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ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

新緑の法金剛院

2006-05-30 06:19:09 | お庭
妙心寺から御室仁和寺前まで行きましたが、ここでもお目当てのお店がお休みで振られてしまい、双ケ丘の麓を歩いて花園駅前の法金剛院に行きました。



平安時代の末に鳥羽上皇の中宮待賢門院が復興して、極楽浄土を模した池泉回遊式の庭園を作らせたものです。関西花の寺第十三番霊場となっており、四季いろいろのお花で楽しめるお庭です。



蓮の花がたくさん咲くようですが、見頃は7月初めから8月上旬だということです。




今は池の縁のカキツバタがきれいでした。












サツキもちらほら。








アジサイもこれからでした。




ウツギがきれいです。




オダマキも。




新緑が美しく心癒される静かなお寺でした。
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楽々荘で植治の庭を見る

2006-03-19 06:19:51 | お庭
嵯峨野からトロッコ列車に乗って亀岡に行き、「楽々荘」を訪ねました。
「楽々荘」はトロッコ列車の旧山陰線生みの親、田中源太郎翁の生家を譲り受けて料理旅館としたものです。

*****
楽々荘は田中源太郎翁の旧邸を今に伝えるものです。源太郎は生家を明治三十年代後半に五年の歳月をかけ、京都鉄道(山陰線)の開通 に合わせ改築しました。山陰線(現在のトロッコ列車)のトンネルや鉄橋と同じレンガをつかった洋館や豪壮な書院造りの和館や玄関(平成九年国登録有形文化財指定)と六百五十坪の庭園が見事な対比を見せています。この回遊式池泉庭園は明治の元勲山縣有朋の別荘「無隣庵」や平安神宮神苑等の庭で近代造園の総合プロデューサーとして有名な七代目小川治兵衞 (植治)の作と伝えられています。明るく開放的な作風の中に伝統的な造園法が巧みに取り入れられています。庭園内には、源太郎が山陰線建設の時に買収した亀山城にあったとされるものが多く伝わっています。亀山城は明智光秀の築城になりますが、本能寺の変の後豊臣の所有となりました。そしてその豊臣の紋の入った大きな石燈篭や鉄の井筒が昔を今に伝えています。(「楽々荘」ホームページより)*****

の中、たどり着いてみれば、ランチの時間を過ぎて、ディナーの時間には早く、喫茶は春から秋の季節のいいときしかやっていないようで、残念ながら中には入れませんでした。ところが、お庭だけは、別の門からオープンガーデンになっていて見ることができ、ラッキーでした。


650坪のお庭は夏にはビアガーデンになっているそうです。さすが植治のお庭、手入れも行き届いて美しいのだけれど、枯山水の流れを現している上に桟敷を敷いて、ビアガーデンにしてもいいものだろうか?それ程違和感は感じさせないように作ってありましたけれど。



ところが、背景はこの有様



洋館も素敵でした。

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寶厳院で獅子吼の庭を見る

2006-03-19 05:46:01 | お庭
3月18日に天龍寺塔頭の寶厳院に行きました。庭園は獅子吼の庭とも言われ、策彦禅師の作とされ、嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園。江戸時代の京都の名所名園案内記『都林泉名勝図会』にも掲載されています。
誰もいない庭内にせせらぎの音が響いて、小雨の中、苔がしっとりとして心を癒してくれます。
どこからともなくいい香りが、と思えば、沈丁花の花が咲いているのでした。

苔の中にショウジョウバカマも咲いていましたが、小さくて撮影できませんでした。






参道の羅漢さん達。



馬酔木の花。



レンギョウ。

紅梅。






人力車に乗って行きました。初めての体験でした。



嵐山保津川べりの梅の木。



お昼は湯豆腐つきの嵯峨野弁当をいただきました。
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南禅寺方丈

2004-05-25 23:56:57 | お庭
南禅寺の塔頭を巡った後、最後に南禅寺方丈に行きました。





方丈庭園は小堀遠州作と言われ、国指定の名勝です。



鳴滝庭にある大硯石。大垣市赤坂町の金生山で採掘されたものです。



最後はお馴染みの水路閣。
琵琶湖疎水の水を流す水路を南禅寺の境内に通すために、田辺朔郎が設計して1888(明治21)年に完成しました。



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南禅寺天寿庵

2004-05-25 23:56:03 | お庭
南禅寺の塔頭、天寿庵にも行きました。


本堂の前庭(東庭)の枯山水庭園は、白砂の庭が苔で縁取られ、ひし形の畳石が並んでいます。



書院南庭の池泉回遊式庭園は、池のまわりに杉や紅葉が多く茂っています。


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何有荘(かいうそう)

2004-05-25 23:53:20 | お庭
何有荘は南禅寺塔頭の跡地でしたが、1905(明治38)年に稲畑勝太郎所有の別荘となり「和楽庵」と称されました。その後二代目の所有者、大宮庫吉が「何か有る様で何も無い。何も無い様で何か有る」という禅の言葉から「何有荘」と改名しました。
庭園は七代目小川治兵衛(植治)が作庭しました。


門の近くに建つ洋館は、1916(大正5)年に武田五一が設計したものです。



母屋は大きな和風家屋です。



滝や広い池があり、ショベルカーが入って、庭の改装をしていました。






起伏のある地形の上の方に草堂が建っていました。そこから下方につながるトンネルもあり、明治天皇がお忍びで来られたという言い伝えもあります。



庭の一番上部には水を引き入れている疎水が流れていました。

何有荘はこの時ある宗教法人の所有で公開されていたのですが、その後いろいろごたごたして裁判沙汰があったりした後、今はアメリカ人の所有になっているようです。

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南禅寺大寧軒

2004-05-25 23:51:03 | お庭
続いて、近くの南禅寺塔頭、大寧軒に。
大寧軒の庭園は、南禅寺の塔頭大寧院の跡地に、茶道藪内家11代・透月斎竹窓紹智によって作られた池泉回遊式の庭園です。











池の中に三つ柱の鳥居が立っています。




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南禅寺金地院

2004-05-25 02:12:00 | お庭
2004年5月24日、南禅寺の塔頭、金地院にも行きました。
南禅寺塔頭の中では一番南よりにあります。
金地院と言えば、金地院崇伝。徳川家康の信望が厚く、江戸幕府の法律外交を担った以心崇伝が住んでいた寺です。





家康の遺言により、東照宮も作られています。



庭園は小堀遠州の作で国の特別名勝に指定されています。




方丈前の「鶴亀の庭」は初期の枯山水庭園です。

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洛翆庭園

2004-05-25 02:10:59 | お庭
都ホテルに続いて、北に歩き、「洛翆」の庭園に行きました。

洛翠庭園がある場所はもともとは南禅寺の境内だったと言われていますが、明治政府によって没収された後、1909(明治42)年に滋賀県出身の実業家・藤田小太郎の私邸が建築される際に、七代目小川治兵衛によって作庭されました。その後1958年から旧郵政省共済組合の職員の保養施設として利用され、1987年には運営が地元の「洛翠」に委託され、京料理と名園の宿「洛翠」として利用され、庭園も一般公開されていました。



不明門。貴賓のための門なので、通常は開けられることがありません。



建物を通り抜けて庭園にでると、前面に芝生が広がり、その前方に明るく開放的な庭園が広がっています。
琵琶湖疏水の水を引き入れた池泉回遊式庭園で、この池は琵琶湖の形を忠実に模しています。これは藤田家が滋賀県出身だったことと関連しているのでしょう。



この一文字橋は現在の琵琶湖大橋にあたります。



上の大きな石橋は臥龍橋という橋で、丸い石は石臼を再利用しています。



この飛び石も元は石臼です。







画仙堂という建物は堅田の浮御堂を模しているようです。






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都ホテルの庭園

2004-05-25 02:00:00 | お庭
2004年5月24日と30日にも岡崎の別荘庭園群を見て回りました。

岡崎地域の南端、都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)にも美しい日本庭園があります。
宴会場葵殿に面した南斜面にひろがる庭園は、七代目小川治兵衛(植治)によって1933(昭和8)年に作庭されました。池や流れを「沢飛び」で渡る手法、琵琶湖西岸から疏水船で運ばれてきた縞模様のはっきりした「守山石」の配置などに特徴が見られます。


殊に、急斜面の自然地形を活かしてデザインされた「雲井の滝」と呼ばれる三段の滝は、小川治兵衛の作品の中でも傑作といわれています。


いろいろな種類の灯籠がありました。

庭園は葵殿の改築(平成4年10月竣工)にあたり復元整備されました。



ホテルの中を通って上の階に上がり、別館佳水園南面の庭園に出ました。
こちらは七代目の長男 小川白楊によって、1925(大正14)年に作庭されました。自然の巨大な岩盤を活用し、琵琶湖疎水の水を引き入れて見事な滝を創出しました。


佳水園の中庭は、1959(昭和34)年、村野藤吾によって建物とともにデザインされ、醍醐三宝院の庭を模して造られました。白砂敷きの中に緑で、秀吉の馬印の瓢箪徳利と円形の杯、そして流れるせせらぎでお酒を表現しています。



都ホテルの上階から北方面を見ると、岡崎地域と大文字山、比叡山が遠く見渡せます。

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織寶苑

2004-05-24 01:56:39 | お庭
2004年5月23日、岡崎地域の別荘庭園群をめぐる企画があったので、観てきました。

〈織寶苑庭園〉 (地下鉄蹴上げ駅から徒歩5分)
滋賀県出身の塚本与三次の邸宅「福地庵」が三菱の岩崎小弥太の別邸「巨陶庵(ことうあん)」となり、 昭和23年に龍村美術織物が購入して「織寶苑」となりました。
この庭園を造ったのは小川治兵衛と長男保太郎。東山連峰の景観を借景とし、琵琶湖疏水の水を取り入れた広い池、川の流れ、二段の滝を主体に、茶室「凉流亭(りょうりゅうてい)」などの数奇屋建築が巧みに構成された池泉回遊式庭園です。












「織寶苑」はその後 龍村織物の手を離れ、ある宗教団体の所有になり、「流響院」と呼ばれるようになっています。

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