる仮説が提示され、後半(第6~9章)でそれを実証していくという流れになっている。

『問題提起』(第1~4章)
人工呼吸法が導入されたのはそう古いことではなく、1952年にデンマークの医師ビヨン・イプセンが始めたのが最初である。しかし、これによって、死の境目と意識の境目が変わることになった。死の判定は、これまでの心臓と呼吸の停止から脳死に変わった。そして、意識があるかないかの境は、大きな混乱に入り込んだ。脳にひどい損傷を受けて昏睡状態に陥っても生き続ける多くの人たちがいる。この人たちに意識があるのかないのかは、外からは観察できない。

エードリアン・オーウェン率いるケンブリッジ大学の神経科学者のチームは、機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)を用いることで、テニスをしていることを想像すると大脳皮質のある領域が活性化されること、また、家の中を移動していることを想像すると別の領域が活性化されることを突き止めた。これは、健康な被験者だけでなく、脳に外傷を負って意識がないように見える患者に対して「家を動いているところを想像してください」と指示した場合でも、同じ領域の活性化が見られた。この患者には、意識があることが証明され、この実験結果は2006年のサイエンス誌に掲載された。しかし、このような反応が見られない患者には意識がないとは言いきれない。

意識の定義は難しいが、「睡眠に落ち、かつ夢を見ることがない場合に消えるものを指す」というものは一般的に受け入れやすい定義である。つまり、夢を見ない睡眠時には意識がなくなるということである。現象はわかっていても、それが説明できないとき、新しい理論、一般法則を作ることが、謎を解くカギになるかもしれない。これに関して生物学で著名な例として、生物が自然淘汰によって進化を遂げる現象を、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」で新たな一般法則として説明したことが挙げられる。

『仮説の提示』(第5章)
意識には二つの基本的特性、情報の豊富さと情報の統合があることが経験的にわかっている。このことから、意識の謎を解く鍵として「情報統合理論」を提示した。情報統合理論のかなめとなる命題は、「意識を生みだす基盤は、おびただしい数の異なる状態を区別できる、統合された存在である。つまり、ある身体システムが情報を統合できるなら、そのシステムには意識がある。」というものだ。そして、あるシステムが情報を統合する能力をどのくらい持ちあわせているかを表す単位として、Φ(ファイ)という新しい単位を導入した。Φの値は、情報の単位、ビットであらわされる。

『実証』(第6~9章)
脳は、小脳と、視床-皮質系に大きく分けられる。小脳には、視床-皮質系をはるかにしのぐ数の神経細胞があり、シナプスのつながりも同様に多いが、頭蓋から小脳を全摘しても意識にはなんら影響がない。小脳は独立したモジュールでできているが、モジュール間をつなぐ信号の出口がない。同じような組織が並んでいるだけで、それぞれが信号を発したり受けたりする際、その信号をほかの組織と分かち合うことがない。小さなコンピューターが並んだ集合体のようなものである。一方、視床-皮質系は、脳梁だけでなく、たくさんの繊維の束があり、さまざまな領域を結んでいる。その束は、近くの領域だけでなく、遠くの領域同士も結びつけ、各半球のなかで縦横無尽に走っている。

統合情報理論を生きた人間の脳で証明するために、「TMS脳波計」という道具を考案した。TMSは経頭蓋磁器刺激法のことで、被験者に痛みを与えることなく、大脳皮質ニューロンの選んだグループだけじかに刺激できる。そして、頭皮に多くの電極をつけ、脳波計で電気的な活性化をとらえて記録するのである。ミリ秒単位の正確さで、大脳全体の活動を記録できる。この装置を使って、意識がある覚醒時と夢を見ていない睡眠時の本質的な差をとらえることができた。すなわち、磁器刺激の直後、覚醒時には空間的にも時間的にもたいへん複雑な活性化の様子が見られた。一方、夢を見ていない睡眠時には局所的な反応のみで、さまざまな皮質の部位間のコミュニケーションは完全にブロックされていた。さらに、夢を見ているレム睡眠時の脳波計の波形は、意識があるときと同じであった。次に、麻酔薬投与後の脳の反応を調べた結果、麻酔薬の種類や投与法にかかわらず、投薬数分後には大脳の複雑性が見られなくなった。また、昏睡から脱した患者が意識を回復させる数日前に大脳の複雑性が見られるようになるという観察結果も得られた。このように、「情報統合理論」は「TMS脳波計」を用いることで、意識をつかまえることができたのである。

残る謎は、動物にも意識があるのかどうかである。哲学者の中でも、デカルトは、人間以外のすべての動物の行動は、意識の存在を前提としない、機械的なものだと主張した。一方、モンテーニュは、人間も動物も等しく意識があると考えた。TMS脳波計は動物には使えないようで、将来的には動物用の測定機器を整備することが必要だとしている。意識と無意識のあいだに、はっきりした境界があるとは考えにくい。意識レベルにもさまざまな度合いがあるのだろう。進化の過程で意識が突然宿るようになったとは思いがたい。ネコ、イヌ、サル、イルカは、神経解剖構造の点で、ヒトによく似た視床-皮質系を持っている。そして、ヒトの視床-皮質系には意識が宿る組織が存在するのだから、これら動物たちの視床-皮質系も同様だと考えられる。ただし、Φの値はずっと低いだろうという。質量、電荷、エネルギー量のような基本的性質と同じくらい気軽にΦの値を正確に測れるようになったら、われわれの目の前にまったく違う景色が広がるだろうとしている。

最後に、大きな問題提起がなされる。意識の発生に至るまでの因果関係に長い鎖の末端に現れたわれわれの決定は、本当はわれわれ自身の決定ではないことになる。われわれの意志や自由、選択は、ただの幻想ということになる。ニューロンに基づく意識の科学的仮説では、われわれに自由意志がないことを示してしまう。意識は無力な傍観者にすぎなくなる。本書では触れられていないが、実はこの主張は、初期仏教の考え方に似ているのである。そもそも私や自我というものは存在しないという考えかただ。脳科学の意識論が突き進む先には、仏教の思想と同じ終着点が待っているのかもしれない。


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