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wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

円覚寺で参禅14回目

2015-07-04 14:19:52 | 瞑想・仏教
円覚寺の土曜坐禅会に参加してきました(2015年6月27日)。

これで円覚寺への参禅は14回目。
月一の参禅を目標にしていますが、実際にはその半分くらいのペースになっています。
アジサイの季節ということで、北鎌倉界隈はアジサイの名所明月院を目指す人でにぎわっていました。


明月院前の通りはご覧の通りの混雑。


明月院の入口。
この近くには生前の澁澤龍彦氏の自宅があって、今でも奥様が住まわれているそうです。
鎌倉はどこに行っても作家や文学者のゆかりの場所があります。


瑞鹿山(ずいろくさん)円覚寺の総門に入ります。


円覚寺の名物ネコ、しいちゃんが出迎えてくれました。

そして、居士林で参禅しました。
寝不足のときに坐禅すると、雑念とも夢とも区別のつかない想念がどんどんわいてきます。気がついてあわてて呼吸に意識を向けます。そんなことの繰り返し。だから、よく覚醒しているときのほうが集中しやすいのです。修行僧の睡眠時間は短いのに、よく坐禅で集中力が続くものだと思います。そんなのは自分には無理そうに思えます。
坐禅は、心から雑念を追い出すこと、そして一点に精神を集中することの訓練だと最近は思ってやっています。


坐禅のあと、寺内を見て回ります。
円覚寺にもアジサイの見どころがあります。



紅葉の円覚寺で参禅

2014-11-29 07:42:20 | 瞑想・仏教
円覚寺の土曜坐禅会に参加してきました(2014年11月22日)。

円覚寺への参禅としてはこれで9回目。紅葉も始まり、塔頭の佛日庵では假屋崎省吾展も開かれていたので、円覚寺にはたくさん人が来ていました。


総門の前は赤いモミジが鮮やかです。


坐禅会のある居士林の前も紅葉がきれいな場所です。


居士林の前に、坐禅会の参加者が並び始めました。
私も並ぶこととします。
そして坐禅会が終わると、みな一列に並んで座布団を一箇所に戻したり、順番に玄関で靴を履いて出るわけですが、その列に途中で割り込んでくるおじいさんがいたりするんですよ。そうするとイラッとして、なんでこんな人が坐禅会に来るんだろうと思ったりするわけです。でも、そう感じるということは、私の中に利他の心が足りないからだなあ、と思うわけです。割り込んでくる人には快くお先にどうぞという気持ちになれたらいいんですが。感じ方や考え方は、脳に深く刻印されているから、それを変えるのは相当に難しい。利他心はたいへんなことですよ。


ここ佛日庵で、華道展「假屋崎省吾の世界~百花繚乱~」を見ました。販売コーナーで假屋崎さんから言葉をかけられました。
芸術家と商売人の両方の才能を兼ね合わせた人とお見受けしました。


夕日が紅葉の境内や山を照らし出してきれいでした。

円覚寺の日曜説教坐禅会

2014-08-12 10:32:15 | 瞑想・仏教
円覚寺の日曜説教坐禅会に参加してきました(2014年8月10日)。
8月は、いつも参加している土曜坐禅会が休会なので、日曜説教坐禅会にはじめて参加しました。
円覚寺への参禅7回目です。

円覚寺ではいろんな坐禅会を開催しているのですが、毎月第2・第4日曜日にある日曜説教坐禅会は、9~10時に管長などによる法話があり、10~11時が坐禅会という、自由参加の会です。


総門には瑞鹿山(ずいろくさん・めでたい鹿のお山)という山号が書かれています。
今日は雨が降ったり止んだりの天気で、境内はしっとりしています。


左・選仏場、右・居士林の入り口。
日曜説教坐禅会は居士林ではなく、大方丈で行われました。
大方丈の中は満席になりました。

法話では、横田管長から、腰骨を立てて、お腹をぐっと出して、背筋を伸ばして、という姿勢の話から始まりました。それによって気力が出てくるということです。
次に、生まれてきた不思議に感謝して、これまで生きてきた不思議に感謝して、今こうして互いに会いまみえることのできた不思議に感謝して、と言われました。こういうことはいつも考えないですよね。管長がいつも言ってくれるのでその時はそう考えるのですが。

時節がら、お盆の話がありました。
お盆とは、複雑で何なのかいまだによくわからない。お経にも書いていない。いろんな習俗が入り混じってできた習わし。大切に迎え入れれば亡くなった方の御魂が帰ってくるということはある。亡くなった方に恥ずかしい生き方をしていないか反省する時、と言われました。
禅宗では、霊魂の存在を真正面から取り上げないが、否定もしない、しかしそれより今の自分を見つめる機会にしましょう、というスタンスですよね。

後半は、15分くらいの坐禅を2回やりました。
途中、激しい雨が降ってきて建物内にも吹き込んでくるので、縁側の近くに坐っている人は濡れるだろうな、と気になりました。
坐禅の休憩中に、指導役の雲水さんが、坐禅中に雨が気になって集中できなかった人はいますか?大丈夫です、それが普通です、と言っていました。


坐禅会が終わって大方丈から帰っていく人たち。

円覚寺夏期講座に参加

2014-07-27 08:55:01 | 瞑想・仏教
円覚寺夏期講座に参加してきました(2014年7月19日)。
今回で79回目の本講座は4日間連続で開催され、その初日の講座に参加しました。

3人の講師が下記のタイトルで講演をされました。

・無門関提唱(円覚寺派管長 横田 南嶺)
・自己を深める、世界が広がる(一般財団法人 人間塾代表理事・塾長 仲野 好重)
・風流ならざる処もまた風流(臨済宗福聚寺住職・作家 玄侑 宗久)

山に行く時みたいに5:30に早起きして6:20に家を出て、円覚寺に着いたのが7:40。
受け付け開始の7:30には少し遅れましたが、講座開始の8:30にはまだ余裕があります。


総門の前には、今回の夏期講座の内容が看板で出ています。


大方丈で夏期講座は行われます。


入ってみたら、もう7割くらい席が埋まっていました。
みなさん朝が早いです。
年齢層は60・70代くらいが多いように見えます。
私も席を決めて座ります。


どの講師の話も面白かったです。
横田南嶺管長は無門関という中国の公案(禅問答)の書の一節を解説されました。
われわれ在家の坐禅初心者にはあまりなじみがないのですが、
本格的な臨済宗の修行では公案というのが重要な位置を占めているようです。

仲野好重さんは関西出身の教育者。
孤独、ご縁、使命、許す、のテーマで話をされました。
吉本の芸人みたいな話術のうまさはピカ一でした。

玄侑宗久さんは芥川賞作家にして福島の臨済宗住職。
この人の本はいろいろ読んでいるので、どのような講演をするのか聞いてみたいというのが、本講座に参加した理由でした。
玄侑さんは文系ですが(慶応大中国文学科卒)、とても博識で生物学の知見をうまく引用するんですよね。
昆虫は成長過程で幼虫から成虫に変わっていくが、幼虫と成虫は全く別の生物であって、「先がわからないこと=風流」だと言うわけです。
これは変態という現象で私の学生時代の研究テーマでしたが、こんな考察の仕方は考えたことがありませんでした。
ヒトゲノム解読の結果、30%はウイルスの遺伝子であることがわかった。
99.5%の遺伝子はタンパク質の合成に関わっていない、つまり何をしているかもわからない。
こんなことも、「風流」に結び付けていくのです。
先のことは読めないのがこの世界、何が起きたとしてもそれをたとえば絶望して受け止めるのでなく、
「風流」として受け入れていきましょうということでしょうかね、結論は。



12:20にこの日の講座は終了し、大方丈を出ます。
お坊さんたちが片づけを始めました。

円覚寺で参禅6回目

2014-06-29 17:06:33 | 瞑想・仏教
円覚寺の土曜坐禅会に参加してきました(2014年6月28日)。
4月から月一の頻度で参禅していて、トータルで6回目になります。

坐禅中に、指導の僧侶が廻ってきて、合掌して待つと警策で肩を叩いてくれるのですが、
私はいつもこれをやってもらっています。せっかく遠くの坐禅会まできたのに、やらないともったいない
気がするのです。カツを入れてもらうような気分です。坐禅は、どんどん我を減らしていく練習なので、
自我(エゴ)の強い人はたいへんかもしれません。私も自我は強いのですが、坐禅の時ぐらいは
坐禅会というシステムの中に自分を投げ出すよう努力しています。

横尾忠則の「坐禅は心の安楽死」という本を読むと、この人は非常に自我の強い人なので、
警策で叩かれると思うと気が散って集中できないと僧侶に食ってかかる場面があったり、
相当苦闘している様子が書かれていておもしろいです。


アジサイの季節です。
明月院目当てでしょうか、北鎌倉界隈は混雑しています。


円覚寺のアジサイ。


一般公開されている大方丈から見る正伝庵のほう。


修行道場から出てきたお坊さんの列