goo blog サービス終了のお知らせ 

wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

僕の読書ノート「動物の進化生態学入門(冨山清升)」

2024-09-14 07:59:23 | 書評(進化学とその周辺)

 

進化生物学は細分化されているが、ゲノム解析中心のバイオインフォマティクスと、フィールド生物学中心の進化生態学と、おおざっぱに2つに分けると、本書は後者の教科書になる。著者の冨山氏は、本書を大学の基礎教育課程において教養教育を学ぶ学生を第一の読者として想定しているが、そこにとどまらない網羅的で十分な内容が含まれている。B5サイズで、索引まで入れると376ページもある大著である。それにも関わらず、たった1名で書かれている。そうなってしまった事情は最後の謝辞において明かされている。最後まで通読するのはけっこうたいへんだったが、とても勉強になったと思う。これで定価2500円はかなりコスパがいい。そして、他に類書がないので貴重な本である。

一方、文字のフォントが細い(老眼にはつらい)、誤字脱字が多い、写真のコントラストが低くてわかりにくいものが多い(写真の著作権の問題があることは「おわりに」で書かれている)といった、進化学用語でいうところのトレードオフの関係にあるような面もある。第2版を出されるときは、そのあたりを考慮して頂けるとありがたい。

本書の構成は、下記のような序章+4部構成+終章となっている。それぞれについて、特記しておきたい点を下記にまとめる。

序章 進化生態学を解説にあたっての前書き

・動物の行動進化を研究するための方法論であり命題である「ティンバーゲンの4つの何故」をあげている。①ある動物のその行動を引き起こしている直接のメカニズムは何なのだろうか(至近要因、機構)。②その行動は、どのような機能的有利性があるから進化してきたのだろうか(究極要因、適応)。③その行動は、ある動物が受精卵から成長し死亡にいたるまでの一生の間にどのような発達過程を経て完成されたのだろうか(個体発生要因、発生)。④その行動は、ある動物が進化してきた過程で、祖先型からどのような道筋をたどって現在の行動に至ったのだろうか(系統発生要因、進化)。「フィールド生物学」では、②の追求が主要テーマとなっている。

第Ⅰ部 生物の進化学

・時代を問わず、民族主義的な知識人(木村資生など)が、「民族浄化のために劣性遺伝子病の遺伝子保持者は子供を作るべきでない。潜性(劣性)遺伝子は取り除かれねばならない」等の主張を繰り返している。これは集団遺伝学の観点からはトンチンカンで誤った発言であるという。現在、潜性(劣性)遺伝子病は、その遺伝子がホモ接合体となって、表現型として発現した場合、日常生活に支障が出る程度に症状が重い遺伝子病(例:先天性聾、フェニルケトン尿症、全色盲、真性小頭症)だけでも数100種類が登録されている。これらの保因者(ホモとヘテロ合わせて)は、100~200人に1人程度いる。これらの遺伝子頻度から逆算すると、誰でも10~20個程度の潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子保因者である。確率から言って、潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子を持っていないヒトは存在しない。したがって、「潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子を社会から取り除く」という主張がいかに的外れであるかがよくわかる。

第Ⅱ部 進化から見た動物生態学

第Ⅲ部 行動生態学

・動物行動学(ethology / behavioral ecology)は、日本においては、動物生態学(animal ecology)の1分野としての扱いが定着しており、動物の個体群生態学(population ecology)や農業分野の応用生態学(applied ecology)の研究者が「行動学研究者」を名乗っている事例も多い。しかし、ヨーロッパにおいては、行動学(ethology)は、心理学分野にその発祥の起源が求められる学問体系と考えられており、生態学(ecology)とは明確に異なった研究分野と見なされている。

・ローレンツ&ティンバーゲン流の動物行動学は一定の功績を残したが、本来の野外観察主義から外れていった。「面白くない」学問分野に変容していき、科学への動機づけが弱体化していった。このため、新たな若手人材の参入が減ってしまった。(部外者である私が外から見ていると、鈴木俊貴さんの鳥の言語研究や高木佐保さんのネコの認知能力研究といった若手のアクティブな研究は今でも目立っているが、昔のような日高敏隆先生が作り出した盛り上がりには欠けているかもしれない)

・結果として、旧心理学からのパラダイム転換(思考の転換)の結果として登場した動物行動学Ethologyは、さらなる新たなパラダイム転換を構築できず、研究分野としては、発展的解消を遂げてしまった。(日本動物行動学会は今でも活動しているが、そこまで低迷しているのか部外者にはわからない。進化心理学はそこそこ注目されていると思うが、興味の対象はまたヒトへと戻っていったということだろうか)

第Ⅳ部 環境と保全の生物学

・外来種の根絶が試みられているが、いったん定着してしまった植物や昆虫類の根絶事業はあまり芳しくない。そのような状況を受け、定着し、その生物群集に組み込まれてしまった外来種は、無理に根絶を目指すのではなく、外来種と固有生態系の共存を目指すべきではないかという世界的な潮流に変わりつつある。特殊病害虫の事例のような外来種ではなく、なおかつ、現状において生態系や産業に著しい影響を与えていない外来種は、正確なモニタリングを行った上で、無理に排除対象とする必要はないと思われる。

終章 日本の進化学や生態学周辺の話

・8ページにわたる終章は、当事者でないと知りえないような興味深いことがたくさん書かれている。「生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ(辻宜行編)」や「利己的遺伝子の小革命 1970-90年代 日本生態学事情(岸由二)」などに書かれている内容とかぶるかもしれないが、冨山氏にこのあたりのことを書いて新書版くらいで出していただけたら読んでみたい。

いろいろな人が書いているが、日本の進化生態学に遅れがあったとしたら、それはルイセンコ生物学と今西進化論のせいであることは間違いないようだ。


僕の読書ノート「銃・病原菌・鉄 下巻(ジャレド・ダイアモンド)」

2024-08-03 07:35:05 | 書評(進化学とその周辺)

 

世界には、裕福な先進国と貧困状態にある発展途上国がある。もともと同じホモ・サピエンスどうしなのに、地域によってそのような大きな経済的格差ができたのはどうしてなのか?本書は、その理由として、それぞれの地域に住む人たちの生物学的(遺伝的)な違いによるものではなく、地理的、環境的な影響でそうなったのだという説を、多くの証拠を元に検証していく。上巻では、農耕牧畜、つまり食料生産の開始が地域で大きく違っていたことを論じてきた。下巻では、その先の文字、技術、社会制度の起源、そして、オーストラリアとニューギニア、中国、太平洋の島々、アメリカ、アフリカといった各地域の特性について述べている。

章ごとに、気になったポイントを下記にメモしておきたい。

【第12章】文字をつくった人と借りた人

・食料生産をおこなわない狩猟採集民たちは、農耕民たちのように余剰食料というものを持たず、文字の読み書きを専門とする書記を養うゆとりが社会的になかった。文字が誕生するには、数千年にわたる食料生産の歴史が必要だった。ちょうど、集団感染症の病原菌が登場するのに食料を生産する社会が必要であったように、最初の文字が、肥沃三日月地帯、メキシコ、中国で登場したのは、それらの地域が食料生産の起源とされる地域だったからである。文字は、いったん発明されると、交易を通じて急速に広がっていった。勢力の拡大や宗教の流布活動を通じて、経済的および社会的に似た社会へと浸透していった。

【第13章】発明は必要の母である

・技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するものである。また、技術は、必要に応じて発明されるのではなく、発明されたあとに用途が見いだされることが多い。この二つの結論が、記録が残っていない古代の技術に、もっとよく当てはまることはたしかである。

・土器の考案は、自然界に広く存在する粘土の、乾燥したり熱を加えたりすると固くなるという性質に注目した結果と思われる。そのため、土器は、日本では約1万4000年前に、肥沃三日月地帯と中国では約1万年前に登場している。さらに、これらの地域につづいて、アマゾン川流域、アフリカ大陸のサヘル地域(サハラ砂漠の南縁)、アメリカ合衆国東部、そしてメキシコでそれぞれ登場している。ーーこの記述によれば、土器は世界で最も早く日本で生み出されたことになる。

【第14章】平等な社会から集権的な社会へ

・社会は、小規模血縁集団(食料生産なし)、部族社会(食料生産なし→あり)、首長社会(食料生産あり→集約的)、国家(食料生産集約的)の順に、発展していった。

・小規模血縁集団や部族社会を長期にわたって、詳しく観察した調査では、殺人が主な死因の一つであることが明らかになっている。女を取る取られた、のような個人的な恨みで男たちの殺人が起きていた可能性がある。争いの解決は、小規模血縁集団や部族社会では非公式だった一方で、首長社会では首長が、国家では法律・裁判が行っていた。ーーということは、小規模血縁集団や部族社会では、戦争はなかったとはいえ、殺人が野放しで放置されていた怖い社会だったのかもしれない。

・集団が大きくなるにつれ、他人同士の紛争が天文学的に増大することになる。1対1の人間関係は、人口20人の集団では、20×19÷2で190通りしかない。しかし人口2000人の集団では、199万9000通りある。こうした1対1の人間関係は、諍いがときには殺人にまで発展しうる関係である。そして小規模血縁集団や部族社会では、1つの殺人が、それに対する復讐を呼び、その復讐に対する復讐がさらなる復讐を呼ぶというように、人びとを社会不安に陥れるような復讐殺人がつぎつぎに起こることがよくある。

【第15章】オーストラリアとニューギニアのミステリー

【第16章】中国はいかにして中国になったのか

・食料生産の副産物である感染症については、旧世界の主な病気の誕生血を旧世界のどこと特定することはできない。しかし、ローマ時代と中世以降に書かれたヨーロッパの記録には、腺ペストが東方からやってきたとはっきり書かれているし、天然痘も東方からやってきたらしいと書かれているので、中国または東アジアがそれらの病原菌の発祥地であったとも考えられる。インフルエンザは、豚の持つ病原菌が人間に感染した病気であることから、豚が非常に早い時期に家畜化され、重要な動物として飼育されるようになった中国が発祥地である可能性がかなり高い。ーー近年では、SARSや新型コロナウイルスが中国から発生し世界を混乱に巻き込んだ。本書では、他の地域にない感染症とそれに対する免疫を持っていることが、他の地域を侵略するに当たって強い影響力を持つということが主張されている。恐るべき中国である。

【第17章】太平洋に広がっていった人びと

・オーストロネシア人(オーストロネシア語族の人びと)の拡散は、過去5000年間に起こった、人類史上最大の人口移動の1つである。オーストロネシア人で、太平洋を東進し、もっとも孤絶した島々に住みついてポリネシア人となった人びとは、新石器時代のもっとも卓越した船乗りであった。今日においてオーストロネシア語を母国語とする範囲は、マダガスカル島からイースター島までの、地表の半分以上をカバーする地域に広がっている。オーストロネシア人は、もともと中国本土から移動しはじめ、ジャワをはじめとするインドネシア島嶼部に入植している。

【第18章】旧世界と新世界の遭遇

・人が密集して暮らす社会ではやる感染症の大半は、人びとが食料生産を開始し、家畜と日常的に接するようになった約1万年前頃に、もともと家畜がかかる病気から変化するかたちで現れた。したがって、多くの種類の家畜が飼われていたユーラシア大陸において、これらの感染症が多く見られたのである。それに反して、南北アメリカ大陸では、わずかな種類の家畜しか飼われていなかったので、動物の病原菌から変化して人間い感染するようになった病原菌は少なかった。

【第19章】アフリカはいかにして黒人の世界になったか

【エピローグ】科学としての人類史

・世界の食料生産の発祥地の一つである肥沃三日月地帯と中国は、現代においても世界を支配している。この二つの地域は、そこにいまでも存在する(現代中国のような)国々を通じて、それらの周辺に位置していて古くから影響を受けていた(日本、朝鮮半島、マレーシア、ヨーロッパのような)地域を通じて、あるいは、それらの地域から移住していった人びとが作った(アメリカ合衆国、オーストラリア、ブラジルのような)国々を通じて、世界を傘下に収めている。この先、サヘル地域(サハラ砂漠南端)の人びと、オーストラリアのアボリジニたち、そしてアメリカ先住民たちが世界を支配することは望み薄である。紀元前8000年前の歴史の御手は、いまもなおわれわれの頭上に大きくかざされている。


僕の読書ノート「銃・病原菌・鉄 上巻(ジャレド・ダイアモンド)」

2024-06-08 08:07:44 | 書評(進化学とその周辺)

 

世界には、裕福な先進国と貧困状態にある発展途上国がある。もともと同じホモ・サピエンスどうしなのに、地域によってそのような大きな経済的格差ができたのはどうしてなのか?本書は、その理由として、それぞれの地域に住む人たちの生物学的(遺伝的)な違いによるものではなく、地理的、環境的な影響でそうなったのだという説を、多くの証拠を元に証明していく論考である。英語原著は1997年、日本語訳は2000年に出版されており、人類化石の分子生物学的研究が現在のようにさかんになる前だったため、若干古くなっている内容もある。

章ごとに、気になったポイントを下記にメモしておきたい。

 

【プロローグ】ニューギニア人ヤリの問いかけるもの

・著者が鳥類の進化のフィールドワークを行っているニューギニアで、あるニューギニア人ヤリが著者に質問してきた。「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」この会話から、著者は人類の進化、歴史、言語などについて研究し、その成果を発表してきた。ヤリの疑問に対する25年後の答えを書いたのが本書である。

・本書を一文で要約するとつぎのようになる。「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」

【第1章】1万3000年前のスタートライン

・ネアンデルタール人はクロマニヨン人がヨーロッパにやってくるまでの数十万年間、ヨーロッパで唯一の先住民であった。約4万年前にクロマニヨン人がヨーロッパにやってきて、数千年のうちに、ネアンデルタール人は一人残らず姿を消してしまっている。これは、クロマニヨン人が自分たちの優れた技術や言語能力、頭脳を使って、ネアンデルタール人を侵略し、殺戮したことを示唆している。ネアンデルタール人とクロマニヨン人とが混血したという痕跡は、まったくといっていいほど残されていない。ーーこれについては近年の研究によって、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが混血していて、我々の遺伝子の数%はネアンデルタール人に由来していることが明らかになっている。

【第2章】平和の民と戦う民の分かれ道

・ポリネシアの種族間の争いを振り返ってみる。小さな孤立した狩猟採集民のグループであるモリオリ族は、彼らの祖先でもある人工の稠密なニュージーランドに住んでいた農耕民マオリ族によって滅ぼされた。

・熱帯気候に適したマオリ族の農作物はモリオリ族が移り住んだチャタム諸島の寒冷な気候ではうまく育たなかったかもしれない。それで、彼らは狩猟採集生活に戻らざるをえなかった。そこで狩猟採集民となった彼らは、再分配したり貯蔵したりする余剰作物を持たなかったので、狩猟に従事しない物作りが専門の職人、軍人・兵士、役人、族長などを養うことができなかった。結局、強力な統率力や組織力に欠ける非好戦的な少数部族となったのである。

・それとは対照的に、農業に適していたニュージーランドに残ったマオリ族は10万人を超えるまでに増えている。自分たちで作物を育てて貯蔵することができた彼らは、物作りを専門とする職人や、族長や、平時は農耕に従事する兵士たちを養うことができた。彼らは、農耕に必要な種々の道具や、さまざまな武器や工芸品を発達させた。手の込んだ祭祀用の建物や、おびただしい数の砦も建造している。つまり、地理的要因によって導かれた狩猟採集生活か農耕生活かという違いが、彼らの戦いにおける優劣の原因となっている。

【第3章】スペイン人とインカ帝国の衝突

・少数兵を率いるスペイン人のピサロは、膨大なインカ帝国の兵に囲まれながら皇帝アタワルバを捕虜にできた。その要因こそ、まさにヨーロッパ人が新世界を植民地化できた直接の要因である。ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病、伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。本書のタイトルの「銃・病原菌・鉄」は、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。

【第4章】食料生産と征服戦争

・中規模な農耕社会では首長が支配する集団が形成されるようになるが、王国が形成されるまでにはいたらない。王国が形成されるのは大規模な農耕社会だけである。農耕社会に見られる複雑な政治組織は、構成員の平等を基本とする狩猟採集民の社会よりも征服戦争を継続させることができる。豊かな環境に居住する狩猟採集民が定住型の社会を発達させ、食料の貯蔵・蓄積を可能にし、初期の形態の族長支配を形成したが、そこからさらに進んで王国を作り出すまでにはいたっていない。ーー日本の縄文時代がこれに近いのかもしれない。

【第5章】持てるものと持たざるものの歴史

【第6章】農耕を始めた人と始めなかった人

・移動しながら狩猟採集生活を営む人たちと、定住して食料生産に従事する人たちとははっきりと区別されるものだという間違った思い込みがある。自然の恵みが豊かな地域の狩猟採集民のなかには、定住生活には入ったものの、食料を生産する民とはならなかった人びともいる。北アメリカの太平洋岸北西部の狩猟採集民などはその例であるし、おそらくオーストラリア南西部の狩猟採集民もそうだろう。パレスチナ、ペルー沿岸、そして日本に居住していた狩猟採集民も、食料を生産するようになったのは、定住生活をはじめてから相当の時間がたってからのことである。

・穀類やマメ類の栽培や家畜の飼育は、紀元前5000年までの数世紀を通じて、ヨーロッパ中央部全体にも急速に広がっていった。ヨーロッパ中央部と南東部に居住していた狩猟採集民のあいだに食料生産が広がっていったのは、食料生産を実践する生活と競合できるほど、この地における狩猟採集生活の生産性が高くなかったからである。ところが、南フランス、スペイン、イタリアなどの南西ヨーロッパでは、羊が伝えられてから穀物が伝えられたということもあって、食料を生産する生活様式はゆっくりと時間をかけて徐々に広まっていった。日本もまた、集約的食料生産をアジア大陸からゆっくりと時間をかけて少しずつ取り入れているが、それはおそらく、海産物や土着の植物が豊富であったため、狩猟採集生活の生産性が非常に高かったからであろう。

・食料生産への移行をうながした要因はおもに5つある。1つ目は、この1万3000年のあいだに、入手可能な自然資源(とくに動物資源)が徐々に減少したこと。2つ目は、栽培化可能な野生種が増えたことで作物の栽培がより見返りのあるものになったこと。3つ目は、食料生産に必要な技術、つまり自然の実りを刈り入れ、加工し、貯蔵する技術がしだいに発達し、食料生産のノウハウとして蓄積されていったこと。4つ目は、人口密度の増加と食料生産の増加との関係である。5つ目は、食料生産者は狩猟採集民より数のうえで圧倒的に多かったため、それを武器に狩猟採集民を追い払ったり殺すことができたことである。

【第7章】毒のないアーモンドのつくり方

【第8章】リンゴのせいか、インディアンのせいか

・肥沃三日月地帯と呼ばれるメソポタミア地方が、人類の歴史において中心的な役割を果たしたことはよく知られている。地理学者マーク・ブルーマーは、人間にとって作物化することのできる植物の種類の豊富さが重要であることを示した。世界中に数千種ある野生種のイネ科植物のなかから、大きな種子を持つ56種を「大自然のあたえた最優良種中の最優良種」とした。これらの56種は、穀粒の重さが中央値より少なくとも10倍は重く、そのほとんどが地中海性気候か、乾期のある地域に自生している。しかもその圧倒的多数の32種が、肥沃三日月地帯か西ユーラシアの地中海性気候地帯に集中している。この事実は、肥沃三日月地帯の初期の農民にとってイネ科植物を栽培化するうえで選択の余地が大きかったことを意味している。これに対して、チリの地中海性気候地域にはたった2種が自生しているだけであり、カリフォルニアと南アフリカにはそれぞれ1種が自生しているだけである。この事実だけをとっても、人類の歴史において、肥沃三日月地帯と他の地域の果たした役割のちがいを説明することができる。

【第9章】なぜシマウマは家畜にならなかったのか

【第10章】大地の広がる方向と住民の運命

・農作物や家畜は、南北ではなく東西に広まった。そのほうが適応しやすかったからである。肥沃三日月地帯で栽培化された農作物が東西方向に素早く広がった理由のひとつはここにある。そうした農作物は、伝播先の土地の気候にすでに順応していた。キリストが誕生する頃までには、肥沃三日月地帯を起源とする農作物は、ユーラシア大陸の西端であるアイルランドから東端の日本まで、じつに東西8000マイル(約1万2800キロ)にまたがる地域で栽培されていた。

・最初に中国南部で栽培化されたり家畜化されたあと、熱帯の東南アジアやフィリピン、インドネシア、ニューギニアなどで新たな品種が栽培化・家畜化されるようになった亜熱帯性作物や家畜類は、肥沃三日月地帯の作物に比肩する速度で東方に広がっている。その結果、バナナ、タロイモ、ヤムイモといった農作物や、鶏、豚、犬といった家畜類は、1600年たたないうちに中国南部から5000マイル(約8000キロ)以上離れたポリネシアの島々にまで伝わった。

【第11章】家畜がくれた死の贈り物

・非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人が、より優れた武器を持っていたことは事実である。より進歩した技術や、より発達した政治機構を持っていたことも間違いない。しかし、このことだけでは、少数のヨーロッパ人が、圧倒的な数の先住民が暮らしていた南北アメリカ大陸やその他の地域に進出していき、彼らにとってかわった事実は説明できない。そのような結果になったのは、ヨーロッパ人が、家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌を、とんでもない贈り物として、進出地域の先住民に渡したからだった。


僕の読書ノート「進化生物学者、身近な生きものの起源をたどる(長谷川政美)」

2024-03-30 08:53:24 | 書評(進化学とその周辺)

 

イヌやネコはどんな動物から進化してペットになったのか、他にも身近に見られる生物たちが何から進化してきたのか、そうした生きものたちの起源を現代の進化生物学の知見からわかりやすく解説している本である。そのような本はこれまで意外と少なかった。近年は、古代種のDNA解析がヒトにとどまらず様々な動物で行われているので、そうした知見がどんどんたまってきているのだ。しかし、研究の難しい深いところには入っていかないので、とても読みやすく、スラスラと一気に最後まで読める。また、著者の長谷川政美氏は、「系統樹マンダラ」という新しい系統樹の書き方を考案した方でもある。これまでの系統樹では、生物の進化の流れが左から右へや、上から下へと一方向に向かって書かれていたが、系統樹マンダラでは、進化の流れが円の中心から周囲に放射状に広がっていく書き方をしている。そのため、生物の写真が円周に沿ってたくさん並べられるというメリットがある。私は、哺乳類の中の真獣類の系統樹マンダラのポスターを部屋に貼っている。その系統樹マンダラが本書ではふんだんに使われている。

では、私がとくに注目したところを下記に記しておきたい。

[イヌ]

・イヌはハイイロオオカミと同じ種である。だから学名は、どちらもCanis lupusであるが、イヌはハイイロオオカミの亜種なので、Canis lupus familitarisとよぶ。柴犬やゴールデンレトリバーなど「犬種」は違っても、学名は同じCanis lupus familitarisとなる。

・ハイイロオオカミはユーラシア大陸全域から北アメリカまで広く分布する。その分布域のなかのどこで犬は進化したのだろうか。現在日本にはハイイロオオカミは分布しないが、かつてはハイイロオオカミの2つの亜種がいた。本州、九州、四国に分布していたニホンオオカミ(Canis lupus hodophilax)と北海道のエゾオオカミ(Canis lupus hatari)である。ニホンオオカミは1905年、エゾオオカミは1899年に絶滅したとされている。総合研究大学院大学の五條堀淳と寺井洋平らのグループは、ニホンオオカミの古代DNA解析から思いがけないことを発見した。彼らは19世紀から20世紀初頭に生きていたニホンオオカミ9個体の全ゲノム解析を行ない、世界中のハイイロオオカミのなかで、ニホンオオカミがイヌにもっとも遺伝的に近いことを明らかにしたのである。この結果は、イヌの起源が日本だったということを示すわけではない。たぶん東アジアにいたハイイロオオカミの集団からイヌ系統が生まれ、この集団あるいは近縁な集団が日本に渡ってニホンオオカミになったのだろう。東アジアの大陸にいた祖先集団はその後に絶滅したと考えられる。

・イヌと判定できる初期の化石は、東ユーラシアのロシア・アルタイ地方で見つかったおよそ3万3000年前のもので、イヌの起源が東アジアであるという説と符合する。ヒトが農耕を始めたのは、最終氷期が終わった1万2000年前以降とされているが、イヌの家畜化が起こったのは、農耕が始まる以前の狩猟採集の時代だったのだ。現在のイヌの品種の多くは、デンプンを分解するアミラーゼという酵素の遺伝子数がハイイロオオカミに比べて多くなっているが、これは農耕が始まって、ヒトの出す残飯を処理するようになってからの適応進化の結果だと思われる。

[ネコ]

・ネコ(Felis silvestris catus)は野生のヨーロッパヤマネコ(Felis silvestris)の一亜種であるリビアヤマネコ(Felis silvestris lybica)が家畜化されたものである。

・ヨーロッパ、アジア、アフリカなどの各地で発見された、およそ1万年前以降のさまざまな年代にわたる352個のネコのサンプル(骨、歯、皮、体毛など。エジプトのミイラも含む)についての古代DNA解析が行われた。8500年前以前は、リビヤヤマネコ由来の遺伝子をもつネコは、メソポタミアやエジプトを含む「肥沃な三日月地帯」でしか見つからないが、この時代以降になると、アジアの広い地域やヨーロッパでも見られるようになる。また、2800年前以降にはアフリカの広い地域でも見られる。肥沃な三日月地帯は、野生のリビアヤマネコの分布域であり、最初に農耕が始まったところでもある。このようなところで、ネコの家畜化が始まり、その後、世界中に広まったのである。

[ウマ]

・ウマはヒトの移動や物資の輸送に大きな役割を果たし、さらに軍事的にも重要なものであった。ウマは人類の歴史がグローバル化するきっかけを与えたともいえる。家畜のウマ(Equus ferus caballus)は、タルバン(Equus ferus ferus)が家畜化された亜種である。

・フランス・ボールサバチエ大学のルードヴィック・オルランドらのグループは、ユーラシア各地の古代遺跡で見つかった273個体のウマの骨について、ゲノム規模の古代DNA解析を行なった。中央アジアのステップで栄えたボタイで生まれた家畜ウマは、その後、西ユーラシアステップのヴォルガ川とドン川に挟まれた地域(現在ロシア)で紀元前2700~2000に生まれた新しいタイプの家畜ウマに置き換えられてしまったことが明らかになった。オルランドらはこの新しいタイプのウマを「DOM2(Modern domesticates 2)」と呼んでいる。他の地域でもDOM2への置き換わりが進み、現在のウマはすべてDOM2になっている。

・オルランドらのグループは、DOM2のウマのGSDMCとZFPM1という2つの遺伝子が、強い人為選択を受けていることを明らかにした。GSDMCに対する選択圧は、強靭な体力のウマをつくり上げるこちに貢献したと考えられる。ZFPM1のほうは、感情の制御に関与する遺伝子と考えられており、乗馬などを可能にする形質として重要だったと思われる。ボタイ文化のウマなど古いタイプの家畜ウマに比べてDOM2は、これら2つの点で家畜として優れていたために、置き換わったのであろう。

[スズメ目]

・鳥類はおよそ1万種を擁する大きなグループであるが、スズメ目はその半分以上の6200種を擁する。スズメ目だけで哺乳類全体の種数を超えるのである。鳥類の目のあいだの分岐は、非鳥恐竜が絶滅した6600万年よりも少し後だった。スズメ目は、オウム目とおよそ6200万年前に分岐したと推定される。このことは、非鳥恐竜や翼竜の絶滅に伴って空席になったニッチを埋め合わせるように、鳥類の急速な種分化が起こったことを示している。同様のことは、哺乳類の進化でも見られる。

・スズメ目やオウム目も含む新顎類の多くのグループの共通祖先は、およそ7000万年前に南アメリカにいたと考えられている。この頃の南アメリカは、ゴンドワナ超大陸の分裂が進んでいたが、まだ南極を通じてオーストラリアとも陸続きになっていた。その頃の南極は温暖な気候で緑の植物に覆われていた大陸であり、鳥類が分布を広げる回廊の役割を果たしていた。スズメ目とオウム目の共通祖先は、この回廊を通って、オーストラリア区に到達したと考えられる。有袋類もその頃同じルートを通って、共通祖先が南アメリカからオーストラリアに到達したのである。

[ハラタケと酸素]

・石炭紀には枯れた木はそのまま地中に埋もれて石炭になったが、次のペルム紀(2億9900万~2億5200万年前)になると、リグニンの分解により枯れた巨木の分解が次第に進むようになり、分解された物質を次の世代の生き物が利用できるようになった。物質循環が起きるようになったのである。リグニン分解能を進化させたのが食用キノコや毒キノコを含むハラタケである。

・ところが酸素の欠乏という大きな問題が起こった。木の分解は酸素を消費して二酸化炭素を生み出す。そのために、ペルム紀の後半から、地球大気の酸素濃度は減少し始めた。古生代はペルム紀で終わるが、酸素分圧の割合は、ペルム紀の前半の30パーセントから、次の中生代三畳紀には15パーセント、さらに続くジュラ紀には12パーセントにまで極端に減少してしまった。われわれ哺乳類の祖先である単弓類は、まだ酸素が豊富だったペルム紀の前半に繫栄した。その後、酸素濃度が減少すると、高酸素濃度に適応した単弓類にとって行きにくい時代になり、単弓類は次第に絶滅していった。代わって登場したのが恐竜であった。恐竜やその子孫である鳥類は、独自の呼吸法を進化させたのである。彼らは気嚢による呼吸法を進化させて酸素と二酸化炭素の交換を効率的に行えるようになった。恐竜の繁栄の期間、単弓類は夜行性の小さな動物として過ごすことになる。

[性選択説]

・ダーウィンの「自然選択説」は次第に受け入れられるようになったが、最後までなかなか受け入れられなかったのが「性選択説」であった。メスの選り好みが進化の原動力になったという考えには、多くの抵抗があったのだ。ところが1915年になって、集団遺伝学者で統計学者でもあったロナルド・エイマー・フィッシャーが、ダーウィンの考えが理論的に成り立つことを示した。

・フィッシャーによると、クジャクの長い飾り羽根は二段階で進化したという。第一段階では、オスの健康度の証として、少しでも立派な長い飾り羽根がメスに好まれるようになる。そのようなメスの選り好みは、健康な子供を残す傾向を生むので、自然選択の結果として進化する。このようなメスの好みがいったん進化すると、自然選択では制御できない第二段階に入るのだ。長い飾り羽根のオスとそれを好むメスのあいだに生まれた子供の中には、オスに長い飾り羽根を与える遺伝子と、メスに長い飾り羽根の配偶者を選択する遺伝子の両方が存在する傾向がある。オスとメスのこれら2つの形質は独立ではなく、相関をもつようになるのである。いったんそのような相関が生じると、正のフィードバックが生まれる。長いオスの飾り羽根を好むメスが増えると、長い飾り羽根のオスが増えるとともに、それを好むメスもさらに増えるのだ。こうなると、そのような選り好みをしないメスの産むオスの子供は、次第に繁殖相手として選ばれないようになる。最初は健康度を測る指標だったオスの長い飾り羽根は、自然選択の対象である適応度とは関係なく、どんどん進化するのだ。

[浮島に乗った漂着]

・海流は、生き物が分布を広げるうえで重要な役割を果たす。しかし、植物と違って泳げない動物の場合は、浮島に乗った漂着という方法がある。浮島の中には幅数十メートル、長さ数百メートルもあって、それに乗った動物の食料となる果実を実らせるような気が生えているものもある。日本ではそんな大きな浮島が海に流出できるような川はないが、大陸ならば実際にあるのだ。例えば10年に一度の大雨で、動物を乗せた大きな浮島が海に流出したとする。このようなことが100万年にわたって繰り返されたとすると、10万回の漂流があったことになる。このようなたくさんの試行の中の1回でも新天地への漂着に成功したならば、その後の進化の歴史は大きく変わることになる。例えば、およそ3500万年前に起こったと考えられる、アフリカから南アメリカへの新世界ザルの祖先の移住は、そのような方法が想像される。

[進化論と進化学]

・生き物たちの進化を捉えるには多面的な見方が必要である。進化の研究は「進化論」ではなく「進化学」でなくてはならない、という考えがある。確かに証拠こそ科学の基礎であり、これにもとづかない思弁的な議論は無益だが、証拠の羅列だけでは進化を理解したことにはならない。証拠を統合する「議論」や「解釈」が重要である。


僕の読書ノート「哺乳類学(小池伸介,佐藤淳,佐々木基樹,江成広斗)」

2024-03-16 08:17:51 | 書評(進化学とその周辺)

 

哺乳類学の日本語の教科書としては約20年ぶりの著書になるらしい。内容は、いい意味でもそうでない意味でも、「日本の」哺乳類(学)の教科書である。日本の哺乳類についてどういうことが知られているのか、どういう研究が行われているのかということが中心に書かれているので、世界的な研究動向といった視点での記載ももちろんあるが、比較的少ない印象である。構成は、進化、形態、生態、保全の4部に分かれていて、それぞれがその分野の専門家によって執筆されている。進化と生態はそれなりに興味深く読めたが、形態と保全は読むのに苦労した。こうした分野はどうしても、事実や概念の記載や整理にとどまり、実例などの紹介が少ないため、どうしても無味乾燥に感じられてしまうが、教科書なのだから仕方ないといえばそれまでである。

それぞれの分野ごとに、私なりのポイントを以下に記録しておく。

[序章]

・「哺乳類とはなにか」という問いに対しては、「大きな脳を持つことで賢く生き、移動可能で、多くの食物を摂取する、親などからの愛のなかで成長する生物」とまとめている。

[Ⅰ 進化]

・哺乳類の分子進化、あるいは分子退化を理解するうえで重要なメカニズムは、自然選択、中立進化、偽遺伝子化(もともと機能していた遺伝子が機能を失い、そのような突然変異が多く見られるようになった遺伝子のことを偽遺伝子と呼ぶ)である。

・ニッチとは、時間・空間・栄養などの資源に関する生物の要求のことである。資源の有限性のなかにおいて同所性を達成するためには、ニッチ分割が必要になる。そのようなニッチの違いは、基本的には2種の歩んだ進化の道のりが長くなればなるほど大きくなる。逆にいうと、近縁な種間ではニッチが類似することで競争が起こり、どちらか1種が排除されるか(競争排除)、生物学的特徴を変化させること(形質置換)により共存に至るかのどちらかであろう。

・生態的に分化した種間でニッチが分割されることにより、日本列島において共存している事例も存在する。これは、ニッチの重複しない種が選別されて新天地で受け入れられる種選別というメカニズムが働いたとみることができる。たとえばリス科で見ると、同所的に生息する種は別種に分類され(系統的に遠縁)、移動様式(ニッチ)も異なる。つまり、北海道では、滑空性のタイリクモモンガ、樹上性のキタリス、地上性のシマリスが生息し、本州以南では、滑空性の二ホンモモンガとムササビ、そして樹上性の二ホンリスが生息する。これらの属には漸新世から中期中新世という約1500万年から3000万年の進化史が反映されている。

・地史(例えば日本列島の大陸からの分離や列島内の分断)は上記の競争排除の2つのメカニズムで説明できない不在(そのニッチに生息する種がいない)はどのように説明すべきであろうか。気候帯に代表される物理・化学環境への不適合の可能性、「非生物的環境が適合しないから生息していないのだろう」という解釈は、どの不在にも適用可能ないわばワイルドカードである。

・ゲノムの海のなかから、自然選択に関わる表現型の原因となる遺伝子変異をあぶりだすことができる時代になった。具体的には、中立説での予想から説明することができないことを指標として自然選択を検出する。

・集団サイズが小さいと中立突然変異が集団に固定されるまでの時間が短くなるため、次々と新しい変異が集団内に固定される。その結果、合祖(2つのアリルが過去にさかのぼり1つの祖先にたどり着くこと)間の時間間隔は短くなる。反対に、集団サイズが大きいと合祖間の時間間隔は長くなる。このような理論のもとで、1個体のゲノムから多くの合祖時間をサンプリングすることができるため、時間の経過にともなう過去の集団サイズの変動を推定することができる。この手法のことを、PSMC(pairwise sequentially markovian coalesent)法と呼ぶ。

・あらゆる環境中には、生物の傷ついた組織、皮膚、毛、唾液、粘膜、糞など、生物の痕跡が存在するため、環境サンプル中に含まれる生物のDNAを分析することで、生物を実際に手にすることなしに在不在を知ることができる。このような手法のことを環境DNA分析という。とくに、次世代シークエンサ―の登場により、環境サンプル中の複数の生物由来のDNAを同時に分析することのできるDNAメタバーコーディング法が開発されたことで、調査地の生物相や生態系における食物網をはじめとした生物間相互作用に関する研究がさかんに行われている。

[Ⅱ 形態]

・鯨類の頸椎の数はほかの一般的な哺乳類と同様に7個であるが、多くは頸椎が癒合しており、頸部の運動性は抑制されている。魚類には頸椎は認められず、両生類になって初めて1つの頸椎(環椎)が出現する。陸上生活では頸部の可動性は獲物の捕食や天敵からの回避などに重要な働きを持つが、水中では可動性を持った長い頸椎(頸部)は、水の抵抗を増大させ、その結果、体幹前部の安定性を失わせる結果となる。魚類に頸椎がないことを考えれば頸部を短くし、癒合によって体幹前部の可動性を制限することは、二次的水生適応として効率的な遊泳を追求するためには理にかなったことかもしれない。

[Ⅲ 生態]

・ほかの生物種に対してではなく、環境を物理的に改変することによって、非生物的環境にも影響する生物種のことを生態系エンジニアと呼ぶ。ニホンジカの採食によって、林床食性の衰退が進み、植生や落葉落枝による土壌表面の被覆が失われると、土壌養分の変化や雨滴衝撃・土壌移動などを通じて表層土壌が流出するとともに、植生衰退がさらに加速するという悪循環が生じる。このようなニホンジカの採食行動により環境が変化していく過程は、シカが生態系エンジニアであることを示している。

・景観とはさまざまな種類の生態系など、異質な要素によって構成される土地の広がりである。景観における空間の単位には、比較的均質な環境が、異質な環境に囲まれた点または島状の広がりであるパッチ、線あるいは帯状の広がりであるコリドー、これらを取り囲む広がりであるマトリクスがある。パッチを好んで生息する種において、パッチどうしが、その種が生息はできなくても移動に利用することができる植生などの要素でつながっている場合、その要素はコリドーとして機能する。コリドーは都市のように動物の生息地パッチが孤立しているような景観に生息する種や、長距離移動を行う種にとっては重要な景観要素となる。

[Ⅳ 保全]

・以前は、種や生息地の保存が叫ばれてきたが、近年は保存から保全へと変化していった。保存と保全には思想的背景に大きな違いがある。保存は対象そのものに内在的価値を認め、その価値のために対象を保護することである一方で、保全は「人のため」に対象を保護することと定義される。また、対象を保護する手段として、人為介入や利用を許容しないものを保存、許容するものを保全と区別することもできる。こうした理解にもとづくと、哺乳類学における保全とは、「人のために哺乳類をよりよい状態に調整すること」と定義できる。

・ある保全に対する「最適解」を一般的に設定することはできない。たとえば、農家から害獣として認知され、地域からの排除が保全の目的とされる現場でも、個体数の維持・回復を保全の目的と考える市民もいる。「正しい」目的を1つに絞ることは容易ではない。そのため、多様な目的が提示された現場では、保全をめぐり対立の構図が顕在化する。

・日本で問題化しているニホンジカは、海外でも外来種として被害を生んでいるようだ。すでに定着した外来種が、後に導入される外来種の定着や拡散を手助けする相互作用を持ち、在来種からなる群集が外来種からなる群集へと加速度的に変化する現象を、侵入メルトダウンとよぶ。その例として、アイルランドにおけるニホンジカとセイヨウシャクナゲの外来種間相互作用があげられている。アイルランドでは、地中海沿岸から観賞植物としてセイヨウシャクナゲを1763年に導入した結果、在来の低木植物が大幅に減少していった。一方で、1860年に日本から導入されたニホンジカは、在来のアカシカを追いやっていくだけでなく、その高い採食圧により在来植生を次々と消失させていく。ニホンジカに改変された環境はセイヨウシャクナゲの発芽場所として適しているだけでなく、繫茂したセイヨウシャクナゲはニホンジカの排除を困難にする隠れ場として機能するという相利共生が確認されている。

・外来種もパートナーとして許容する新奇生態系という新たな選択肢もある。外来種の導入などにより、生態系レジリエンスを超える攪乱が生じた場合、人為的な管理努力によっても、攪乱以前の生態系の平衡状態を復元することは容易ではない。新奇生態系は、新たな平衡状態を持ち、人による干渉なしで自律できる系である。こうした新たな系を社会が許容することで、生物多様性保全のための実装可能なオプションを増やすことができるとされている。